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2007末に携帯電話の加入数が1億台を超えた。総務省の統計によれば、正確には1億52万5078台となっている。
その一方で、教育現場の携帯に関して、議論が沸騰している。
電話はコードにつながっているものという概念を破った自動車電話が世界で初めて日本でスタートしたのが1979年。
NTTが最初のハンディタイプ携帯電話を出したのが1987年。
その翌年の1988年末の加入者数は約24万人で、普及率はわずか0.2%だった。
当時は、通話料も目が飛び出るほど高く、ほとんど社用族くらいしか持てない代物だった。
普及が飛躍的に伸びたのは1994年頃からで、携帯電話の売り切り制が導入され、料金の大幅な値下げが行われるとともに、新たな企業が参入することで競争が加速された。
1994年から96年の3年間は、対前年比でそれぞれ103%、136%、105%増加している。
その後もしばらく台数ベースで1000万台ずつ増え、最近では市場の飽和を反映して増加のペースは鈍ってきたが、2007年末で1億台を突破した。
総務省がHPで公表している統計では、2008年の数字はまだないが、約500万台増加したとして、1億0550万台くらいだろう。
その一方で、NTTの加入電話の契約数が既に5千万を切っているので、携帯電話はその倍以上ということになる。
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最近、大阪府の橋本知事が、公立学校での携帯電話の使用を禁止すると決めてから、携帯電話に関する議論がかまびすしい。
こんなことになぜ知事が口出しするのかよくわからないが、タレントとしての血が騒ぐのかもしれない。
とにかく、この知事の発言で、マスコミ報道に一気に火がついた感がある。
年頭に都内で行われた通信業界の賀詞交歓会でも、押しも押されぬ日本のITリーダーの一人である孫正義さんが、挨拶の中で、なんでも禁止するという風潮には問題があると疑問を示している。
日本の女子高生が親指でメールを打つ速度は世界一なのだから、これを国際競争力の強化に活用しない手はないだろうと、どこまで本気なのかわからないような話で会場を沸かせていたが、孫さんの言うように、今や夫婦喧嘩や親子喧嘩の仲直りもメールでするまでに、携帯は、単に「持ち運びできる電話」以上の生活インフラになっている。
マスコミの論調も、橋本発言が大衆受け狙いのホピュリスト的発言だという批判が多い。
IT立国を目指す日本にとっては、ITリテラシーを教えることこそ大事なのであって、携帯を禁止するというのは、まるで産業革命のときのラッダイト運動のようなものだ、といった経済史的な反論から、たとえ禁止しても学校を一歩出ればいくらでも使えるのだから、そんな禁止に何の意味があるのだという敗北主義的な意見、そして、道具に「影」の部分があるのは当り前で、交通事故があるからといって自動車を禁止するのか、といった論理的反論や、「影」の部分も含めてきちんとネットを使いこなせる人間に教育するのが本来の教育ではないかという教育論まで、多彩な反論があって楽しめる。
これらの反論は、言っていることはそれぞれもっともで、それ自体反論することはできないが、ほとんどが的外れのような気がする。
橋本知事の生の発言を聞いたことがないのでなんとも言えないが、新聞で読む限り、「学校は勉強に専念するところなんだから、学校では使わないように。」ということのように読める。
そもそも知事がいちいちそんなことに口出しすることには反対だが、それを個々の学校の校長が決めたのだとしたら、それはそれで一つの見識なのかもしれない。
「過激」好きの橋本知事とはいえ、いくらなんでも社会から携帯電話をなくせとか、大学生になるまで一切携帯電話を使わせるなと言っているわけではなかろう。
1億台時代なのだから、発言した知事本人ももちろん使っているだろうし、校長も教頭も、教育委員もみんな使っている。
漢字が読めない麻生総理も、「読めなくても変換してくれる」と重宝しているのかどうかは知らないが、しっかり使っているし、オバマ次期大統領も携帯中毒と言われるくらい使っている。
そんなことは承知の上で、「学校の外でいくらでも使えるんだから、学校にいるときくらいは携帯を忘れて、勉強に専念しようじゃないか。」ということであれば、賛成する人は多いのではないか。
あまねく普及しているものを学校に持ち込むことを禁止するのは時代錯誤だというのであれば、テレビだって、ゲーム機だって同じだ。
テレビが生活に不可欠なものだからといって、小学校への持込みを認めろ、というのは、今はやりのモンスター・ペアレントでもそこまでは言わないだろう。
その一方で、学校でのルールを、たとえ公立学校とはいえ、政治家が一律に決めてしまうというのは、賛成できない。
本来ならば、それぞれの学校の教育方針として個々に決められるべき筋合いのものだろう。
例えば、ある府立高校では、校則らしい校則がないことが誇りだった。
「君たちの良識がある限り、そんなものは不要だ」という校長の言葉ほど、自覚を奮い立たせる言葉はなかった。
その意味で、自分のことは自分で決められるようになるのが教育の重要な目的の一つだとすれば、人気稼業の政治家によって頭ごなしに一律に決められてしまったというのは、残念な気がしてならない。
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