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自分自身が後になって振り返りたくなるようなことを記録しています。


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 年末に部屋の整理をしていると、机の奥から忘れていたものが出てきて、「あー、あのときは、こんなことがあったなー。」と、自分でも忘れていたことを思い出したりします。
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今年の抱負

2010年01月01日

新年開けましておめでとうございます。
本年もまた、よろしくお願い申し上げます。

ということで、この記事を読んでくれた方に、こっそり、私の新年の抱負を披瀝してみたいと思います…。

 さて、21世紀も、はや10年が過ぎ…、などとたいそうなことを言うつもりはありませんが、それにしても私がまだ小さいころ、2000年という、最初の一桁が違う年が本当に訪れるののだろうか…と思っていました。
 ところが、その2000年さえも既に10年前という、子供の頃の私からはおよそ想像もできない時空の地平に、今の私はいるわけです。

 この記事の表題は、「今年の抱負」などという、これ以上ありえないほど陳腐なお題なのですが、なぜこのような平凡な表題かと言うと、今年はとうとう、私が生まれて半世紀という、気が遠くなるような時間が過ぎる、記念すべき区切りの年なのです。

 よく昔の人が「人生40年…」などと書いているのを見てどきっとしたりしますが、決して自分の年に「劣等感」を抱く必要はありません(笑)。
 あの伊能忠敬などは、50歳のときに家督を長男に譲り、測量・天文学の勉強を始めたわけですから、私だってこれから何かを始めて、日本全国を踏破して精密な地図を書き上げることはできなくても、何がしかの「成果」を挙げることはできるのではないか、という期待を抱く正当な権利はあるわけです。

 ところで、アメリカのGail Sheehyという女性が書いたベストセラーに「Passage」というのがあります。(ちなみに、日比谷図書館に原書があります。私はそれをお借りしました。)
 ちょうど私くらいの年代の人たちのカウンセリングを通して、彼女は、どうやらこの年代は「人生の隘路」なのではないか、と思うようになり、多くの人との対話を通して、この難しい年代をどう過ごすべきかという問題について、読者にアドバイスを与えています。

 たしかに、自分がその年になってよくわかるのですが、この年代というのは、「ビミョー」な年であるようです。
 そのビミョーさを、Gail Sheehyは、沢山の人の語りであぶり出していくわけです。
 そこから見えるものとは…。

 中国の詩人の陶淵明の「照鏡見白髪」という詩に、
「宿昔青雲志
 蹉跎白髪年」
という下りがあります。
「しゅくせきせいうんのこころざし、さたたりはくはつのとし」と読むわけですが、要するに、「昔は大志を抱いていたが、長い人生の中でいろいろ挫折して思い通りにならないうちに、白髪の年になってしまった。あーあ…」といった類の意味です。

 Gail Sheehyがアメリカのアラフィフ世代のカウンセリングを通じて知ったこの年代の「ビミョー」なところは、まさにこれです。
 時代が異なり、国がことなっても、人間の心の動きというものには、それほど大きな違いはないのかなぁと思わせてくれます。

 ただ、アメリカのアラフィフの人たちは、すぐ運命の前に諦観してしまうアジアの人たちと違って、逃れようのない時の流れによって自分が変わってしまったことを心の中で否定し、あるいは認めることを拒否し、そしてそれに逆らおうとして、いろいろ「不都合」な症状を作ってしまうわけです。

 それに対するSheehyのアドバイスは、かなり乱暴に要約すれば、「まあ、そう肩をいからせないで、自分の人生をあるがままに見つめなさいよ。そりゃ、自分が抱いていたものとは違うかもしれないけど、それはそれで、いいところもあるはずですよ。」というものです。

 大前研一氏が最近の著作の中で「早く成仏して、人生を楽しまなきゃ」といった趣旨のことをよく言っていますが、これなどは、まさにSheehyのアドバイスそのものかもしれません。
 要するに、「あなた、吹っ切れなさいよ。そこから、新しい人生の楽しみが生まれるから…。」ということでしょうか(笑)。
 この年になると、もうあれこれジタバタしても、所詮、知れてるんだよ、ということを、なかなか人は認めたがらないのでしょうが、そこを「吹っ切れなさいよ。」と言っているのでしょう。

 50を過ぎて未踏の領域を目指して新しいプロジェクトにとりかかった伊能忠敬と、「あはは、そろそろ成仏して、酒でも楽しみなさいよ」と言う陶淵明…。
 一見、対極に位置する二人のように見えますが、よく考えてみると意外とそうでもないような気がします。

 というのは、これまでの人生を振り返ると、「何をしたいか」よりは「何をしなければならないか」に追われる日々の繰り返しだったような気がします。
 役人生活を送っていた陶淵明もそうだったろうし、造り酒屋などを営んでいた伊能忠敬も、同じような気持ちだったのかもしれません。
 そろそろ「しなければならない事」に追われる暮らしから卒業し、「したい事」を追う人生に軌道修正したい…と思う歳が、この年代なのかもしれません。
 伊能忠敬が残りの人生を地図作りに傾注したのに対して、陶淵明は酒を楽しみ、詩の創作に明け暮れることに費やしたという違いはあるにせよ、です。

 まあ、伊能忠敬や陶淵明のような能力と才能に恵まれていない私のような凡人であっても、人生を楽しむことはできるわけで、彼らの生き方から学ぶことは多いわけです。

 もっとも、まだまだ仕事から解放されるのはずいぶん先のことなので、今から陶淵明のような隠遁暮らしを送れるわけではありませんが、人生の軌道修正は天体のように時間がかかるものなので、今からでも少しずつ始める必要があるのだろうなあと思うわけです。

 この記事を読み始めた人は、「ほほう、今年は何をするのだろうね、君は。」と読み始めたのでしょうが、残念ながら、そういう具体論ではなく、もっとメタレベルでの「方法序説」になってしまいました。


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