アメリカ大統領と日本の総理にみる「調理方法」の違い
2009年01月23日
「チェンジ」を繰り返した候補者が、本物の大統領となって最初に国民に求めたのは「責任」だった。
大統領の仕事始めが、国民の耳に痛い話から始まるのは、アメリカの伝統かもしれない。
これまでの大統領も、ひとたび当選すると、選挙期間中から一転して国民に対して自覚を求めてきた。
有名なところでは、ケネディ大統領が、「君たちのために国が何をできるかではなく、君たちが国のために何をできるかを問いなさい」と言ったが、同じ言葉を日本の総理が演説で言ったら、間違いなく野党が「国家主義の復活を目指すものだ」といきり立つことだろう。
オバマ大統領も、「我々が、我々自身に、国に、世界に対して義務を負っているということを、すべてのアメリカ人が認識しなければならない」と言っている。しかも、その義務を「ブツブツ言って引き受けるのではなく、喜々として引き受けるように」と、かなり厳しい。
この部分で拍手がなかったのは、ぐっと身が引き締まる思いに聴衆が思わず拍手することを忘れたからだろうか(笑)。
このように、アメリカ大統領は、国民に対して、日本の総理なら「おい、こんなことまで言って大丈夫か。」と心配になるようなことを「平気で」言う。
それに引き換え、日本では誰の目にも明らかになりつつある財政破綻の危機を前にして、消費税の引上げ時期を明記するか、しないかということで、政局が取り沙汰される有様だ。
もろろん選挙がすぐ目の前に迫っているので、今は甘いことしか言わないという戦略(という名のサル知恵)もあるのだろうが、かといって、選挙後であっても、総理が国民に対して厳しいことを言ったことがあるかと言えば、あまりそういう記憶もない。
せいぜい、選挙前は黙っていて、選挙が終わったらこっそり持ち出してきて、多勢に無勢とばかり数の力で国会を通す、といったことを繰り返すばかりだ。
なぜ、日本の政治家やリーダーは国民に対してきちんと言うべきことを言えないのか。
それは、単に、政治家のレベルが低いとか、その政治家を選んだ国民のレベルが低いという、誰もが認める問題だけが原因ではないかもしれない。
それは、日本の総理が、議院内閣制という制度の下で、シェフのおまかせコースのように、厨房で国民の知らないところで料理されて出されるだけ、ということが微妙に関係しているような気がする。
客でしかない国民は、出された料理がまずいだの、少ないだのと不満を言い、別のものを出せと文句を言うだけだ。
それに引き換え、アメリカの大統領は、長い選挙期間を通じ、自分でシチューを作るように、自らの手で料理をして作り上げたものだ。
だから、そうやって選ばれた大統領は、選んだ国民の「自己責任」にストレートに訴えかけることができるのかもしれない。
最近、総理の「半減期」がどんどん短くなっているという。
放射性物質が崩壊して半分になるまでの期間をもじって、総理の就任時の支持率が半分になるまでの期間ということらしい。
小泉総理のときは、半減期に達するまでに何年もかかったが、今の麻生総理は数か月だ。
もちろん当の本人の「もろさ」が半減期を早めているという面が大きいのだろうが、シェフのおまかせコースしか食べられない日本の議院内閣制度が、国民の自己責任を育むのに適していないという面も大きいのかもしれない。
もっとも、お隣の国で、熱狂的に迎えられた大統領の支持率が、ちょっと牛でしくじっただけで見るも無残なことになっているのを見ると、短い「半減期」は東アジアの「特質」なのかもしれないが。
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