時の記憶

時代の記憶として残したいニュースの勝手な論評です。


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 メインストリームのニュースから少し外れたところにこそ、えてして時代の真実が隠されています…などと、たいそうなことを言うつもりはありません。
 でも、ちょっとしたニュースに何を感じ、何を考えたかを残すことで、自分の人生の軌跡みたいなものを残せないかな~と感じています。
 なので、私小説的な時事論評として読んでいただければと思います。
 もちろん、感想は下の「作者にメール」でお寄せください。
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「小沢式」スパルタ教育に震え上がる与野党のセンセーたち

2009年10月06日

辻立ち50回のノルマをサボったり、ポスターの貼り方が手抜きだとみるや、「てめー、公認を差し替えるぞ」と脅し、新人候補をシゴきまくった、スパルタ教育ママの小沢幹事長が、またもやってくれた。
「小沢式」国会運営について、10月5日付け日経新聞が「国会運営も政治主導」と題した記事を掲載した。
星一徹の千本ノックのような「しごき」に、民主党のセンセイたちが果たして耐えられるのか、多少心配だが、小沢幹事長の鬼のシゴキに、多くの国民が「徹底的にやれー!」と、拍手喝采を送っている。

官僚答弁の禁止は、これまで何度も言われてきたことで、既に自民党政権でもそれなりに進められてきた。
その昔、「立場をよくわきまえた」外務大臣が、「その件は大変重要なので、局長からお答えさせます。」と答弁して失笑を買った牧歌的な時代は去り、今や、予算委員会では答弁は文字通り大臣が主役だ。
その他の委員会ではまだまだ局長答弁も多いが、それでも大臣答弁のウェートは格段に大きくなっていて、大臣答弁は各質問者の持ち時間の導入と締めくくりだけだという時代が嘘のようだ。

この日経の記事にあるように、今度こそ、国会での言論が真に政治家のものになるのであれば、それは画期的であり、脱官僚政治を最も端的に示すものとして大いに評価されるべきだ。
ただし、それが実現するためには、国会での言論の「質」そのものが変わる必要がある。

NHKのテレビカメラが入る予算委員会は、昔から「対決委員会」としての色彩が強く、議論らしい議論がなされる傾向が強かったが、テレビが入らないそれ以外の省庁別委員会は途端にダラけて、「仲良し委員会」として和気あいあいとやっていた。

国会質疑は、事前に官僚が、質問者として立つ議員とコンタクトをとり、会館事務所などで議員本人や秘書と会い、どういう質問をするのか、あらかじめ聞いたうえで準備が行われる。
議員や秘書とのやりとりをもとに質問が筆耕され、それに対して想定問答が担当課で作成され、局長や課長が大臣や副大臣に事前レクチャーするのだ。
なので、昔の自民党の時代であれば、委員会審議では、質問に対応する想定問答の答えを読みあげれば、自動的に審議は進んでいった。
それは、答弁者が大臣であろうが、官僚である局長であろうが、事情は同じだった。

かなり昔のこと、某委員会で局長が問いの順番を間違い、一つ後の問いに対する答えを読み上げてしまったことがある。
そのときの質問者は、「ただいま、局長から、わたしがこれからしようとしている質問に対するお答えを先に頂き、ありがとうございました。」と言って、委員会室をわかせていた。
仲良し委員会という名に違わない、なんとも微笑ましくも、呆れ果てた光景だった。

このような光景がなぜ見られたかといえば、それは、省庁別委員会がほとんど陳情の場になり下がっていたからだ。
国道○○号線の××区間の工事はいつ着手されるのかといった、大きな政策テーマとほとんど何の関係もないような各地方における個別プロジェクトの推進を陳情するような質問ばかり目立ったものだ。
この「先走り答弁」も、このような陳情案件に関するものだった。
代議士センセイとしては、地元の懸案プロジェクトを国会で取り上げることで、地元に対して仕事をしているフリをすることができたのだ。

官僚でなければ答えられないような質問は、そもそも国会の場で審議すべき代物ではないのだから、「その件については、後ほど事務的に説明させます。」とでも答えれば済んだのだろう。
しかし、「色のついた」答弁をしてやることで、その代議士センセイに点数を稼がせ、恩を売っていたのだ。

