総理の大量消費によっても癒されない渇き
2010年06月08日
安倍、福田、麻生という、国民が選んでもいない総理がほぼ一年の間総理を務めることができたのに、熱狂的な拍手喝采によって国民から選択された鳩山首相が、わずか8か月で政権を投げ出した。
そして今週、菅内閣がスタートした。
海外のメディアは、表向きでは 使い捨てのような政治家しかいない日本の有権者を気の毒がるが、裏では「どうせ、桜のように毎年咲いてはすぐ散るのだろう。」とか、「サミットでは、日本の首相だけは名札を付けさせるべきだ。名前を憶えたと思ったら、すぐいなくなるからね。」と、陰口を叩いて楽しんでいる。
この屈辱から、日本人は何かを学ぶことができるのだろうか。
いつも見かける光景だと思う。
熱愛カップルに芸能レポーターが質問する。
「○○さんって、あなたにとってどんな方ですか?」
質問された女性タレントは、潤んだ目で婚約者を見つめながら答える。
「こんな最高の人と巡り合うなんて奇跡です。」
そのわずか数か月後、大方の予想どおりに破局を迎え、メディア上で泥沼の中傷合戦を繰り広げる二人。
かの女性タレントは言う。
「あんな奴、最低だわ。」
そんな彼女を見る世間の視線は冷たい。
「最低なのはお前だろ。」
この女性タレントが、次回は幸せな結婚をする可能性は決して高くはない。
熱ものが喉元を通り過ぎてしばらく経てば、再び「最高の人」に巡り合い、そして数か月後には、「最低な奴!」と吐き捨てるように罵っているのだろう。
彼女自身が大人に成長して、結婚リテラシーを身につけない限り、結局は同じことを繰り返し続けるのだ。
わずか9か月前の選挙で、国民の熱狂的な歓声を受けて登場した鳩山首相が、去る6月2日、「最低な奴!」と国民から罵られながら辞任した。
そんな日本国民を見る他国の人々の視線は冷ややかだ。
「最低なのはお前たち自身じゃないのか」
リーダー不在だから有権者が馬鹿なままのか、馬鹿な有権者だからまともなリーダーが育たないのか。
世の中によくあるこのような「卵と鶏」問題は、多くの場合、その両方が欠けているから起きる。
そして、解決するためには、多くの場合、その両方を同時に必要とするのだ。
恋愛と結婚は別物だ。
楽しければそれでよい恋愛と違って、結婚は、ともに生活、家族を守り、築き上げていくパートナーを選択することだ。
結婚リテラシーを身につけるということは、それを理解し、実践することだ。
大人になるということは、そういうことだ。
6月4日付け朝日新聞に、英エコノミスト誌の元編集長のビル・エモット氏が寄稿している。
氏いわく、鳩山首相は「理想主義者であり、人柄もまじめ。だが明らかに、良い指導者ではなかった。」
そして、「鳩山氏がとりわけ、普天間問題で明確な思考を欠き、強い指導力を発揮しなかったことは、国際社会における日本の名声を損なった。」と言う。
英国人らしい婉曲さでオブラートに包んではいるが、直訳すれば、
「ちょっといい奴みたいだというだけで、まともな思考すらできない男を簡単に総理にしてしまう日本というのは、救いようのないアホな国だなあと、国際社会は嗤ってますよ。」
ということだ。
官僚コンプレックスの裏返しのような「脱官僚政治」を標榜しては、お粗末な素人政治で迷走を繰り返す。
官僚依存は脱したのかもしれないが、幹事長依存どっぷりで、自己の欠片もない雇われマダムの雇われ先が変わっただけだった。
しかも、新たな雇われ先は政治資金で不動産投資に励むブラックな奴だった。
「ちょっと良さそうな男というだけで、すぐポーッとするんじゃなく、まともな奴かどうか、結婚する前に、クールな頭でもう少し慎重に見極めたらどうだね。大人なんでしょ、君たちは。」
ビル・エモット氏は、日本国民にそう言いたいのだろう。
冷夏にもかかわらず、粗悪品の「友愛ソフトクリーム」が溶けてしまった。
ベタベタと気持ちの悪い手のひらを眺めながら、「あーあ、こんなの買うんじゃなかったな。」と、多くの人が自分たちの浅はかな選択を後悔している。
今となってみれば、まともに大臣の経験すらない男を、これまでの実績をきちんとチェックすることもなく、見かけに騙されて総理にしてしまったのだから、有権者も甘いといえば、甘い。
これでは、イケメンしか取り柄のない男にうつつを抜かして何度も騙されている、頭の悪い女タレントと同じではないか。
どうすれば、結婚リテラシーを持った大人の女になることができるのだろうか。
