日米密約文書調査が生んだ思わぬ成果
2009年12月24日
自民党政権の病巣を暴き、民主党政権の清明さを印象付けようという狙いで始められた日米間の密約文書探しに大きな進展があったことを、23日付け読売新聞が報じた。
沖縄返還交渉をめぐる核の持込み際して、当時の佐藤首相がニクソン大統領と交わした文書を、元通産大臣の次男が保管していたものだ。
呆れたことに、文書を発見した遺族が外務省関係者に外交資料館での保管を申し出たが、「公文書ではない」という理由で断られたという。
自民党閣僚も外務省もあることをよく知っていた文書をしゃーしゃーと「知らぬ存ぜぬ」で通した「不透明さ」は民主党の狙いどおりだったが、出てきた文書そのものは、宰相の器の違いを見せつける「不都合」なものだった。
同じCOP15に出席していたオバマ大統領が会ってくれないので、仕方なく「格下」のヒラリー・クリントン国務長官に、しかもパーティーの席でたまたま隣り合わせになったのを利用して、パーティートークにはおよそふさわしくない普天間の話を持ち出し、あろうことか、そのことを、ペラペラと記者団に話して、「理解してもらった」と言う。
ヒラリー国務長官からすれば、一国の、それも同盟国の「格上」の首相なので、ちゃんと話を聞くのがマナーと思っただけだろう。
ところが、パーティーでの「私的な会話」をマスコミにペラペラ喋られた上に、「理解していただいた」などと、米政府として鳩山首相のぐずぐずした態度を承認したかのような勝手な解釈をされるものだから、ヒラリー国務長官の怒りは想像に難くない。
日本政府に「約束を守る」という「大人の対応」を一貫して求めている米政府内での彼女の立場も悪くすることになってしまうことだろう。
これで、たとえヒラリー・クリントン大統領が将来誕生しても、「ユキオ」とファーストネームで呼ぶことはないだろうし、彼女の執務室では、名前ではなく「that idiot」か「that sunovabitch」か、「that fucking guy」か、それらを総合した「称号」で呼ばれることになるのだろう。
親密であるべきはずのパーティトークを記者団にペラペラとしゃべり、挙句の果てに勝手な解釈で自分の都合のいいように利用するような男は、およそ個人的な信用に値しない。
そんなのが世界第二の経済大国の宰相であることが信じられなかっただろう。
ましてや、そんな男が率いる(フリをしている)政党を諸手を上げて政権に就けてしまう日本人の浅慮を、同盟国として呪っているかもしれない。
しかし、もとはといえば、GHQが占領時代に、軍国主義教育の排除の次には共産化の防止ばかりに力を入れて、日本人の政治センスを磨くことに力を入れなかった報いと言えなくもない(笑)。
鳩山首相が、見境なくぺらぺらと記者団に喋ることを「透明な政治」とはき違えているのに対して、今回公にされた密約文書を佐藤首相は夫人にすら話したことがなかったという。
岸首相は、弟である佐藤に「お前にとても総理はつとまらん」と言っていたという。
それは、弟がとりわけ出来が悪いという意味で言ったというよりは、「総理は大変な仕事なんだぞ」という「忠告」だったのだろう。
そして、その忠告は、片務的でおよそ日本を独立国と見ていなかった旧日米安保条約を改定したときの経験に根ざすものかもしれない。
国会の内も外も四面楚歌の中で、テレビをつければ岸総理の「強引」な国会運営を非難する議論ばかり。
目の前の孫(安倍晋三)は、窓から聞こえてくるデモ隊の掛け声をまねして意味もわからないまま「あんぽ、はんたい」と言いながら一人で行進しているのだから、あの鉄の男でさえも何度も挫けそうになったことだろう。
この男のおかげで冷戦時代の中、日本はまがりなりにも対等な安全保障条約という国家の基盤を得ることができ、「経済のことは池田におまかせください」という池田首相が、フランスのドゴール大統領に「トランジスタ・ラジオのセールスマンみたいな奴だ」と蔑まれながらも、その蔑んだフランスを追い抜いて日本を世界第二の経済大国へと押し上げることができたのだ。
佐藤首相が政治生命をかけて取り組んだ沖縄返還も、米ソ冷戦下での沖縄の基地としての重要性を考えるとき、本土並みの返還が実現するなどあり得ないような成果だっただろう。
