自らのビジョンのなさを「官僚主導」という言葉でごまかす政治の貧困
2009年06月09日
公務員叩き、日本郵政の西川叩きと、悪役をしたて上げ、それをスカッと叩いてみせて正義の味方を気取り、庶民の喝采を浴びるという、力道山型の政治モデルがはびこっている。
今の政治家は、適当に叩けるネタを探すことで票を獲得するという、安易で不毛な政治モデルにはまり込んでしまったようだ。
今度の政権選択選挙における数少ない対立軸である「官僚主導政治の打破」が、その延長でしかないようであれば、日本の将来は暗い。
昔、予算委員会で、「その件は大変重要なので、局長から答弁させます。」と言った外務大臣がいたが、その頃の政治は、官僚が「考える人」であるのに対して、自分たちは「決断する人」であればいいと割り切っていたし、それでもそれなりにうまく回っていた「いい時代」だった。
経済成長に合わせて給料も増えるし、終身雇用のおかけで安泰だし、いろんな「ややこしい事」は受験戦争を勝ち抜いてきた頭の良い役人達に任せておけばよい。それよりも、庶民はたくさん働いて給料やボーナスを増やして車や家を買い、政治家はそんな人たちの面倒を見て選挙に勝つことの方が大事だった。
ところが、右肩上がりの経済が逆に右肩下がりとなり、終身雇用が崩壊し、年金制度も破綻し、国家財政も破産寸前という時代になって、急に「こんな連中に任せてきたからこうなってしまった。いまこそ、政治主導に戻すべきだ。」と言う。
世の中がこんなにひどくなったのは役人が物事をすべて決めてしまったからであり、今こそ行政を役人の手から取り戻し、政治主導を確立すべきだと言う。
そして、民主党は、そのために霞が関に100人の政治家を送り込むと宣言している。
そもそも、「こんな日本」になってしまったのが、すべて役人だけのせいなのか甚だ疑問だし、民主党の言うような「政治主導」で世の中が良くなるのかどうかもわからないが、仮にそうだとしても、民主党が言っているようなことだけで政治主導が実現できるのか、もっと怪しい。
100人と言えばあたかも霞が関の主要ポストを政治家ですべて占めてしまうような錯覚をおぼえるが、今だって、大臣、副大臣、政務官などの政治家ポストが相当数あって、70人くらいの政治家がポストを持っている。
「公職ポスト」は選挙で箔がつくので、人気は高い。
しかし、政治家ポストが増えてどれだけ効果が上がっているかといえば、甚だ評判は悪い。
それでなくても手狭な中央省庁のスペースが、政治家ポストの個室を生み出すためにさらに圧迫されているし、そうやって生み出した貴重なスペースといえば、国会閉会中ともなれば「空室」が目立つ。
「部屋の主」は選挙区に戻って政治活動に忙しいからだ。
選挙で有利になる「箔」は欲しいが、かといって選挙に落ちればタダの人。選挙区での活動をおろそかにはできず、背に腹は代えられないと考えるのはやむを得ない面もある。
なので、結局は中央官庁の「政治家部屋」の空室が目立つという事態になる。
役所には「後閲」という便利な仕組みがあって、大臣のハンコさえもらえれば、その「下の人たち」のハンコは必須ではない。
なので、空室でも実害はないというわけだ。
あとは、せいぜい、ヒソヒソ話しのための会議室に使わせてもらうというところだろう。
政治家としても、もともと欲しいのは箔付けとしてのポストであって、その省庁に入って何を実現しようかなどいう問題意識を持って省庁に入る人は稀だ。
役所のポストに任命されてはじめて、その行政分野のことを知る人も多い。
そんな状況の中で、着任早々、役人たちから「さあ政治家のみなさん、私たちはいったい何をしたらいいのでしょうか。なんなりとおっしゃってください。」と言われても、政治家達も途方に暮れてしまうだろう。
そんな人たちが、選挙活動の合間に勉強して知識を身につけるのを待って行政をストップさせるわけにはいかないので、役人たちは政治家の上司がわかった気になる「わかりやすい資料」でごまかし、「邪魔」をされないようにするしかないのだろう。
