時の記憶

時代の記憶として残したいニュースの勝手な論評です。


このページにつついて

 メインストリームのニュースから少し外れたところにこそ、えてして時代の真実が隠されています…などと、たいそうなことを言うつもりはありません。
 でも、ちょっとしたニュースに何を感じ、何を考えたかを残すことで、自分の人生の軌跡みたいなものを残せないかな~と感じています。
 なので、私小説的な時事論評として読んでいただければと思います。
 もちろん、感想は下の「作者にメール」でお寄せください。
閲覧回数:259104
このブログを購読
作者のプロフィール

最近のエントリー

■グーグルのモトローラ買収が問うもの   (2011年08月18日)
■起こるべくして起きた「あってはならない事」   (2010年10月02日)
■一億人の白痴に二度敗北した菅総理のイライラ   (2010年07月14日)
■「もらえる者」と「もらえない者」に差別化される国民のうっ憤   (2010年06月18日)
■総理の大量消費によっても癒されない渇き   (2010年06月08日)
■内なるゴジラに破壊された銀座のシンボル   (2010年05月22日)
■へんくつ婆さんが首相に問う政治の責任   (2010年05月12日)
■ギリシア危機に見る日本の行く末   (2010年04月15日)
■ネットのフリー経済がもたらすビジネスの困惑   (2010年03月20日)
■歴史的に不毛な選択を国民に迫る政治の混迷   (2010年03月18日)
■基地問題にみるアメリカの永遠の占領政策   (2010年02月23日)
■だらしない国家観が阻む永住外国人の参政権   (2010年01月29日)
■民主主義の最後の免疫力   (2010年01月20日)
■ものわかりのいい大臣が許す組織のタガの緩み   (2010年01月14日)
■デフレ経済の出口   (2010年01月04日)
■日米密約文書調査が生んだ思わぬ成果   (2009年12月24日)
■ママ丸抱えの『超高級ニート』総理が危うくする日本の国益   (2009年12月21日)
■民主党政権の終わりの始まり   (2009年12月16日)
■民主党政権の最初の100日が残したもの   (2009年12月14日)
■女房に逃げられた自民党のその後   (2009年12月03日)
■事業仕分けが見せつけた国家の迷走   (2009年11月18日)
■臨時国会で見えてきた鳩山政権の放物線   (2009年11月11日)
■日本郵政の社長人事で垣間見える連立三党のビミョーな関係   (2009年10月22日)
■資本主義が生み出した深い闇-アメリカの医療制度   (2009年10月15日)
■「小沢式」スパルタ教育に震え上がる与野党のセンセーたち   (2009年10月06日)
■与党となった民主党が答えなければならない疑問   (2009年10月05日)
■民主主義を見殺しにする傍観者たち   (2009年10月01日)
■左手でムダ撲滅を掲げ、右手でキャバクラに税金を使う政治の「質」   (2009年09月30日)
■永田町攻防戦-これからの三つの見どころ   (2009年09月24日)
■小泉改革はなぜ地に堕ちたのか   (2009年09月10日)
■民主党の大勝後の各党の「戦後処理」~(その2)民主党編   (2009年09月01日)
■民主党の大勝後の各党の「戦後処理」~(その1)自民党編   (2009年08月31日)
■民主党政権の命運を握る3者の正体   (2009年08月24日)
■マニフェストにおける「目的」と「手段」   (2009年08月20日)
■戦う前から気になる自民党の「戦後」   (2009年08月20日)
■日本人を太平洋戦争に追いやった真犯人は誰だったのか   (2009年08月18日)
■私がiPodを買うのを辞めた理由   (2009年08月09日)
■国民の眠れる権利が覚醒するときの新聞の役割   (2009年08月08日)
■民主党マニフェストから奇妙に抜け落ちている視点   (2009年07月31日)
■マニフェストをめぐる財源論争に隠されたもの   (2009年07月28日)

アメリカ大統領と日本の総理にみる「調理方法」の違い

2009年01月23日

「チェンジ」を繰り返した候補者が、本物の大統領となって最初に国民に求めたのは「責任」だった。
 大統領の仕事始めが、国民の耳に痛い話から始まるのは、アメリカの伝統かもしれない。