沖縄の本土並み返還が本当に実現するのであれば、有事の際に限っての核持込みを当面認めることなどは、ずっとプライオリティの低いことに違いない。
将来、状況が変わればそういう合意はいくらでも見直せる。
しかし、国家の領土問題は、北方領土問題を見ればわかるように、一度機会を逃せばもう二度と手が届かなくなる可能性もあるのだ。
それに「持たず、作らず、持ち込ませず」の非核三原則も、日本がアメリカの核の傘で守ってもらうことを選択しておきながら、「持ち込んじゃ嫌よ」と言うのだから、普通のアメリカ人から見れば、「こいつら、何を言ってるんだ?」と思ってしまうだろう。
それはまるで、ゴミを毎日山のように出しておきながら、「焼却場はうちの近く立てないでね、隣町ならいいけど」と言っている住民団体のようなものだ。
こういうムシのいい態度は、英米ではニィンビー(NIMBY)と言って軽蔑されている。
NIMBYとは「うちの裏庭はダメよ(Not In My Back Yard)」という意味で、まさにゴミ焼却場に反対する身勝手住民団体の主張のことだ。
世界平和の原理として非核三原則を説くのであればともかく、西側の一員としてアメリカの核の傘を構成する同盟国でありながら、自分の家の中だけ非核化を主張するのでは、ただのニィンビー国家としか見てもらえないだろう。
かといって、そういうことをマスコミや国民相手に説いてみたところで、日米安保条約の改定一つを見てもわかるように、「どう考えたってこれがいいに決まってるだろう」ということすら、冷静に判断することを当時のマスコミ、国民に期待することはできなかったということだろう。
岸首相なら、正面突破を図ったかもしれないが、「それほどではなかった」佐藤首相は、密約という方法をとった。
沖縄の本土並み返還という「あり得ない」ような成果の前には、密約の一つや二つ、「俺一人が飲み込んでしまえばいいんだろう」という気持ちだっだのだろう。
実際、その存在を誰一人に明かすことなく、夫人にすら話さず、生涯を終えた。
「偏向的な新聞きらいなんだ、大きらいなんだ。新聞記者は出て行け。」と言って、引退会見で新聞記者を追い出してから三年後のことだった。
日本人としては、あの海千山千のニクソン大統領が個人的な密約を交わしてもいいと思うような人間が日本の宰相をしていたことをつくづく幸運と思うべきだろう。
アメリカ政府は、GHQによる占領時代以降、日本の政治家一人ひとりを個人別によく研究していた。
混迷する日本政治の次の時代のリーダーは誰か、どういう思想を持っているのか、その政治家としての器はどうかなど、大使館が政治家に個人的に接触してさまざまな情報を本国に送っていたことが、戦後史にはよく現れる。
その中で、アメリカ政府が岸首相のことは、早くから次世代のリーダーとして注目していたのは、その政治構想のみならず、政治家としての器に着目していたからだ。
ウォーターゲート事件で盗聴まで指示するくらいのニクソン大統領だから、密約を結ぶ相手がどういう人物なのか、徹底的に調査検討させたうえでのことだっただろう。
もちろん、「あの岸の弟か」ということもあったかもしれない。
いずれにせよ、世界一の狸親父のニクソン大統領のメガネにかなったということだ。
日米安保条約の改定も、沖縄の本土並み返還も、決して歴史の必然としてなされたことではなかった。
その裏では、一人の政治家が自分の政治生命を懸けて成し遂げるべき国家の課題を、総理の権力を得ることと引き換えに、山のような敵を作りながら必死の思いで成し遂げたものだ。
日米安保条約の改定や、沖縄の本土並み返還といった国家の根本課題は、そうやって成し遂げられてきたのだ。
岸総理が「やや失礼な言い方」で弟に伝えたかった総理の大変さとは、そういうことだったのだろう。
民主党政権のイニシアティヴで始められた日米密約調査は、図らずも、長い時を超えて、そして、自民党と民主党の違いなどといった瑣末なことを超えて、一国の宰相の器とはどうあるべきかを、日本人に教えてくれたような気がする。
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