戦後35年も過ぎるまでどうして口をつぐんでいたのだ、どうせ反省するなら、なぜ、もっと早くやらなかったのだと腹立たしく思った人も多いだろう。
しかし、中国大陸で鬼畜もためらうような悪行の限りを尽くした陸軍が、反省などという「しおらしい」ことをしたという話も聞かないので、それよりはマシだということだろう。
一月に一度集まった面々の多くは人生の終末が視野に入っている人ばかりなので、一度は「このまま墓場まで持っていこう」と思ったであろうことを、やはりどうしても言わずには逝けないと思ったのかもしれない。
あるいは、前線で多くの若者を特攻隊員として死地に赴かせた士官は、その思いを当時の上層部にぶつけずには死ねないと思ったのかもしれない。
番組では、「同じ過ちを繰り返さないためにも自分たちの話を残すのだ」という気持ちで会議が始められたと紹介された。
しかし、その証言は出版されることもなく、それどころかテープの扱いもきちんとされないまま遺族の倉庫に眠っていたというのだから、なんとも中途半端な決意だという気がしてしまう。
自分たちの過ちから後世が教訓を学び取ってほしいと切に願っているのであれば、批判を恐れることなく出版するなどして公表すべきであった。
しかし、とにもかくにもこのような形で、私たちの目に触れるようになったのは、幸運だったと言わなければならない。
開戦、特攻作戦、東京裁判という三つのテーマに分けて番組は放映された。
日本人だけで300万人以上、アジア・太平洋地域では2000万人にも上る人々が死んだ戦争に、海軍で決定的な役割を果たした人たちが語る話を聞いて感じた驚きは、これほどまでに多くの日本人とアジアの人々の運命を狂わせた政策決定が、「空気を読んだ」人たちにより、およそ信じられないような無責任体制の中で行われ続けたということだ。
開戦に当たっても、軍の指導者の多くはアメリカと戦って勝ち目はないとわかっていた。にもかかわらず、大陸で暴力団顔負けの「しのぎ」に明け暮れていた陸軍が日本人を道連れに無理心中を図ろうとするのを、体を張って止めようとはしなかった。
陸軍が作り出し、多くの日本人がそれに乗ってはしゃいだ開戦の「空気」に逆らえなかったのだという。
「とても、反対できる空気ではなかった。」という証言は、この番組に限らずあの戦争がなぜ戦われたのかを扱った資料には度々出てくる。
他の資料では、東条英機でさえ、「東条、なぜ開戦せんのだ!」という日本人や、それにおもねる当時のマスコミの声に背中を押され、とても開戦しないという選択肢はなかったと証言されている。
また、数々の悲話を残す特攻作戦について、会議の参加者の一人は「海軍を毒したものだった」と証言していた。
文字通り命を投げ打って行ったこの作戦の命中率はわずか2%と言われており、その犠牲の大きさとは裏腹に、作戦遂行上はほとんど効果のなかった最大の愚策の一つと言われている。
しかし、その当時は、海軍の作戦立案の中枢を担っていた軍令部の最高責任者でさえ、そのときの「空気」を読めば実行するほかはなかったという。
番組では、ミッドウェー以来の海戦で主要艦船を失った海軍が、陸軍との対抗上、戦っているということをアピールするために考え出された「演出」なのではないかとにおわせていた。
しかし、それとても、英米との戦いのために天皇陛下にすべてを捧げるという当時の日本の「空気」を読めば、そういうことでもしないと済まない雰囲気だったのだろう。
日本海軍の作戦の最高責任者たちでさえ、そのような重大な政策決定は当時の「空気」を読むと「採らざるを得ない」決定であり、自分たちには実質的に決定権限はなかったのだ言わんばかりだった。
このように、国家の命運を左右するような決定でさえ、当の責任者たちは、自分たちに実質的な判断権限はなかったと主張する。
そして、そのようにして当事者意識の希薄な人たちは、戦後の東京裁判でそのことを理由に責任回避を行おうとする。
もっとも、彼らの最大のミッションは天皇制という国体護持だった。
天皇の責任はその部下である東条英機やその側近に、海軍大臣の責任はその下の者に、中央の軍令部の責任は司令官に、司令官の責任は前線の部隊長の責任へと、逆ドミノ式に下に押しつける「作戦」だった。
これが功を奏して、「第二の戦争」と彼らが呼ぶ東京裁判では、天皇の戦争責任が不問に付されたのをはじめ、陸軍関係者には、東条英機を筆頭に絞首刑が下されたのに対し、海軍関係者は、海軍大臣をはじめとして誰一人絞首刑を受けた者はいない。
明確な責任と権限を持っている人たちの責任が、自分は「空気」を読んだだけで実質的な権限はなかったと言い訳をすることで回避され、国体は守られたのだった。
