基地問題にみるアメリカの永遠の占領政策
2010年02月23日
昨年11月、日本を訪問したオバマ大統領は、ゆるぎない日米同盟が米国のアジア・太平洋外交の基本だと述べた。
それはとりもなおさず、歴代の大統領も繰り返してきた言葉でもある。
多くの日本人はその言葉を聞くたびにほっとする安心感を感じる一方で、「ほんとか?」という、そこはかとない疑念が頭の片隅をよぎる。
その疑念がどこから来るかといえば、アメリカは口ではさも対等な同盟国のように日本のことを言っているが、本心では自国の利益のための「盾」くらいにしか思っていないのではないか、という疑念である。
2月17日付け朝日新聞が掲載したライシャワー駐日大使の懐刀として活躍したジョージ・パッカード氏のインタビューは、そんな疑念が、決して根拠のないものではないということを明らかにしている。
民主党が振り出しに戻してしまった普天間基地移設問題。
その発端となった事件、すなわち1995年9月に沖縄に駐留する3人のアメリカ海兵隊員が12歳の小学生の女の子を拉致・監禁し、強姦した事件では、米軍が地位協定に基づいて犯人引渡しを拒否した。
アメリカ海兵隊員だって人間なので、中には変質者だっているだろう。
日本人として許せないのは、その変質者たちを日本の法律できちんと裁くことを、「同盟国」アメリカが拒否したことだ。
日本を法治国家とみなしていないのか、たとえ変質者とはいえアメリカ兵を日本が裁くのはおこがましいと思ったのだろうか。
さらに、2004年8月に、普天間飛行場近くの沖縄国際大学構内にアメリカ海兵隊の大型輸送ヘリが墜落したとき、米軍は現場を立入禁止にして、警察官ですら立ち入らせなかったという。[2]
米軍から見れば、事故機の撤去がすべてに優先したからだろうが、そのときの米軍の態度はおよそ同盟国の主権など歯牙にもかけないものだった。
同様のことは、それにさかのぼること四半世紀前の1977年9月にもあった。
厚木基地を飛び立ったアメリカ海軍の偵察機が離陸直後にエンジン火災を起こして住宅地に墜落した。
パイロットたちは緊急脱出をして無傷だったが、墜落された住宅地の住民9名が死亡した。
この事故で二人の男の子を同時に失った母親は、自らも全身火傷を負ったが、何回も皮膚移植手術をして一命だけは取りとめた。
しかし、愛息二人を失くした絶望からか、その後精神病院に入院し、事故から4年後に心因性の呼吸困難で亡くなった。
それを報じたNHKのアナウンサーは、涙ながらにこのニュースを伝えたという。[3]
その事故の際、米軍が慌てて現地に駆け付けてきたので、被害者救助に来たのたかと思ったら、被害者そっちのけで事故機を回収し、さっさと引き上げていったという。
1952年のサンフランシスコ条約発効により、日本は再び主権国家になったはずだった。
そして、日米安保条約によって、日本の独立は米軍によって守られてきたと、日本人は信じている。
しかし、これまでのアメリカは、果たして日本を独立国家たる同盟国として扱ってきたのだろうか。
多くの日本人は、心の中では「ノー」と思っている。
でも口にはしない。
日本の防衛をアメリカに頼っていると思っているからだ。
そこには、防衛という一番危ない仕事をお願いしているという「後ろめたさ」と同時に、自国の防衛すら他国任せにしなければならない「やるせなさ」が同居している。
この、ないまぜになった「後ろめたさ」と「やるせなさ」のために、アメリカ軍の鬼畜のような所業が繰り返されても、日本人、特に「内地」の人たちは、臭い記憶に蓋をするように、すぐ忘れてしまうのだろう。
「もはや戦後ではない」と経済白書が書いたのは1956年。
しかし、日本人の精神に関する限り、それは完全なフライングだった。
日本は、アメリカに独立を守ってもらう代わりに、その精神をアメリカに占領されたまま今日を迎えたのだ。
アメリカにとっての日本の「意味」は、太平洋に浮かぶ不沈空母としての機能だ。
失敗続きのアジア外交の結果、ひたひたと押し寄せる赤い波を押しとどめるために、日本という空母が必要だったのだ。
アメリカが守り続けたのは、占領によってアメリカが自由に使えるようになった基地の方であって、その副次的効果として、見かけ上、日本が防衛されていただけのことかもしれない。
アメリカが日本を不沈空母として使い続けるためには、本来なら永遠に日本を占領し続ける方が簡単だ。
しかし、それでは自由・平等と民主主義の国というタテマエに反する。
そこで、マッカーサーは、日本を「事実上」占領し続ける仕組みを用意した。
憲法で軍隊を持つことを禁止することで、日本はその安全と独立をアメリカに依存せざるを得ない。
天皇制だって、終戦直後は「使い途」があるが、ああいう「大和魂的」なものは将来的にはなくしてしまって日本人から牙を抜いた方が安心だ。
だから、皇室の数を激減させ、しかも皇統は男子に限定してしまえば、そのうち世継ぎがいなくなって、自然消滅だ。
どういうわけか日本人に親しまれたマッカーサーだが、その実、アメリカの「事実上の占領状態」が永遠に続くような仕組みを、きっちりと残していったのだ。
