一億人の白痴に二度敗北した菅総理のイライラ
2010年07月14日
民主党の副代表のとき、小泉総理が仕掛けた郵政選挙で大敗して、「一億総白痴化になってますよ」とテレビで叫び[2]、世間の失笑を買った菅総理は、今回の選挙結果を前に、まったく同じ言葉が喉元までこみ上げていたことだろう。
一度ならずも二度までも、菅氏はなぜ一億人の白痴に完敗してしまったのだろうか。
日本の宰相でありながら「米・海兵隊が抑止力を担っているとは知りませんでした」といって世界中を唖然とさせ、辞任した鳩山総理の後を受け登場した菅総理は、総理就任に先立つ今年の一月、参議院予算委員会で、まともな大学の教養課程の学生ならフツーに知っているはずの「消費性向」、「乗数効果」について問われて意味がわららず、これまた世間を呆れさせた。
海外の識者は、「日本の指導者というのは皆こんなにバカなのか?」とか、「バカを好んで自分たちの指導者にして優越感に浸る意地の悪い国民なのか?」とか、マジで訊ねたいことだろう。
実際、塩爺こと塩川正十郎氏が、アメリカの友人から「日本人はカネさえあれば総理大臣になれるのか」と笑われ、「恥ずかしい思いに駆られた」と述懐している。[1]
塩爺のファンとしては、かつて岡倉天心がニューヨークの路上でアメリカ人から「おまえは中国人(Chinese)か日本人か(Japanese)?」と揶揄されたのに対して、「おまえは、ロバ(ドンキー)か、猿(マンキー)か、それともヤンキーか?」とやり返したように、スカッとする反撃を加えてほしかったところだ。
もっとも、「ありもしない大量殺戮兵器を理由にみんなをイラク戦争に道連れにし、挙句の果てには、テロとの戦いどころか、イラクをテロまみれにしてしまったアメリカの指導者は、「芋」のスペルすらちゃんと書けなかったじゃないか。」とか、
「西欧文明の源流とも言える二国をみてみろよ。一つは金を使い込んで国家破綻目前だし、もう一つの国の首相なんかは、国政よりも女の尻を追っかける方に忙しいじゃないか。」
などと切り返してみたところで、やはり虚しさは残る(笑)。
むしろ、「日本は、菅総理のように、知恵や器はおろか、カネすらなくても総理になれる国なのだ。何もなくても総理になれる国なんて、素晴らしいじゃないか。」と胸を張るべきかもしれない。
ちょっと前に、そのバカさがウリだった森総理が、あんなバカでも総理になれるならオレでもなれるかもと、多くの小中学生に勇気と希望を与えた。
今度は、菅総理を見た人たちが、ちょっとしたことにすぐキレる俺でも総理になれるかもしれんなぁと思い始めたかもしれない。
カネなし、知恵なし、器なしの「三ない」人間であっても総理になることができ、すべての国民に総理の椅子に座るチャンスが開けている国なんて、世界広しといえども、そうはないだろう。
マクロ経済のイロハも知らないその菅総理が、増税すると経済が成長するという驚くべき経済理論を片手に、なんの根拠もなく突然消費税10%をブチ上げて参議院選挙に突入し、あえなく大敗した。
南洋諸島で、投入する兵士のほとんどを玉砕で失った帝国陸軍でさえ驚くような「思いつき」戦法に、海外メディアの多くは、日本人のDNAに潜む狂気を見た思いがして、背筋に冷たいものが走ったことだろう(笑)。
3回の落選を経て1980年に国会議員に初当選したときに、先輩議員たちに「どうしたら総理になれるんですか。」と真顔で聞いて回って呆れさせたという、その頃から既に今のバカさ加減の片鱗を窺わせるような逸話の持ち主が、年来の念願をやっと果たし、今年の6月に第94代総理に就任した。
その菅総理が、発足から9か月が経った民主党政権に対する国民の信任を賭けて臨んだのが今回の参議院選挙だった。
野党時代は、選挙を経ずして自民党総裁が次々と交代するのを批判して、選挙を経ずに総理になった者は、総選挙を実施して国民に信を問うべきだと強く主張していた。
自分の言ったことに忠実であろうとするならば、本来は、衆議院を解散して衆参ダブル選挙に打って出るべきだったのだろう。
ところが、自分のことになると急にトーンダウンして、この参議院選挙が事実上の信任を問う選挙だといった。
しかも、その「事実上の信任」すら得られずに大敗を喫したにもかかわらす、早々に続投を表明し、9月に予定されている代表選挙でも再選を目指すという。
市民派政治家を自認しているからかもしれないが、恥も外聞も捨てて会社にしがみつくサラリーマンのように惨めに居座り続けるよりも、散り際美しく、潔く辞任して、戦後最短の在任期間の総理として長く歴史に名を残す道を選ぶ方が清々しかったかもしれない。
小鳩ツートップの辞任にもかかわらず、今回の参議院選挙で民主党が大敗したのは、民主党が繰り出した二人の指導者のいずれもが、国家をあずかる器でなかったことを国民が痛いほど思い知らされたからだろう。
