「もらえる者」と「もらえない者」に差別化される国民のうっ憤
2010年06月18日
今一つ盛り上がりに欠ける参議院選挙に向けて、民主党がマニフェストを発表した。
中でも注目は、子ども手当と消費税増税。
この二つを併せ読むことで見えてくる民主党政権の今後とは?
昨年は「税金を使った買収じゃないか」と非難され、今年は「満額支給を放棄するなんて詐欺じゃないか」と罵られる子ども手当。
今日公表された民主党マニフェストは、「財源を確保しつつ」、現在支給されている1万3000円から上積みをするという。
しかも、上積み分は、保育所に入れなくて待機させられている待機児童を減らすための定員増や、保育料の減免などへ「流用」できるようにするという。
額を明示した昨年と比べ、今年は上積み額がいくらなのかさえわからず、すこぶる歯切れが悪いが、さらにそれを他の施策のために流用するというのでは、そもそも上積みと言えるのかどうかすら怪しい。
さらに、気になるのは、「財源を確保しつつ」という文言だ。
「なぜ一番を目指さなければならないんですか」という元クラリオン・ガールの呆れた一言で日本経済を支える科学者たちを敵に回してまで財源探しに明け暮れたものの、結局出てきた額は子ども手当に必要な財源の4分の1だった。
今年は、もうそれすら難しいだろう。
では、この「財源を確保しつつ」とは、一体、どうするつもりなのだろうか。
子ども手当ては、農家への個別所得補償とあいまって、民主党の「配分型政策」、いわゆるバラマキ政策の双璧をなすものだ。
施設を整備したり、公共サービスに従事する職員を増やしたりするこれまでの施策が、サービスの供給サイドの充実を目指すのに対して、配分型政策は世帯に直接お金を渡す需要サイドの政策だ。
そのため、お金をもらえる人たちは、一般的に「ありがたい」と感じるのに対して、もらえない方はなんとなく釈然としない気持ちが強い。
まして、そのバラマキが自分たちが「ワリを食う」ことで支えられていると感じたら、なおのことだ。
財源不足もあって、子ども手当に必要な財源の一部を、控除の見直しなどで補填することにしたため、子ども手当や高校無償化の対象となる子供のいない世帯は、「損した」気分になっている。
さらに、昨年は轟々たる非難の前に先送りされた配偶者控除の廃止も、選挙の結果によっては今年実行されるかもしれない。
となると、さらに多くの世帯が「損した」気分を味わうことになろう。
まして、子供はいるが既に大学に進学したばかりだという世帯からみれば、ちょっとしたタイミングの違いで、現在の半額支給ですら一人当たり265万円、さらに上積みされるとすればそれ以上の大金を「もらい損なった」ことに、不公平感が募る。
そういう人たちであっても、子育てに税金を投入すること自体に反対しているわけではない。
持続可能な社会を築くためには、際限のない少子化に歯止めをかける必要があると思っている。
問題はそのやり方なのだ。
保育所の整備に資金を投入すれば、それは社会の共有財産として次代に残すことができる。
しかし、その金を個人に直接渡してしまえば、それは個人資産に化けるだけで、社会の公共財としては何も残らない。
誰かがワリを食っても、それによって多くの人が恩恵に浴することのできる公共財が整備されるのであれば、少しは我慢しようという気にもなる。
しかし、その金で、どこの馬の骨かもわからない奴らが、「ラッキー♪」とばかりに、パチンコに使ったり、贅沢なアクセサリーを買ったり、分不相応な車を乗り回したりするのではどうだろうか。
あるいは、そもそも手当の必要すらない裕福な人たちの個人資産をさらに増やすだけになるのでは、「ワリわ食った」人たちはどう感じるだろうか。
しかも、日本にいる外国人が母国に残してきた子供たちには支給され、海外で働く日本人の子供たちには支給されないというのだから、長妻厚労大臣は、どこまで自分たちをバカにすれば気が済むのだろうと怒りに身を震わせた人も多かった。
さすがにこの点は今後改善するとのことだが、民団(在日本大韓民国民団)などから強力な支援を受けている人たちが、果たしてちゃんと見直せるのだろうか。
多くの人が、こういうことに対して、ほとほとやるせない気持ちになっているのだ。
「子ども手当」と銘打たれてはいるが、実際は使途に何の制限もないのだから、正確には「子ども(のいる人への)手当」でしかない。