 これまでの大統領も、ひとたび当選すると、選挙期間中から一転して国民に対して自覚を求めてきた。
 有名なところでは、ケネディ大統領が、「君たちのために国が何をできるかではなく、君たちが国のために何をできるかを問いなさい」と言ったが、同じ言葉を日本の総理が演説で言ったら、間違いなく野党が「国家主義の復活を目指すものだ」といきり立つことだろう。

 オバマ大統領も、「我々が、我々自身に、国に、世界に対して義務を負っているということを、すべてのアメリカ人が認識しなければならない」と言っている。しかも、その義務を「ブツブツ言って引き受けるのではなく、喜々として引き受けるように」と、かなり厳しい。
 この部分で拍手がなかったのは、ぐっと身が引き締まる思いに聴衆が思わず拍手することを忘れたからだろうか(笑)。

 このように、アメリカ大統領は、国民に対して、日本の総理なら「おい、こんなことまで言って大丈夫か。」と心配になるようなことを「平気で」言う。
 それに引き換え、日本では誰の目にも明らかになりつつある財政破綻の危機を前にして、消費税の引上げ時期を明記するか、しないかということで、政局が取り沙汰される有様だ。
 もろろん選挙がすぐ目の前に迫っているので、今は甘いことしか言わないという戦略(という名のサル知恵)もあるのだろうが、かといって、選挙後であっても、総理が国民に対して厳しいことを言ったことがあるかと言えば、あまりそういう記憶もない。
 せいぜい、選挙前は黙っていて、選挙が終わったらこっそり持ち出してきて、多勢に無勢とばかり数の力で国会を通す、といったことを繰り返すばかりだ。

 なぜ、日本の政治家やリーダーは国民に対してきちんと言うべきことを言えないのか。
 それは、単に、政治家のレベルが低いとか、その政治家を選んだ国民のレベルが低いという、誰もが認める問題だけが原因ではないかもしれない。

 それは、日本の総理が、議院内閣制という制度の下で、シェフのおまかせコースのように、厨房で国民の知らないところで料理されて出されるだけ、ということが微妙に関係しているような気がする。
 客でしかない国民は、出された料理がまずいだの、少ないだのと不満を言い、別のものを出せと文句を言うだけだ。

 それに引き換え、アメリカの大統領は、長い選挙期間を通じ、自分でシチューを作るように、自らの手で料理をして作り上げたものだ。
 だから、そうやって選ばれた大統領は、選んだ国民の「自己責任」にストレートに訴えかけることができるのかもしれない。

 最近、総理の「半減期」がどんどん短くなっているという。
 放射性物質が崩壊して半分になるまでの期間をもじって、総理の就任時の支持率が半分になるまでの期間ということらしい。
 小泉総理のときは、半減期に達するまでに何年もかかったが、今の麻生総理は数か月だ。
 もちろん当の本人の「もろさ」が半減期を早めているという面が大きいのだろうが、シェフのおまかせコースしか食べられない日本の議院内閣制度が、国民の自己責任を育むのに適していないという面も大きいのかもしれない。

 もっとも、お隣の国で、熱狂的に迎えられた大統領の支持率が、ちょっと牛でしくじっただけで見るも無残なことになっているのを見ると、短い「半減期」は東アジアの「特質」なのかもしれないが。


関連ブログの登録は、私の記事への賛成、反対は一切問いませんが、次のようなものに限りお願いします。

  • 賛成、反対にかかわらず、論旨がはっきりしていて、この記事と読み比べる意味があるもの、
  • 偏見に基づく誹謗中傷を含むものでないもの、
  • 不穏当な言葉遣いを含むものでないもの、

なお、お互いの記事相互に行き来ができるように、こちらの記事へのリンクが貼られていると読者にとって便宜なので、可能な限り、この記事へのリンクを貼っていただくようにお願いします。

タイトル
投稿者名
本  文
HPのURL
※参考となるあなたのHPがあれば、該当箇所のURLを記入してください。