時の記憶

時代の記憶として残したいニュースの勝手な論評です。


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 メインストリームのニュースから少し外れたところにこそ、えてして時代の真実が隠されています…などと、たいそうなことを言うつもりはありません。
 でも、ちょっとしたニュースに何を感じ、何を考えたかを残すことで、自分の人生の軌跡みたいなものを残せないかな~と感じています。
 なので、私小説的な時事論評として読んでいただければと思います。
 もちろん、感想は下の「作者にメール」でお寄せください。
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へんくつ婆さんが首相に問う政治の責任

2010年05月12日

 大真面目の本人たちの意図にもかかわらず、抱腹絶倒の喜劇を生み出し続けるイギリスが、またしても世界を大笑いさせてくれた。
 暗い話ばかりが続く中で、「偏屈女(bigoted woman)事件」として、イギリス議会政治の歴史に名を留めることになろう今回の事件に、久しぶりに大笑いをした人も多かっただろう。
 この事件で、時の総理から偏屈女と名指しされたジリアン・ダフィーは、今や一躍注目の人だ。
 今にも雷を落されそうで、対面する人が思わす恐怖を抱かずにはいられない(笑)世紀の「へんくつ婆さん」が、生放送のテレビの前で引き起こしたこの事件は、日本の政治を考える上でも重要な示唆を与えてくれるものだ。

 イギリス下院総選挙を目前に控えた4月28日、ブラウン首相が遊説に訪れたのはロッチデールというマンチェスター市郊外の町だった。
 産業革命時代に織物工業で栄えたこの労働者の町は、住民の多くが労働党のコア支持層だ。
 この町でブラウン首相が街頭で住民と直接対話をし、人々がブラウン首相に期待し支援する様子をテレビで放映することで、歯止めがかからないブラウン政権の人気低下を少しでも巻き返そうとしたのだろう。
 だから、わざわざテレビ局のマイクを自分の背広の襟に付けさせ、街頭の人との対話に臨んだのだ。

 ところが、その結果たるや、労働党支持者は天を仰ぎ、そうでない人も思わず目を覆いたくなるような悲惨なものだった。
 BBCが流したこのクリップで見ても、労働党の支持者というその女性との街頭対話は、およそ「対話」などという和やかなものではなく、ブラウン首相を激しく詰問する吊るし上げのようだ。
 組合運動で叩き上げられたブラウン首相でさえタジタジになるその女性、ジリアン・ダフィー(Gilian Duffy)は、これからの政治のあり方を決定すると言われている「主張する高齢者」そのものだ。

 なんとかその場を取り繕って黒塗りの車に戻ったブラウン首相は、車窓の外で見送る人たちに笑顔で手を振りながら、「ふぅ、最悪だったぜ。誰だ、あんな女を連れてきたのは?」とつぶやく。
 そして、「年来の労働党の支持者と言ってるけど、あんなのただの偏屈女(bigoted woman)じゃねえか。」と言った。
 多くの人が、もしブラウン首相の隣にいたならば、「いゃー、まったくですね。とんでもない婆さんに引っ掛かっちゃいましたね。」と思わず相槌を打ったかもしれない(笑)。

 ブラウン首相にとって、「不都合」だったのは、彼が着けることを許したテレビ局のマイクが、外し忘れたまま彼の襟に残っていたことだ。
 このワイヤレス・マイクが拾った「不都合なつぶやき」は、そのままテレビ局によって収録されていたのだ。

 なんといっても圧巻は、ブラウン首相との「対話」を終え帰路につく女性に、テレビ局アナウンサーがマイクを向け、「ブラウン首相があなたのことを偏屈女って言ってますよ。ご感想は?」と、チクった後だ。[1]

 この女性が保守党支持者だったら、「まあ、偏屈女だって! 偏屈スコットランド人のブラウン首相に言われるなんて、光栄だわ♪」などと軽口を飛ばしたかもしれないが、あいにく労働党支持者に冗談は通じにくい。
 アナウンサーの言葉にギロッと目をむくダフィー婆さんの姿に、「うわっ、雷が落ちる!」と、テレビの前の多くの人が思わず身を竦めたに違いない(笑)。

 多くの人が偏屈男と思っているブラウン首相から「偏屈女」と呼ばれるダフィー婆さんは、テレビカメラの前でも堂々としていた。
 生放送で全国に放映中にもかかわらず、電話がかかってきた携帯を取り出し、「ちょっと失礼」と話し始め、アナウンサーを慌てさせる。[3]

「ダフィーさん、すみません、今、生放送中なので、ほんのちょっとだけでいいですから、答えてくれませんか?」と追いすがる男性アナウンサー二人に、ダフィーさんは吐き捨てるように言う。
「教育のある人なんでしょ? なのに、誰もが訊ねたいと思っている質問をしただけの普通の女性に、あんな言葉をぶつけるなんて…。何も言うことはないわよ、がっかりしたわ。」
 彼女が「普通の女性」かどうかは議論のあるところだろうが(笑)、質問の方は確かに誰もが心配していることだった。