戦後は終わっていないし、終わらないようになっているのだ。
ジョージ・パッカード氏は、アメリカ人はなお「占領者気分」から抜け切れていないという。
そりゃそうだろう。
同氏いわく、
「今でも米国民の一部はどこか占領者気分で日本を見ているように思える。
日本も日本で、いつまでも占領者気分を引きずっているところがある。
米国民との同盟を語る日本の声はいつもあまりに受け身で弱々しい。」
それは、「日本人全般の問題だ」と同氏はいう。
さらに、「ここ数代の首相に限らず、有能な政治リーダーがいないのは事実」だが、問題は政治家だけではないという。
「国際舞台で堂々と英語による議論ができるリーダーが各界にぞろぞろいる国にならないと日本は危うい」のだ。
同氏によれば、「ライシャワーの最大の心残りは、日本の津々浦々にアメリカ人英語講師を送り込む構想が、日本政府に反対されて実現しかなったことだ。」という。
マッカーサーが政治制度によってアメリカによる占領の永続化を図ったところを、文化・教育政策で仕上げようということなのだろう。
「有能な政治リーダーがいない」のは、まったくそのとおりで、当の日本人が痛いほどわかっている。
しかし、なぜ立派なリーダーが生まれないかといえば、言葉の問題よりは、アメリカによる見えない占領政策が続くことで、日本の将来を主体的に構想できる政治家が育たなかったことが大きな原因だろう。
アメリカと仲良くできることが日本のリーダーの条件と、多くの日本人が思いこんできた。
なので、アメリカとちょっとでも事を構えようとしたり、不興を買ったりすると、途端に日本人は不安になって、騒ぎ出すのだ。
「同盟」といっても、所詮はそんなものだったのだ。
「対等な日米関係」を掲げて、鳩山政権がスタートした。
多くの国民はこれによって、アメリカに対するこれまでの卑屈な外交が改まるのか、やっと独立国家としてきちんとモノが言え、これまでみたいな鬱屈した気持ちを抱き続けなくて済むのかと拍手したに違いない。
戦後の日本外交の根本原理である「私を捨てないで~♪」外交から、やっと脱皮するときが来たのかと思ったのだ。
ところが、占領者気分のアメリカ人たちが騒ぎだすと途端にうろたえて、歯切れの悪い言い訳を繰り返すだけだった。
アメリカ人のパッカード氏でさえ認めていることを、どうしてきちんと言うことができなかったのか。
悔しい思いで歯ぎしりをした人も多いだろう。
明治維新後の日本は、黒船来襲以来、欧米との不平等条約で傷ついた主権を回復するために必死に富国強兵の道を突き進んだ。
そして戦後、岸首相は、日本を独立国家として扱っていない旧安保条約の改正に政治生命を燃やし尽くした。
その弟である佐藤首相は、沖縄をアメリカから取り戻した。
しかし、信じられないような数と広さの米軍基地が「スポット的占領地」として残ったままだ。
「マッカーサーの遺産」によって、日本人は「被占領民精神」に安住する国民に飼いならされてしまったのだろう。
その意味で、日本人が真の意味でアメリカに負けたのは戦後なのだ。
政権交代が実現し、普天間基地の移設問題がゴタゴタして、こういう日米同盟の在り方と日本の将来について、民主党らしい「青臭い」議論が沸き起こるかと期待したら、何のことはない、思いつきの見せびらかし合いと、それによる迷走で、せっかくの機会が雲散霧消しつつある。
外交の継続性を大事にするとか、国家が一度約束したことを軽々にひっくり返すべきではないことはそのとおりだろう。
しかし、独立国家日本がアメリカにその尊厳を持って約束していることは、同盟国としての役割を果たすことであり、移転先の基地の具体的な場所まで一切変更はまかりならないというのは、それ自体、日本を独立した民主国家として扱っていないということだろう。
日本人は鳩山政権に日本の民意を託したのだから、鳩山首相はしっかりそれに応えてほしいし、「対等な日米関係」のときのように、ちょっと強く出られただけで腰砕けになるような、情けない真似だけはしてほしくない。
国民が指導者に幻滅するのは、指導者たろうとしないことに対してだ。
そして、国民も、昨年日本に恫喝に来たゲーツ国防長官のように、「ぐだぐだ言わずに決められたことを、さっさとやれよ。」という態度を露骨に表わすような「占領者気分」が見てとれたときは、大声をあげて抗議すべきだ。
日本がアメリカの永遠の植民地とならないためには、日本国民自身が独立国家としての意志をはっきりと示すことが何よりも大事だからだ。
[1]「インタビュー・日米同盟の見方 - ジョージ・パッカード氏」朝日新聞 2010年2月17日
[2]日本の戦争と平和(石破茂・小川和久)ビジネス社
[3]http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%AA%E6%B5%9C%E7%B1%B3%E8%BB%8D%E6%A9%9F%E5%A2%9C%E8%90%BD%E4%BA%8B%E4%BB%B6
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