陸海軍の統帥権や開戦の権限が憲法で定められ、その憲法自体も自ら宣布した国家の最高責任者の責任を、「まあ、この人は実質的な権限はなかったのだから」といって守る政治体制とは一体なんだったのだろうか。
下の者の責任をかぶるのが指導者のはずなのに、下の者に責任を押し付けて上の者が責任を回避するという価値観から、私たちの戦後はスタートしたのだ。だとすれば、なんとさもしい精神の上に日本の戦後はスタートしてしまったのだろうか。
東京裁判は、戦勝国が勝手に作り出した「勝者の裁き」だと言われる。
まあ、そういう面がないわけではないだろう。
ならば、戦後の日本人は、連合国などに委ねないで、自らの手で責任者を裁いたのだろうか。
5000人を超える若者が、誰もが無駄とわかっている特攻作戦に命を散らせた。それを立案し、命じた責任者を、自らの手で裁いたのだろうか。
大陸で、あるいは東南アジアの島々で民間人の虐殺を命じた連中を、戦後ドイツが国家として行ったように、最後の一人まで、地球の裏側まで追いかけて、法の裁きを受けさせただろうか。
実態ば、戦前、海軍の中枢にいた人間が戦後の航空幕僚長をやり、陸軍と結託して私腹を肥やしていた男が、戦後、暴力団の顧問まで務めながら、右翼政治家として日本政治で隠然と力を持ち続けたのだ。
東京裁判での戦勝国の身勝手をあげつらうのであれば、彼らが納得するくらいの自己反省を国家として徹底的に実行すべきだっただろう。
対ソ戦略のためにGHQが手のひらを返したという事情もあろうが、これは本来、日本人自身の問題なのだから、日本人の手によって、徹底的に裁くべきだったのだ。
東京裁判で責任逃れを画策するために奔走し、それから35年たってから、身内だけ集まって「自己反省」を述べ合うといったことで済むような話ではないだろう。
誰もが敗戦を確信しているにもかかわらず、天皇制存続の心配ばかりをしたために無条件降伏の判断が遅れ、沖縄に続いて、広島、長崎で、何十万人もの国民が、落とす必要のない命を無駄にした。
「耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍んだ」のは、戦争に負けたことなどではない。弱い国民が、ひたすら無益な死ばかりを強要され続けたことの方だ。
にもかかわらず、原爆の非人道性ばかり主張し、そういう事態を招いた自分たちの責任者の責任を問おうとはしない。
アメリカ人から見れば、「この人たちは、いったいどういう人たちなのか。」としか思えないだろう。
番組を通じて伝えられることは、国家・国民の命運を左右するような一大決定を、当時の中枢を占める指導者たちまでもが、世の中の「空気」を読むことで、なし崩し的に行い続けたということだ。
その決定は、自ら行ったものというよりは、「どのみちやらなければならないこと」に、形としてハンコを押しただけなのだ。
自分一人が体を張っても、「空気」を変えることはできず、無駄だっただろうと言う。
なので、その責任を問われても困る、ということだ。
ならば、その「空気」とは何だったのだろうか。そして、誰がその「空気」を作ったのだろうか。その空気に抵抗することは、本当にできなかったのだろうか。
番組では、これを「やましき沈黙」と称して、関係者の責任を問う。
しかし、その「やましき沈黙」の責任は、当時の指導者たちだけが負うべきものなのだろうか。
終戦の日を前にして、この番組は、そのことを国民に問いたかったのではないかと思う。
ならば、今の私たちはどうだろうか。
保身のために「空気」を読んでばかりで、自らの役割を果たそうとはせず、しかも結果について責任をとろうとはしない。
「そのときは、そういう流れだったので、どうしようもなかったのですよ。」
国民は、同じような言い訳を何度聞かされ、そして自ら言ってきたことだろうか。
300万人以上の日本人と、その何倍ものアジアの人々を死なせたあの戦争が終わって64年。
あれから日本と日本人はどれだけ変わることができたのだろうか。
戦前は天皇の臣民でしかなかった国民が、今は主権者だ。
国家と自らの命運を左右する最終決定をするのは、国民自身ということだ。
そのような時が訪れたとき、私たちは、戦前のだらしなく、ずるい指導者たちがそうしたように、「空気」を読むことばかりをして「やましき沈黙」に陥り、自らの意思と役割を放棄しないだろうか。
そして、自らの役割放棄を棚に上げ、結果についても責任を負おうとはしないということはないだろうか。
権限を持つということの意味と重み。
それは、政治家にも役人にもあるが、何よりもまず主権を持っている国民にあるのだ。
終戦の日を前に、この番組は、そのことを学ぶ良い機会を与えてくれたと思う。
番組の紹介