 その、彼女が言うところの「誰もが心配している問題」とは、移民問題や財政、中でも国の借金のことだった。
 野放図に積み上がる国の借金は、ダフィーさんのような年金生活者にとっては、決して他人事ではない。
 国債の価格が下がれば、年金会計が悪化して給付が切り下げられるかもしれないし、財政再建のために付加価値税の税率が引き上げられれば、生活を直撃する。
 さらには、年金の給付水準そのものが引き下げられるかもしれない。
 こういう心配が、ダフィーさんのような「主張する高齢者」を生むのだ。

 ダフィーさんは、BBCのカメラをキッと睨みつけながら叱りつける。[3]
「この借金から抜け出すために、これから20年も、税金、税金、税金なのよ。あんたたちの子や、孫たちが払い続けるのよ。いいの、それでっ!」
 彼女がカメラを通して叱りつけたのは、無責任に借金を積み上げる政治家なのか、偏屈呼ばわりされたことへの「感想」ばかり興味本位で聞こうとして、彼女が本当に訴えたい問題に耳を貸そうとしないマスコミなのか、それとも彼女のように声を上げようとしないテレビの前の国民なのか。
 とにかく、彼女のインタビューを見た多くの人が、彼女に叱られた気分になったことは確かだった。

 BBCのテレビカメラは、ポケットに手をつっこみとぼとぼと家路についた彼女の後ろ姿を追っていたが、その姿はどこかしら寂しげだった。
 それは、あと少しでダウニング10から追い払われる偏屈男から「偏屈女」呼ばわりされたことよりも、膨大に積み上がる国の借金という庶民でさえ心配する問題に、年来の支持政党である労働党がきちんと向き合おうとしないやるせなさだったのかもしれない。

 選挙の結果、大方の予想どおり、労働党が90議席以上を失う一方で、保守党が100議席近く伸ばして第1党に躍り出た。
 そして、これも大方の予想どおり、大幅に議席を伸ばして第一党となった保守党でさえ過半数を獲得することができず、選挙結果は、いわゆる「宙ぶらりん(hung)」の状態になっている。
 そんな中、事前の期待とは裏腹に選挙としては敗北に終わった第三党の自由民主党がキャスティングボードを握ることとなった。

 政権を維持したい労働党、政権を奪還したい保守党が、小選挙区制の中でいつも冷や飯を食わされてきた第三党の自由民主党に、彼らが喉から手が出るほどほしい選挙制度改革を餌に秋波を送っている。
 11日には、ブラウン首相が自ら退陣を約束して、なりふり構わず労働党政権の維持しようとしている。

 いずれにしても、「宙ぶらりん」の中で強引に組織される連立政権(あるいは、閣外協力)は、確固たる基盤を得て組織される政権が誕生するまでの過渡的な性格を持つことになるのだろう。
 そのため、本当にやらなければならないことを後回しにして、来るべき次の選挙に備え、自党を利することだけに専念するようなものになるのではないか。
 多くの人がそういう心配をしている。

 リーマン・ショック以後の金融危機で先進主要国は軒並み借金まみれだ。
 ズタズタになった国家財政をどう立て直すかが、今後何十年かを見通したときには、最重要課題だ。
 政府の規模を小さくし、公共サービスを再定義し、成長率を高めるため、規制を緩和し、既得権益を削ぎ落とした活力ある筋肉質の経済を作らなければならない。
 しかし、それらはいずれも痛みを伴うため、有権者には不評だ。
 やり遂げるためには、薬を飲むのを嫌がって泣き喚く子供のような国民にあえて苦い薬を飲ませ続け、親の責任を全うする強い意志が不可欠だ。

 ところが、強い政治の意志をもっとも必要とするときに、政府の力は弱々しい。
 そして、弱々しい政府は、子供の顔色ばかり窺っている。
 子が病から立ち直るために薬を飲ませなければならないのに、泣き喚かれるのを恐れてキャンディーを与えてしまうような、情けない親になってしまうのではないか。
 イギリス下院総選挙の結果は、人々にそんな心配をさせるものだ。

 同じ状況が、今の日本だ。
 三党連立政権は、参議院で民主党が単独過半数を抑えることができないために生じた「不規則」な事態であり、本来あるべき姿に至るまでの過渡的な状態だと民主党は思っている。
 だからこそ、本当にやらなければならないことを後回しにして、民主党は崩壊寸前の財政を無視して国債の空前の大増発してでもバラマキを続けようとしているし、国民新党は支持基盤である郵政票固めのために、郵政の事実上の逆国有化に邁進し、挙句の果ては郵貯の預金限度額を引き上げ、金を集めるしか能がない郵政が寝ていても儲かる国債運用を拡大しようとしている。
 日本でも、生放送のテレビの前でダフィ婆さんのような「主張する高齢者」から「あんた! もう少し責任感というものを持てないのかい。そんなんで、総理なのかい!」と総理がこっぴどく叱れでもしないと、政治の責任は目覚めないのかもしれない。

 先日、「立ち枯れ日本」と揶揄されながら「立ち上がれ日本」が新党の旗揚げをした。
 この人生経験豊かな面々には、ぜひとも、BBCの画面を通して人々を叱りつけたダフィー婆さんのような役割を果たしてほしいものだ。
 だらけた口先政治が蔓延する日本で、責任政治というものがどういうものかを教えられるのは、「主張する高齢者」だけかもしれないのだ。

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