民主党政権になり、省庁別委員会でも、もはやこのような牧歌的な審議風景ばかりではなくなり、国会審議が格段と緊張感を持ったものとなった。
野党である民主党が、国会審議の質を変えたのだ。
例の年金問題をはじめ、民主党が国会で堂々と政策論議を挑む姿は、民主党の政権担当能力を強く印象づける効果があったのは間違いないし、そのような議論を準備するために政策を勉強し、さらに政権担当能力を磨くことにもつながった。
一方、それに対する自民党の大臣たちも、「その件は重要なので…」と答弁した頃と比べて格段と高い答弁能力を身につけていて、昔を知る人を唸らせたものだ。
もはや、討論力がなければ、大臣としても立ち行かない時代になったのだ。

国会審議で脱官僚を図るということは、国会審議の質を国政の言論の府にふさわしいレベルに高めるということであり、その認識が与野党の議員たちから共有されなければならない。
いくら与党である民主党がそれを目指しても、野党の自民党がその理想を共有しないと実現は難しい。
その意味で、野党・自民党の対応ぶりが注目される。
かつての民主党がそうだったように、今度は野党・自民党が、実質的な政策論議を行えることを見せることで、自らの政権担当能力を示さなければならない。

この日経の記事で、多くの人を驚愕させたことがある。
上で述べた事前の質問とりを、政務官が行うということだ。
官僚と議員の「濃厚接触」の禁止という原則からは当然のこととはいえ、多くの官僚たちは「嘘だろ?」と思ったことだろう。
政務官といえば、民主党が霞が関に送り込んだ議員センセイだ。
「バッヂが自分で質問とりをやるというのか。そんなこと、マジでできるのか。」というのが、大方の反応だろう。

委員会質疑のための事前の質問とりは、各省庁の課長補佐クラスの仕事だった。
質問するセンセイの方も、直前になって質問者として指名されたりして、何の準備もできていないこともあった。
一人のセンセイがいくつかの委員会を「かけもち」しなければならなかったので、無理もない面もあった。
そんなときは、とりあえず役人から話を聞いて、秘書が泥縄式でテキトーに質問をデッチ上げることもあった。
与党・自民党の「気心の知れた」センセイなどは、「悪いんだけど、質問も考えておいてくれないかなー?」などと、ウィンクしながら気軽に頼むものだから、質問と、それに対する想定問答の両方を霞が関で用意していた、などという笑えない話もよく聞いた。
これでは、まるで、霞が関のシナリオで国会が動くようなもので、その準備をさせられる官僚でさえもバカバカしい気持ちで、「やれやれ」と呟いていたことだろう。

このように、「質問取り」は、実のところ、特定の行政分野についてのレクチャーも兼ねたものだったため、その政策について説明できる課長補佐に質問取りに行かせるという慣行になったのだろう。
質問するセンセイの方も、中身のわからない幹部に来られるよりも、その方がありがたかったかもしれない。
それを、省庁でナンバー3の政務官殿に行けというのだから、これはもう驚き以外の何物でもない。
小沢式スパルタ教育の真骨頂というべきだろう。

現実的にはいろいろ難しいことがある。
法案審議ともなれば、かなりの人数の質問者になる。
そられの人たちに、ほんとうに政務官自らが「質問とり」に出向くということが、物理的に可能なのだろうか、といった疑問だ。
これが実現可能であるためには、いくつかの条件が必要だ。

まずは、質問者のセンセイも、質問とりに行く政務官も、関連する政策分野について共通の理解がなければならない。
質問するセンセイが何も知らなかったり、質問を取りにいく政務官が何も知らないということでは、質問をおこすことすらままならないだろう。
その意味で、質問する方にも、される方にも、それなりの知識と能力が要求されることであり、民主党のセンセイのみならず、野党・自民党のセンセイにとっても、「小沢式」はキビシイものといえる。

