民主党流の「空気の読み方」の危うさ
2009年05月27日
「かんぽの宿」問題以来、鳩山(三文)劇場の悪役に仕立て上げられた日本郵政の西川社長と、自称・主役の鳩山大臣が、5月26日の参議院・予算委員会で直接顔を合わせた。
といっても、鳩山大臣が呼びつけたわけではなく、民主党の富岡由紀夫議員(群馬県)の質問への答弁に立つためだったが、二人の答弁振り、そして富岡議員の質問振りも、それぞれ対照的で興味深いものだった。
富岡議員の真意を知ってか知らずか、鳩山大臣は相変わらず、「あんな安値で売るのは怪しからん。国民の金をドブに捨てるようなもので、不正義極まりない。」と、まくしたてる。
そんなに不正義だというのなら、10倍くらいの価格で買ってくれる買い手を見つけてくるなり、自分の血筋であるブリジストンに入札参加させるなりして、日本郵政に再度入札をさせればいいものを、「売るため」の努力はこれっぽっちもせずに、相変わらずいちゃもんをつけているだけにしか見えない。
真の政治家(ステーツマン)ならば、指導力というものは、メディアの目を引くスタンドプレーではなく、地道な行動で示すものだ。
そもそも不動産鑑定士の鑑定評価に基づくものなのだから、本当にその価格が不正なら、不当鑑定でそれらの鑑定士の処分を求めるとか、売却手続き全般をとりしきったメリルリンチに対して損害賠償を請求するとかすべきだろう。
強大な権力を持つ総務大臣ともあろうものが、自らの監督に服する企業の「不正」を糾弾するのであれば、これまでのようなネガティヴ・キャンペーンのような姑息なやり方ではなく、関係者の刑事、民事、行政上の「法的責任」をきちんと問うべきだ。
それがきちんとできるかどうかで、鳩山大臣の言っていることがただの「ナンクセ」なのか、それとも真に「自らの正義感」に基づくものなのかがはっきりするだろう。
そして、仮にただの「ナンクセ」で国民負担を増やし、かんぽの宿の役職員の親方日の丸組織をさらに国民全体で食わせていくことになったのだとすれば、その損害を賠償してもらいたいものだ。
民間企業であれば、いい加減なことをして会社に損害を与えれば株主代表訴訟で役員個人が責任を追及されるのに、大臣は、政治的「受け」狙いのスタンドプレーで納税者に多大な負担が生じてもお咎めなしだというのでは、不公平感すら感じてしまう。
もっとも、富岡議員の狙いは二つあって、
①西川社長の続投を認めるかどうかで明らかになりつつある自民党内の亀裂を露わにすること、
②そんな腰の定まらない自民党と違って民主党は一貫して西川流、ひいては小泉・竹中流の改革路線に対して反対であり、政権をとれば、自民党のような迷走をすることなく西川社長のクビを切ること、
を印象付けようとしているようだった。
①のためには、鳩山大臣の大親友でもある与謝野大臣に西川社長の続投の当否について同様の質問をして閣内不一致を引き出そうとしたものの、与謝野大臣の絶妙な「のらりくらり」答弁で必ずしも奏功しなかった。
②のためには、西川社長に対して、「国民が続投を望んでいると思っているのか。」という「ぶしつけ」な質問をし、暗に国民のすべてが西川社長の退任を望んでいるかのような口ぶりだった。
民主党の頭の中には、鳩山大臣による西川降ろしの口車に乗って騒ぐだけで、「かんぽの宿」に関する真の問題の所在を見極めようとしない「国民」しかないのかと思い知ったわけだが、民主党の思い描く国民象がその程度のものだとしたら、甚だ「国民」を馬鹿にしたものだ。
このような政治家の体たらくに対して、西川社長の答弁は、それなりに堂々としたものだった。
もちろん西川社長にしても、リーダーシップの弱さなど、いろいろな指摘がされているが、西川社長が答弁の中で述べた、「時の首相に請われて就任を承諾した以上、軽々に投げ出すのではなく、一定のところまでやるという責任感だ」という言葉は、その「時の首相」の後任者たちが二代続けて「途中で投げ出した」ことを考え合わせると、それなりの「重み」を持って受け止めた人も多いだろう。
このような「まとも」な答弁に対して、質問者の富岡由紀夫議員が、西川社長が続投することの何が問題なのか、きちんとした指摘を行うのかと思えば、「こんなKYな人といつまでも喋ってもしかたがないので…」と質問を切り上げてしまった。
政府の監督を受けているとはいえ、民間人を国会に呼びつけた上で、きちんとした議論もせずに、国民が見ている前で侮辱をしても平気な、この民主党議員の思い上がりに呆れた人も多いだろう。
国会議員ともあろう者が、民間人に対してこのような恥ずべき行為をしても平気なのは、この議員の頭にある国民象のレベルが低いからであって、自らの政治活動をそういう低いレベルに合わせているからに違いない。
そして、そういう「国民」の空気を読むことだけが政治と勘違いしているのだろう。
民主党が国政を担うことについて、一抹の不安を消し去ることができないのは、こういう「危うさ」もその一因なのだろう。
|