小泉首相の後、次々と総理を繰り出しては、世論調査の支持率が下がったといって首をすげ替え、3人もの貴重な人材を消費し尽してしまった自民党。
最後には、超新星爆発によって小党を放出して自壊してしまった。
後に残った「死の星」の総裁を務めている谷垣氏は、その実直さ、誠実さで、市役所の係長なら「はまり役」だったかもしれないが、野党党首に必要なファィティングスピリットは微塵も感じられない。
テレビに向かって語るその姿は、自分を与党党首と錯覚しているかのような余裕すら漂わせ、あと10年続けても政権をもぎ取れそうな気はまったくしない。
一方の民主党代表は、国民の熱狂的な期待で頂点に上りつめたものの、わずか8か月でブーイングの嵐で追い出された。
大臣の経験すらない「やさ男」をいきなり1億2千万人の指導者にしようというのだから、どだい無理な話だったのだろう。
命取りとなった普天間問題にしても、辺野古の現行案以外どう考えてもあり得ないのだから、政権奪取後のことを考えて、「責任ある立場になるんだから、そんな安請負、簡単にするもんじゃない」と、どうして誰かが諌めることができなかったのだろうか。
官房長官や大臣の経験を十分積んだ上で、党代表として指導力を発揮するという道を、どうしてとれなかったのだろうか。
既に4人の総理を「消費」し続けた後、菅総理が誕生した。
しかし、これで総理の「大量消費」が打ち止めになると思う人は少ない。
なぜこんなにも日本の総理の耐用年数は短いのだろうか。
戦後の総理の在任期間で1000日を超えたのは、吉田茂、岸信介、池田勇人、佐藤栄作、中曽根康弘、小泉純一郎の6人だけだ。
「三角大福」と言われてプロレスのバトルロワイヤルもどきに総理の座を争って一世を風靡した三木武夫、田中角栄、大平正芳、福田赳夫は、いずれも1000日に達してない。
この1000日、つまり約3年というのは、総理在任の期間としては、途方もなく大きな壁なのだ。
これに対して、アメリカをはじめ大統領制をとる国は、国の指導者は国民によって選ばれれば、最低限、その任期は保障されている。
日本の総理みたいに、同業政治家の「都合」によって辞任を「強要」されたりすることはない。
アメリカ大統領は4年の任期が保障されているし、暗殺されたケネディや、弱腰外交で国民の不興をかったカーター、いかにもさえない男のブッシュ父といった少数を除き、多くの大統領は再選されている。
オバマ大統領は再選は難しそうだが、むしろそういう方が例外なのだ。
同じ議院内閣制をとるイギリスでも、戦後の首相の多くは3年以上務めている。
1952年に始まったエリザベスⅡ世の治世下の58年間に、つい先ごろ政権交代を成し遂げたキャメロン氏で、12人目の総理だ。
「歴史上最もさえない保守党党首」として国民に「親しまれた」メイジャー首相でさえ、1990年11月から1997年5月の6年半もの間勤めあげた。
その間、お茶ばかり飲んで過ごした一日の後に、パブで生ぬるいビールを片手に政治談議をするのが楽しみのイギリス人に、「さえない」エピソードで話題を提供し続け、ビールの売上に貢献してきた。
その一方で、同じ時期に日本で「消費」された総理は29人に上る。
こうしてみると、国民に直接選ばれる大統領制か、同業政治家によって選ばれる議院内閣制かという違いだけでは説明がつかないようだ。
しかし、その日本も、オイルショックによって高度経済成長が転換期を迎えるまでは、1000日を突破することは稀だったにせよ、それなりの期間続く政権が多かった。
政権の短命化が特に顕著になったのは、1993年に初めて非自民政権としてスタートした細川政権以降だろう。
これには、おそらく二つくらいの要因があるだろう。
一つは、自民党だってうかうかすると野党に転落するのだということが現実味を持つようになり、政党が世論調査の支持率に敏感にならざるを得なくなった。
さらに、選挙制度改革によって1996年から衆議院選挙で導入された小選挙区制がこれに拍車をかけたのだろう。
第二には、1990年代以降、日本は失われた10年(20年?)の暗黒時代に突入し、低落を続ける経済と生活水準によって、国民の政治的忍耐力が著しく低下したことがある。
現に、サッチャー女史が政権につくまで、深刻な英国病の前になす術もなく国家の衰退に手をこまねいていたイギリスでは、比較的短命政権が続いている。