次に、単なるデータや事実を確認するような、「くだらない」質問をなくさなければならない。
これまでも、細かい事実関係をクドクド聞くような質問で「時間稼ぎ」をすることもあったが、そのような、官僚しか答えられないような「くだらない」質問をしないというルールを確立しなければならない。
そんな質疑をしないように議員運営委員会で申合わせをすべきだし、そんな質問をするセンセーがいたら、委員長がタオルを投げ込むことで、質問者に恥をかかせなければならない。
「つまらない質問を言論の府で質問することは、恥ずかしいことだ」というカルチャー作るべきだし、そんな質問に対しては、「後ほど、事務的に説明させます」と言ってあしらえばよいことにすべきだ。

その上で、政務官による質問とりは、質問の骨子だけでとどめ、個々の質問についていちいち事務方が用意した想定問答に頼らなくても、基礎データ集だけをよりどころに、大臣、副大臣、政務官の政務三役チームの日頃から蓄えた基礎力だけで政策論議を行えるようにすべきだろう。

これらの条件が満たされるなら、これまでの質問取りのようにいちいち会館事務所に出向いて「ご進講」する必要もないので、電話ででもできる。
そうすれば、政務官が質問とりをするのも、物理的に十分可能だろう。

そのほかにも、予算委員会以外の審議も、もっと国民に見えるようにしなければならない。
今でも衆議院や参議院のホームページから、インターネットで審議中継を見ることができるが、人気番組になるとつながりにくくなるし、そもそもいつ、どういう審議があるのか、事前にはほとんどわからない。
国民が、それぞれ興味ある分野の国会審議が、もっと手軽にインターネットで見れるようにすれば、予算委員会以外の審議も、より緊張感あるものになるだろう。

あるいは、与野党を問わず党議拘束をかけずに審議に臨み、真に言論のみで結論を導き出すような審議事項を増やすべきだ。
与野党の議席数の違いで最初から結論が見えていることばかりを議論するのでは、やっている方も見ている方も身が入らない。
言論の結果で、どういう結論になるかわからないという審議がもっとあっていいはずだ。

さらには、イギリスのクエスチョン・タイムのように、党首同士の言論の機会をもっと増やすべきだ。
イギリスのクエスチョン・タイムは、あまりにも面白いので、日本の国会審議は見なくても、イギリス上院のホームページでクエスチョン・タイムを楽しんでいる日本人も多い。
麻生政権のときの、麻生-鳩山討論は、それなりに見応えがあった。
ぜひ、イギリスを見習って、見応えのある党首討論の機会を増やすべきだ。

「小沢式」の塾長は、既に委員会の定員を減らすことで、議員のかけもちをなくし、特定の政策分野に議員が集中できるようにしようとしているとのことだが、大事なことだ。
さらにできるならば、与野党が協力し、できるだけ事前に質問者を固め、質問する方も、答弁する方も、しっかり事前勉強ができるようにしてあげるべきだろう。

これまでは、一部に勉強熱心なセンセーがいる一方で、多くのセンセーは、勉強がとても嫌いだった。
いや、正確には、勉強するヒマさえなかった。
勉強なんかしているヒマがあるくらいなら、地元回りをしなければ、次の選挙でタダの人になったのだ。
今回は台風のような追い風が吹いたからいいものの、次の選挙まで台風が残ってくれる保証はどこにもない。
こんな、鬼のような教育ママの言うことを聞いて勉強ばかりしても、次の選挙で「タダのモノ知り」になってしまうのではないかと、民主党のセンセイは心配になることだろう。
その心配を乗り越えなければ、脱官僚政治は心もとない。

個々の質問について官僚が用意した想定問答に頼るのではなく、事前によく勉強した頭と頭で、議論らしい議論をする姿を国民に見てもらうことが、政治に対する国民の関心を呼び覚ます最良の方法だろう。

議会制民主主義とは採決のことだと誤信する人が多いが、議会制民主主義は、言論を戦わせることで最もその機能を発揮する。
採決は、時間が有限なのでいつまでも議論を続けるわけにはいかず、しかたなく白黒をつけるために行うものだ。
「小沢式」スパルタ教育が、与野党を問わず、議員センセーをシゴきまくり、国会が真の言論の府として確固たる地位を築くことができるように、大きな声援を送りたい。


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