時の記憶

時代の記憶として残したいニュースの勝手な論評です。


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 メインストリームのニュースから少し外れたところにこそ、えてして時代の真実が隠されています…などと、たいそうなことを言うつもりはありません。
 でも、ちょっとしたニュースに何を感じ、何を考えたかを残すことで、自分の人生の軌跡みたいなものを残せないかな~と感じています。
 なので、私小説的な時事論評として読んでいただければと思います。
 もちろん、感想は下の「作者にメール」でお寄せください。
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麻生・鳩山戦(第2回)の判定結果

2009年06月18日

 昨日(6月17日)、鳩山代表になっての党首討論の第2回目が行われた。
 内弁慶の元代表が交代させられて、議会での討論が活性化されたのを見るのは、「ああ、日本も議会政治の国だったのだ。」と実感させられる思いだ。
 さて、国会論戦のメインイベント、第2回目の判定結果はどうだっただろうか。

 前回は野次が酷過ぎたという国民の声を強く意識したのか、委員長が度々不規則発言を戒める場面もあって、国会なりにいろいろ努力しているようでもあった。
 どっちが勝ったか、負けたかという判定よりも、国民の前で党首が自分の言葉で議論を戦わせるという「姿」こそが、国民の政治に対する関心をよびおこす上で重要なことだろう。
 ぜひ、これをイギリスのように毎週やってもらって、国民の前で開かれた議論の中で政策を論じてほしいものだ。

 全体の印象としては、両党首ともよくやっていると思う。
 よく勉強している跡もうかがえるし、自分なりに咀嚼し、自分の言葉で議論しようとしている努力が見えて、一国民としては大変意を強くした。
 それに何よりも、こうやって議論してはじめて、自分たちが「向こう側」と何が違っているのかを認識し始めているように思えた。
 新聞は対立軸、対立軸と騒いでいるが、政策の対立軸というものは机の前で「うーん」と唸って出てくるものではない。
 日々、違う相手の前に自分をさらし、議論を戦わせることで浮かび上がってくるものだということがわかってきたのではないだろうか。
 その意味で、二大政党制にとって何よりも重要なのは、与野党が国民の前で開かれた論戦を行う機会を、できるだけ沢山持つということだろう。
 その論戦の中で、お互いを磨き、政策の切れ味を高め、やがて大きな対立軸が浮かび上がってくるだろう。

 その上で今回の議論の中身を見ると、自民と民主それぞれがどういう党を目指そうとしているのか、おぼろげながらイメージが見えてくるようだった。
 麻生総理の方は、しっかりした企業経営者的な冷静な頭で国家を運営すべきたという「経営責任政治」であり、鳩山代表の方は、「そうやって役人みたいな詰め方ばかりしているから情の通わない政治になるのだ」という「情に訴える政治」ということだろう。
 経営責任政治の立場は、国家とか社会をマクロでとらえて政策を考えがちになるので、鳩山代表のように具体の「気の毒な事例」を国政に持ち出すことが安っぽい「お涙ちょうだい」のための演出にしか見えない。
 一方、「情に訴える政治」の立場からは、丸めた数字だけで物事を考える人たちには、数字の裏側にある悲惨な状況にまで思いが至っていないのだ。だから、生活保護の母子加算を廃止するといった「血も涙もない」政策が平然とまかり通るのだ、ということになる。

 国民の側からすれば、どちらか一方だけでは困るのであり、両方が「バランスよく」加味された政治にしてほしいものだと思うのだが、何が良いミックスなのかは人によって考え方が違う以上、議会における両者の力関係で決定されるというのが議会制民主主義の機能なのだろう。

 個人的には、「役人をうのみにせず、自分たちで予算の中身を精査すれば10兆円くらいすぐ出てきますよ。」という民主党の財源論はかなり怪しいという気がするし、これから毎年社会保障費が1兆円増えていく中で社会保障を支える若い人の数がどんどん少なくなっていくのに、今後4年間は消費税を上げませんと軽々に約束するのは、ちょっと危なっかしい人たちだなと思う。
 それに生活保護の母子加算の廃止だって、確かに気の毒な事情がある例もあるだろうが、首を傾げるような例も多く、母子家庭だという一事をもって一律に加算することにどれだけの合理性があるのか疑わしいと感じている人も少なくない。母子家庭かどうかではなく、本当に必要な世帯に必要な支援を行うという政策が、「血が通っていない」ということにはならないだろう。

 その一方で、何から何まで行き詰ったように見える今の日本は、これまでの積上げ型の政治や行政で自縄自縛となっていて、既成の枠組みそのものを打ち壊すようなことをしない限り、今の自民党のように「座して死を待つ」しかなくなってしまうという焦りを多くの国民が感じている。
 特に、与党が長く政権の座にとどまりすぎたために、行政の隅々まで張り巡らされた利権の網が、国民の利益よりも政治家や役人の利益の方を優先するようになってしまっているということが、もはや誰の目にも明らかだ。
 そのような利権の網を根元から断ち切るためには、政権交代しかないという民主党の主張は、かつてないほど説得力を持っている。

 それに、洒落たバーやレストラン通いを続け、「カップヌードル一個って、400円くらいなの?」と平然とのたまう麻生総理には、庶民の生活の辛さがわかっていないという印象を多くの国民が持ってしまっているので、いくら責任政治を説いてみせても、「どうせあんたは、一晩に何十万円も平気で使える恵まれた人間だから、そんな偉そうなことが言えるんだろうよ。」という庶民の「感情」を動かすことはできない。

 バスで通勤し、みんなと一緒に社員食堂を利用し、年収1千万円以下のJALの西松社長みたいな人が「責任」を言うのであれば、それなりに耳を貸さなければいかんなと多くの人は思うだろうが、贅沢三昧の人がしたり顔で責任論を垂れても、怒りがふつふつと沸いている国民の心に届くことは、まずないだろう。
 その意味でも、そういう庶民感情に訴えようとする鳩山代表の方に、そもそも歩があると言うべきだ。

 今度の政権選択選挙が、昨日の党首討論のような枠組みで争われる限り、自民党の勝ち目はきわめて小さい。
 ただ、その後にやってくるであろう「情に走りすぎた」政治の結果がどういうことになるのか、昨日の鳩山代表の話を聞いている限り、予想もつかない。
 ルーレットに例えるのは不謹慎かもしれないが、自民党政治の上にチップを置くのは「このままでは負けることは分かっていて、できる限り負けを小さくする」選択だし、民主党の上になけなしのチップを置くのは、「ひょっとすると一発大逆転でもうかるかもしれないが、どうなるかまったく予想もつかない」というところだろう。
 どちらにしても、国民にとっては厳しい賭けであることには違いない。

 ただ、大事なことは、どっちに賭けても、その結果を国民は受け入れなければならないし、それがかなり厳しい痛みの伴うものになるかもしれないということだ。
「一票の重み」が、結局のところ自分たちの帰ってくるということが、本当の意味で「責任政治」なのだろう。


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