労働党のウィルソンは2年、その次の同じく労働党のキャラハンは3年弱だ。
彼らの前に首相をした保守党のヒースも4年足らずだ。
ズボンをはくのを忘れて国会で答弁する姿を風刺画に描かれてバカにされていたメイジャーでさえ、6年半総理を務めたのと対照的だ。
同じことはクリントン政権でもあった。
グラマーな研修生と「いけないこと」をして、歴史的な大統領執務室を汚したクリントン大統領も、一時は再選が危ぶまれたが、当時のアメリカのウハウハな景気のおかげで、再選を果たすことができた。
もっとも、この景気回復自体は決して彼の政策の成果ではなく、彼の前のレーガン大統領の時代のレーガノミクス政策が、ようやくアメリカ経済に成果を生み始めていたのだろう。
1997年から2007年の10年にわたってイギリスの首相を務めたブレア氏の時代も、イギリスの好景気に支えられた時代だった。
この好景気も、サッチャー、メイジャーの保守党政権時代のサッチャー主義による構造改革の成果が現れ、イギリスが英国病という長いトンネルを抜け出したことによるものだと考えられている。
小泉政権の1980日は、失われた20年の期間とはいえ、プラスの実質経済成長を連続してキープできた時期だった。
これも小泉構造改革の効果というよりは、自らを「世界一の借金王」と称した小渕総理の度々の大型景気対策の効果が細々と現れてきたのと、アメリカの好景気と円安に支えられて好調な輸出で一息つけたというのが実情なのだろう。
このように、総理の耐用年数の短命化は、現実味をおびた政権交代のために国民人気に過敏にならざるを得なくなったことと、景気低迷で人々の不満、イライラが募り、有権者の政治的忍耐力が著しく低下したことによるのだろう。
経済という下部構造が政治という上部構造を規定するというマルクスの知見は、西も東もなくなった現代国家でもいかんなく発揮されているということか。
種を播く人と刈り取る人。
両者が異なることは、政治の世界では、よくあることだ。
運も政治力の一つということだろう。
たまたま収穫期に当たった者の義務は、刈り取ったもので自らの政治的使命を全うすることだ。
小泉首相は、刈り取った成果を、小泉構造改革という自分の政治ミッションのために最大限活用した。
大事なことは、誰かが種を播かなければ刈り取ることもできないということだ。
そうでなければ、その収穫を元手に、後の政治家が自らのミッションとして掲げる政策プログラムを遂行することもできない。
小泉改革の後、日本の政治では、誰かが種を播いたのだろうか。
政治家は誰もが刈り取る役回りになろうとばかりして、誰も種を播こうとしない。
有権者も有権者で、収穫ばかり要求するものだから、しばらくたっても何も収穫がないとすぐにかんしゃくを起こし、クビにする。
そうこうするうちに、畑はすっかり荒れ果ててしまった。
これから10年、20年先、日本人という大きな家族は何で食べていけばいいのだろうか。
性急に収穫ばかり要求しようとする日本人に、ビル・エモット氏は忠告する。
「民主党が新しい指導者を選ぶとき、より社会福祉を重視した政策に、経済競争力の向上や財政赤字削減の施策を組み合わせる必要性を理解している人物を選ぶことだ。
経済を活性化させることによってのみ、日本はアジアや世界の中での地位や安全保障を強めることができる。」
言いかえれば、
「収穫したり、分け前を分配したりと目先のことばかり考えるんじゃなくて、日本人がちゃんと食べていけるように、将来のために今から種を播く努力ができる人にしなさいよ。」ということだろう。
自分の人生を託す人を選ぶのだから、自分で畑を耕し、種を播くという努力ができる人にするんだよ。
自分では努力しようとせずに、刈り取って収穫をみんなに分け与えていい格好ばかりしようとする人に騙されてはいけないよ。
そして、一度この人と決めたら、しばらく収穫がないからといってすぐ見捨てるんじゃなく、その人が努力するのをしっかりと支え、力を合わせて頑張るんだよ。
そうすれば、いつか、自分たちの手で素晴らしい収穫を刈り取ることができるから。
ビル・エモット氏の言葉は、そう言っているようだ。。
それは、真に娘の幸せを願う父の言葉のように聞こえる。
[1]「鳩山氏、日本の名声損なう」ビル・エモット(朝日新聞 2010年6月4日)
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