政治がビジョンを示し、リーダーシップを発揮する…。
日本の行政はまさにそうあるべきだろう。
しかし、頭数だけ送り込めばそうなると思っているとすれば、これまでの経緯を見ればそれが幻想でしかないことは誰でもわかる。
中央官庁の「使われないスペース」と「使えない人たち」を増やすだけだ。
そのために多額の税金が使われるとすれば、大変な無駄だ。
次の選挙を戦うための党の代表を選ぶ選挙においてさえ、きちんとした青写真も具体的な政策プログラムも示さず、そそくさと切り上げてしまうような人たちが、口先だけでリーダーシップを唱えても何も変わらないだろう。
岡田氏は、国家公務員の忠誠を誓わせるための踏み絵を踏ませるとか言っていたようだが、自分自身が国家公務員だった経験を踏まえ、「降格だぞ」と脅したりするだけで何万人もの公務員がやる気を出して働くとでも思っているのだろうか。
不謹慎なことをした役人は戒め、たるんだ組織に喝を入れることは必要だろう。
しかし、やみくもに脅し、叩くだけで人を動かせると思っているとすれば、国家の経営者としてのレベルは低い。
リーダーが人を動かすためには、人を動かすためのビジョンを語ることができなければならない。
そして、みんなで成し遂げようとしている大きな事の中で、末端にいる人までが自分が行っていることの意味を理解できるように、そのビジョンを行きわたらせるコミュニケーション能力が必要だ。
企業の名経営者と言われる人たちは、みんなこれができている。
そういうものがない人がリーダーとしての存在感を示そうと焦ると、結局のところ、弱い者を叩くことで「リーダーぶる」しかないのだろう。
何をしたいのかさえはっきりしない人たちが政権をとり、何をしたいのかわからない人たちを大量に省庁に送り込むことで、病が深くなりつつある日本が良くなると思っているとすれば、なんとお目出度いことであろうか。
政治がリーダーシップを発揮するためには、頭数の多さではなく、政権としてどういう日本にするのかというプログラムをはっきりさせ、そのために何をすべきかが分かっている人を省庁に送り込むことだ。
それも、いつも選挙のことで頭が一杯になっている人ではなく、政策を考える「余裕」のある人でなければならない。
イギリスの政党は、将来、党を背負って立つ有為の人材には勝ちやすい選挙区を与え、できる限り政策活動に専念できる環境を作ってやると言われている。
政治が力を発揮するためには、単に優秀な人を送り込むだけではなく、優秀な人が優秀な仕事をし続けることができるような条件を用意してあげることも重要だろう。
どんな優秀な人も、選挙のことばかりに専念していれば、そのうち「ただの政治家」になってしまうだろう。
二言目には「官僚主導の打破」と言うが、それは自らのビジョンのなさが生み出した「幻の敵」だ。
しかし、役人たちを叩き、虐めるだけではその「幻の敵」は消えることなく、亡霊のようにつきまとうことだろう。
その「幻の敵」に打ち克つためには、明確なビジョンで国民を引っ張ることができる真のリーダーに自らがなることだ。そうすれば、実態のない亡霊など、自然に消えるだろう。
官僚主導といって役人を叩いているだけなのは、自らが国家運営のビジョンを持たず、リーダーとしての資質に欠けていることをよく知っているので、それをカモフラージュし、「リーダーぶる」ためのレベルの低い「演出」なのだろう。
観客の質が低い間はその手も通じるだろうが、政権選択が現実味を帯びる中で、観客のレベルもアップすると、いつまでもそんな安芝居が通用すると思ってはいけない。
これからの日本の将来を左右する一大選択の機会にふさわしい実質的な政策論議で、日本の民主主義のレベルアップ度を世界に印象付けてほしいものだ。
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