時の記憶

時代の記憶として残したいニュースの勝手な論評です。


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 メインストリームのニュースから少し外れたところにこそ、えてして時代の真実が隠されています…などと、たいそうなことを言うつもりはありません。
 でも、ちょっとしたニュースに何を感じ、何を考えたかを残すことで、自分の人生の軌跡みたいなものを残せないかな~と感じています。
 なので、私小説的な時事論評として読んでいただければと思います。
 もちろん、感想は下の「作者にメール」でお寄せください。
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ネット社会で漂流する新聞

2009年01月14日

 1月8日付け朝日新聞が、「民意とは何か」という特集で3人の識者の見解を掲載していた。
 それぞれの立場から書かれた主張は、それぞれのバックグラウンドを色濃く反映したものでとても面白いが、中でもジャーナリストの鳥越俊太郎氏の説が、メディアの役割に関する旧タイプのメディア人の認識を披歴していて、面白い。

 鳥越氏が、「民意はつねに浮遊し、漂流する。評論家の…主観的な発言に誘導されもする。」と言うのは、ビジネスとしてのメディアで飯を食べる氏ならではの実感がこもる。
 氏はさらに、「戦前・戦中なら新聞が果たした民意誘導の役割の大きな部分を、今ではテレビが、より強力に引き受けている。」と言う。

 ではなぜそうなったのかと言えば、視聴率がそのまま広告収入に直結するテレビ屋は、「とにかく見てもらうこと」が至上命題だからだ。
 だから、何かといえば既成メディアがネットの悪い面としてやり玉にあげる「あおり」が、実は既成メディアが視聴率や部数を稼ぐための基本ツールだ。
 なので、部数や視聴率で商売をする人たちは、終始、火が付きやすく燃え上がりやすい材料を、まるで漁師が漁場を探しまわるように探し求めている。
 「マスメディアは第一次産業だ」と揶揄される理由だ。

 その点、定期購読がメインの新聞は、購読部数が大きく変動しないので、とにかく見てもらう、買ってもらうといったレベルでの、えげつない「あおり」とは一線を画しているところが、他のメディアにはない「良識」なのだろう。
 逆に、テレビ屋から見れば、すぐに視聴率や部数の心配をしなくて済むインテリ新聞屋とは、「鍛え方」が違うという自負があるのだろう。
 それが、鳥越氏が言うところの、民意誘導の「役割」がテレビに移っていることの理由かもしれない。

 しかし、人々が定期購読する新聞を決めるときは、その新聞が持つカラーで選ぶので、新聞にとっては自分の「立ち位置」をはっきりさせることが重要になる。
 だから、新聞が「中立的な事実の報道をする」というのは、幻想に過ぎない。というか、今どき高校生ですらそうは思っていないだろう。

 例えば、露骨に自民党を援護射撃する読売と、これまた露骨に民主党への政権交代を期待する毎日、朝日を読み比べるとわかるように、新聞にとって「事実」とは、まるで法廷で提出される証拠のように、自分たちのストーリーを補強する材料でしかないようだ。
 もちろん、提出される個々の事実は「真実」なのだろう。しかし、それは、原告や被告それぞれの主張を支える事実に過ぎない。
 政権交代が現実味を帯びるなで、最近の新聞報道が法廷論争のように事実を報道する様をみると、これは報道機関なのか、国民から購読料をまきあげて政治活動を行う政治団体なのか、よくわからなくなる。

 何にもまして問題なのは、氏にとって「民意の誘導」がマスコミの当然の役割で、それをこれまで新聞が「果たして」きたことを、当然視していることだろう。
 その裏には、「民主主義は新聞が作るもの」という自負がチラチラと見えていて、これが身分制社会の新聞屋の中で「政治部」が偉い理由なのだろう。

 そういう人たちの目には、国民とは迷える羊であって、自分たちがきちんと誘導してあげないとどこかにさ迷ってしまうと映るのかもしれない。
 これは、今の国民にとっては、はなはだ馬鹿にされた話だ。
「君たちは自分で考えることなんかできないんだから、毎月、購読料をきちんと払って、毎朝読む新聞の言うところに誘導されなさい。」とでも言われているかのようだ(笑)。

 この発想は、新聞が活字メディアを独占し、テレビ(地上波)が視聴メディアを独占している時代の産物だろう。
 新聞が膨大な活字メディアの一つに過ぎず、テレビが様々な視聴メディアの一つに過ぎなくなったネット社会では、民意がいったい誰に「誘導」されているのか、よくわからない。
 東西冷戦が終わり、ぞろぞろと民族主義が跋扈して混乱をきわめつつある国際社会のように、新聞やテレビが「きちんと」民意を誘導してくれていた時代が終わり、鳥越氏がいうように民意は「漂流」している。
 ちょっとしたことで反日に火がつく中国のネットや、嫌韓、嫌中がジクジクと支配する日本のネット・ナショナリズムを見て、ネット時代の民意というのものが、とても危うくて脆いものに感じる人は多いだろう。

 そういう状況に対して、規制のエリート・メディアは何をすべきなのか。
 鳥越氏のように「民意が危ういものだからこそ、政治は面白いのだと思う。」と、まるでサッカーの試合でも見るかのようにに楽しむだけでは、ちょっとアレかなと思う(笑)。

 ネットナショナリズムにしても、ちょっとしたことで燃え上がるネット世論にしても、その背景には「自分で考える」という態度の欠如があるように思える。
 世の中のさまざまな事実には両面があって、立ち位置をちょっと変えるだけで見えてくるものが違うということを知るだけで、ネット社会の民意の「質」が一段も二段もアップするのではないだろうか。
 経営者が労働者のことを思い、労働者が経営者の立場を理解するといった想像力を働かせたり、社会的に弱い人の生活を思いやってみるとか、ほんの60年前には隣の国に侵略されていた国が自分たちのしていることをどう思うだろうかとか、そんなに高度な学識がなくてもちょっとした想像力を働かせることで、自分で考えられることは沢山ある。

 そんな、「自分で考えること」ができる国民が、ネット社会での民主主義にとっては一番の宝だろう。
 民意を「誘導するもの」という眼だけで見てきたメディアは、その面での努力を怠ってきたのかもしれない。

 物事をもっと中立的に報道しろというのは、新聞に無色になれということではない。
 世の中は、水戸黄門のように単純な白と黒の世界ではないんだ、ということを知るためにも、多面的な報道というのが不可欠なのだ。なんでもタダで手に入るネット社会での新聞の付加価値はここにあると思う。
 その上で、それぞれの新聞のカラーを出した主張を社説や論説ですればよい。
 報道と主張を混同し、自分たちの主張に沿った事実を中心に報道欄を組むような新聞からは、「考える国民」は生まれるはずもない。


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