きちんと使われたならば、これから何代にもわたって多くの子育て世帯が恩恵を受ける公共財の整備ができたであろう金が、毎年3兆円近くもみすみすタレ流しされていく。
こんなのに使われるために、扶養控除が廃止され、さらには配偶者控除が廃止され、それでなくても薄い給料袋がさらに薄くなることを我慢しろというのは、どう考えてもフェアだとは思えないのだ。
さらに、話が消費税率の引上げとからむとややこしくなる。
民主党マニフェストは消費税率の引上げ幅を明記していなかったが、自民党が消費税率の引上げを当面10%という数字とともに掲げたのに慌てたのか、菅総理は会見で同じ10%という数字を口頭で示した。
よっぽど社会に疎い「情弱」か、よっぽど「自分だけがよければそれでよし」と考えるエゴイストでもなければ、ほとんどの国民は財政再建のために消費税率の引上げはいずれ不可避と思っている。
しかしその一方で、この「金にだらしない」民主党政権が、生活を直撃する消費税増税を、本当に財政再建のために使うのかと心配する人々は多い。
多くの国民は、痛みの伴う増税の前には、「もうこれ以上絞っても一滴も出ない」と感じるくらいにムダな支出を徹底的に削ってほしいと願っている。
にもかかわらず、ムダの象徴にしか思えない果てしないバラマキが、庶民に痛みを強いる消費税増税で賄われるのではないかという疑念を多くの国民が抱いているのだ。
昨年の総選挙前は、「特別会計まで含めれば200兆円を超える予算の見直しで、その1割くらいの財源なんて、すぐ出せますよ。」という、証券マンですら躊躇するようないい加減な勧誘文句を連発していた。
ところか、事業仕分けの見かけ上の派手さとは裏腹に、捻出できた財源は、大見えをきった額の1割はおろか1%にも満たなかった。
挙句の果てに、恒久財源と言えるものは乏しく、米櫃(こめびつ)の底をこそぐようにしてかき集めたその場しのぎのような金ばかりだった。
これでは、事業仕分けとは、所詮、客寄せだけが目的のプロレスみたいなものだったということだろう。
結果として、2010年度予算は、一般会計総額で過去最高の92兆3000億円となり、戦後初めて、当初予算から既に国債発行額が、税収見込み(37兆4000億円)を上回る44兆3000億円となった。
押し潰されそうな借金のツケを子供たちに残すことで、その親たちに使途自由の「お手当て」を支給するという倒錯した政策に、呆れを通り越して絶望を感じた国民も多かったに違いない。
現在5%の消費税率を10%へと5%引き上げるとして、そのうちの約1.5%が子供手当てに回る計算になる。
民主党の公約にあるように、さらに上積みを目指すとなれば2%くらいになるのだろう。
これで、去年のように、財源を確保するために毎年埋蔵金探しをするといったその場しのぎを続ける必要はなくなるのかもしれない。
しかし、大きな痛みの伴う消費税増税が、民主党の政策の真骨頂とも言うべき際限のないバラマキ政策のための恒久財源として使われるというのでは、扶養控除の廃止の場合以上に、多くの国民に強い憤りを与えるものだろう。
しかし、民主党の立場は悪い。
既に子ども手当の満額支給を見送ったことですら、それを期待していた人たちからは約束違反だと責められている。
まして、廃止するなどということは、口が裂けても言えないだろう。
その一方で、消費税の5%増税を国民の訴えれば、「選挙対策のための買収のようなバラマキを続けるために消費税を引き上げるとは、国民をナメてるのか!」と、多くの人の反感を買うことになるだろう。
子育てのための負担を軽減し、子供を生みやすく、育てやすくすることは重要だろう。
しかし、そのために使う税金は、きちんとその目的のために使われ、そして、真に支援を必要とする人に対して使われべきだ。
そして、できることなら、次世代に公共財として引き継ぐことのできる形のあるものとして残していくように使うべきだろう。
とすれば、今の子ども手当のように、濡れ手に粟のような「お手当」という形ではなく、子育てに係る公共や民間のサービス料金を引き下げたり、地方公共団体が必要な保育所の新増設を進めることに使うのが筋だろう。
子育て支援策と、財政再建のための消費税引き上げ。
この二つが間違った形で絡み合ってしまうと、その両方がおかしくなってしまうだろう。
民主党のマニフェストを読む限り、まさにその方向へと邁進しているように思える。
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