「特別会計を見直せば20兆円くらいすぐ出てきますよ」、「アメリカに媚びへつらい続けるのではなく対等の関係を」、「これ以上沖縄県民に負担を押し付けるわけにはいかない。普天間基地の移設先は国外に。」と、言っていることはどれももっともなことだった。
しかし、その一つ一つが、政治課題としてはとても重いものであり、民主党の二人の代表よりも何倍も器の大きな政治家ですら、その総理の任期をかけてどれか一つでも実現させることができれば大変な業績となるくらいものテーマだ。
そういう見極めすらできず、それに見合う決意も持ち合わせずに、宴席ネタのようにペラペラと喋るものだから、いざ実際にその責任を負い、その任の重さを感じた途端にひるんで右往左往するのを、国民はやるかたない気持ちで見せられ続けることにウンザリしたのだ。
これを統治能力の欠如と言わずして、何と言えばいいのだろう。
菅総理が、思いつきの消費税10%発言で見事なオウンゴールを決めたのも、消費税引上げの言及の仕方に、鳩山総理と同じ「あやうさ」を有権者が嗅ぎつけたからだろう。
菅総理から見れば、総理になるという目標を成就したので、今度は総理としての業績をカッコよく残したいと思ったのかもしれない。
それには、今の日本の最大の国家的課題、すなわち財政再建が一番だ。
日本をギリシアのような国家破綻の危機の寸前で食い止め、昭和の高橋是清のように歴史にカッコよく名を残したい…。そう思ったのだろう。
民主主義というのは、国王の徴税大権に対するチェックとして生まれたものだ。
だから、税金の引上げに対して有権者が強く身構えるのは当然のことだ。
まして、消費税というすべての国民の負担となる税金の税率をいきなり倍にするというのだから、相当の決意と覚悟で言ってもらわなければ困る。
カッコよく歴史に名を残したいというだけで、気軽にブチ上げるような話ではないのだ。
その決意のほどを見極めようとしたら案の定、途端に腰砕けになって、低所得者に還付するだの、軽減税率を導入するなど、苦し紛れに出来もしないことを乱発し、普天間移設のときのように右往左往の迷走を始めてしまった。
消費税が導入されたとき、なぜ全物品一律税率とされたのか。
それ以前のように、コーヒーには20%の物品税がかかるのに紅茶は無税、チョコレートは課税されるがココアは無税といった悪夢のような税制の迷宮を放置したままでは、およそ国民は納得しなかっただろう。
簡素で公正、公平な一律課税とされたことで、誰かが得をし、誰かがワリを食うという心配もなく、「まあ、仕方ないな」と納得したのだ。
軽減税率を導入することで、せっかく皆がしぶしぶ納得したものを元の木阿弥にしようというのだろうか。
低所得者への還付にしても、サラリーマンと自営業者のように、所得補足率の違いを放置したまま還付される人、されない人が生じることの不公平をどうするつもりなのか。
それに、何かを買う度に常に領収書を発行してもらえというのだろうか。
還付金の請求に対して、何百枚もの領収書を手で繰りながらチェックしていくのだろうか。
還付金を払い戻した上に、そんな膨大な徴税コストをかけてしまえば、せっかくの増収効果も限定的だろう。
さらに、還付金目当ての領収書の横流しや不正発給をどう防ぐのだろうか。
それとも、大根一本を買うときも、名前を記入した領収書を書いてもらえと言うのだろうか。
日本をギリシアのようにしてはいけないという主張はそのとおりだろう。
多くの国民は、菅総理の言っていること自体は決して間違ってはいないと感じている。
世論調査で、消費税の引上げ自体はやむを得ないと回答する人が多数を占めていることがそのことを示している。
問題は、そのやり方なのだ。
言っていることはもっともだが、軽薄な素人政治がそれを台無しにするという民主党政治の十八番が、またもや繰り返されたのだ。
財政再建のために消費税率を引き上げるというのは、とてつもなく重い政治課題だ。
超重量級の政治家が、数年間の任期のすべてを使って、その政治エネルギーのすべてを賭けて取り組むような代物だ。
総理になるずっと前からその政治使命を静かに抱き続け、そのために周到に準備を進め、それを成し遂げるために強い政治基盤を育み、その時機が訪れたときには決然と、自らのすべてを燃焼させ、政治家としての自己をすべて投じてこそ成し遂げることのできるような一大事業なのだ。
叩きのめしても、叩きのめしても這い上がってきて、「どうかお願いします。税率を上げさせてください。」とうわ言のように繰り返しながら、頭を下げられて、仕方なく認めてやるくらいの有権者でなければならない。
消費税率を倍にするというような話を、カジュアルな「ノリ」で口にするような政治家に、ホイホイと理解を示すような有権者であっては困るのだ。
その意味で、消費税率の引上げはいずれやむを得ないと思いつつも、「小遣いがなくなったからちょーだい」とばかりに手を出した菅総理を叩きのめした有権者は、まったく「まとも」な有権者だったということだろう。
これからも、うわっついた気持ちで手を出す奴がいれば、徹底的に叩きのめし続けなければならない。
民主国家における有権者が持つ一票の基本的意義の一つが、国家の徴税権の濫用をチェックすることであることからも、それは当然のことだ。
谷底に蹴り落とそうとする足に食らいつき、しがみつき、叩きのめされても叩きのめされても這い上がって説得し続ける政治家だけを救う、ライオンの親でなければならないのだ。
一発叩かれただけで、すぐヒーヒー言って逃げ回るような意気地なしを食わせ続けるほど、ライオンの親に余裕はないのだ。
昨年の総選挙は、民主党が勝ったのではなく自民党が負けた選挙で、今度の参議院選挙は自民党が勝ったのではなく、民主党が負けた選挙だった。
二大政党政治というのは、二大政党のどちらかが勝つ選挙ではなく、一方の政党にレッドカードが出されることによって、控えの選手に出番が回ってくる政治なのだ。
これまでは、控えの選手がいないために、先発の選手にレッドカードを出せなかったのが、政権交代が可能となることで、レッドカードが出しやすくなったということだ。
しかも困ったことに、これまでなかなかレッドカードを出せなかったフラストレーションが溜まっている日本の審判(有権者)は、レッドカードを乱発する傾向がある(笑)。
しかし、とにもかくにも、出番が回ってきた控えの選手にとっては大きなチャンスなのだから、そのチャンスをしっかり自分のものにして、レギュラーの座を確保しなければならない。
今回のサッカー・ワールドカップで、それまでは出番のなかった川島ゴールキーパーが、出番を得て日本の守護神として大きく花開いたように。
昨年の衆議院総選挙で、自民党に対する大きな失望と表裏一体の大きな期待を背に、これまで控えの選手だった民主党は、初めて出番を得た。
ところが、まともな訓練すらしていないピッチャーを登板させたものだから、登板早々、暴投の連続で、いきなり満塁になってしまった。
これはいかんと降板させて次のピッチャーを登板されたら、今度はいいカッコをしようとしてまたもや暴投をしてしまい、押し出しで点を失ってしまった…、というところだろう。
しかし、これは相手チームである自民党がヒットを打って得点したわけではない。
ここで投手(党首)が立ち直れば、打撃力で勝る民主党に分がある。しかし、投手がガタガタなままでは、押し出しの得点だけでコールド負けになるだろう。
一方の自民党としては、早く打撃力をつけなければ、民主党の投手が立ち直れば勝ち目はない。
民主党の投手力が立ち直るのが早いか、自民党の打撃力が回復するのが早いか。
今度の選挙の結果を、自分たちのヒットによる得点と錯覚した自民党が、せっかく緒についたばかりの党改革の手綱を緩めることがあれば、比例での得票数の減少に歯止めがかかっていないのを見てもわかるように、党勢の衰退は決定的なものになるかもしれない。
もしも次の総選挙で政権を奪還することができなければ、自民党の溶解は大きく進むことになるだろう。
さて、その衆議院総選挙。
4年間は解散はしないという民主党の当初の思惑にもかかわらず、意外と早まるのではないかと多くの人が思い始めている。
いわゆる解散風が吹き始めたということだ。
その来るべき選挙で有権者が両党に問いたいとのは、「どれだけ変わることができたのか?」ということだろう。
口先政党でしかなかった民主党は、権力を支える責任というものがどれだけ重いものかかを知った責任政党へと成長することができたのか。
自民党は、政策もビジョンもなく既得権益と利権の力学だけが支配する族議員・部会政治から脱皮し、党首のリーダーシップのもとに明確な政策ビジョンを実現できる筋肉質の政党ガバナンスを身につけることができたのか。
これらの問いに対して、「その実現に向けて努力します」というアテにならない約束ではなく、「ここまでできました」という実績報告で答えてもらいたいものだ。
特に、自民党がレギュラー選手の一端を担い続けようとするのであれば、今回の民主党のオウン・ゴールを最大限利用して、徹底的な党改革を急がなければならない。
[1]「日本は『宰相不幸社会』だ」(塩川正十郎)文藝春秋2010年8月号
[2] 夕刊フジ 2010年7月14日
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