宗教音楽のような日本の平和メッセージ
2009年01月06日
選ばれた7人しか参加することができない平和7人委員会という人たちが、イスラエルのガザ侵攻に関して、一刻も早い攻撃停止と停戦を緊急アピールしたという。
イスラエルに武力攻撃の即刻停止を求めるならば、なぜ、そのはるか前からハマスが行ってきた、イスラエル領内に向けての、しかも民間人をターゲットにしたロケット弾の発射の即刻、かつ完全な停止を、この軍事行動の前に求めなかったのだろうか。
そもそも平和を希求するメッセージを出すのに、なぜ「選ばれた7人」でなければならないのか、選民思想と平和主義がどのような関係のあるのか不明であるが、日本の平和主義者があらゆる武力行使を非難するさまを見てシラけてしまうのは、不法な武力攻撃から自国民をどのようにして守るかということについて、なんの定見も示せないからだ。
イスラエルは、周囲の諸国からその存在すら否定されている国だ。
北の国境にはイランの支援を受けてミサイルを持っているヒズボラが国家破壊を虎視眈々と狙っている。
そして、西のガザ地区からはハマスが、それこそ何千と雨あられのようにロケットをぶち込んできている。
これまでは性能が悪く、市街地まで届かなかったが、ここにもイランの「支援」が届きつつあるようで、さらに性能が高くイスラエルの奥深くロケットを打ち込めるようになるという。
そんな国の人たちに、戦後60年、金で買った用心棒のうしろに隠れ、自分では手を汚さずに核抑止力まで持つこの国の、自称「選ばれた者」たちが発する場違いなメッセージに、同じ日本人としてもバツが悪く感じてしまう。
もちろん人々が血を流すことは避けるべきだし、平和が良いに決まっている。
イスラエルだって、好き好んで戦争をしたいわけではないし、できるならば平和を謳歌したいと思っている。
問題は、「選ばれた」7人の皆さんがイスラエル人だとして、イスラエルが今置かれている状況の中で、何千発もロケットをぶち込まれている同胞に対して、同じ言葉を言えるのだろうか、ということだ。
それはあたかも、世田谷一家4人殺害事件の遺族の方の前で死刑廃止の演説をするのと同じくらい、白々しく歯が浮くような、そして何事も「ひとごと」としてしか語れない無責任な評論家的発言だと思う。
多くの自国民が、自国領内で外国政府のエージェントに誘拐されて連れ去られ、しかも今なお生存している可能性が高い中で何もできずに手をこまねいている国から「選ばれた」7人らしいといえば、いえなくもないが・・・。
東西冷戦時代であれば、全面核戦争でもならない限り、日本が戦争に巻き込まれる心配は現実のものではなかったかもしれない。
しかし、北朝鮮のミサイル攻撃が現実の脅威となっている今の極東アジアの現実の中では、いるかいないかわからない神に祈るように、平和を「雨乞い」するだけでは不十分だ。
その脅威が現実化した場合に日本はどのように行動するのかというプログラムがきちんと見えないと、国民としては安心できない。
日本も着々とミサイル防衛の整備を進めているが、「弾丸を弾丸で打ち返す」ようなミサイル防衛の性格上、日本に打ち込まれたミサイルをすべて撃ち落とすのは奇跡に近いことだろう。せいぜい被害を小さくするくらいの効果しかないのかもしれない。
そして、何発かが日本の大都市に着弾して数千人単位で死者が出た場合、日本はどのように行動するのだろうか。
あるいは、そういう事態を未然に防ぐために、何かできるのだろうか。
平和を雨乞いする人たちは、常に国民の頭のどこかにあるこういう心配事に対して、何と答えるつもりなのだろうか。
それとも、「右の頬を打たれたら、左の頬を差し出しなさい」とでも言うのだろうか。
軍事だけが、自国民を防衛する手段でないことは、誰でも知っている。
そして、多くの場合、軍事というのは、コストの割りに効果が少ないし、副作用も大きい劇薬だ。
今回のイスラエルのガザ侵攻にしたって、それが防衛行動として最も合理的なものだったかどうかは、長期的に考えると疑わしい面もある。
そもそもハマスがロケット弾を打ち込んでいるのも、イスラエルが敷いているガザ封じ込めのための国境封鎖措置に強く抵抗しているからで、軍事行動の前に尽くせる外交手段があったのではないかとも言われている。
それに、今回何百人も殺してしまったパレスチナとは、結局のところ、永遠に隣国であり続けなければならない。その人たちの間に、孫子の代まで続く怨念を残したことが、長期的に見て自国の安全保障にプラスになったのか、という疑問もある。
その一方で、ヒズボラの増長を許し、北に深刻な脅威を抱えることになってしまった過ちは繰り返したくないだろうし、現にハマスのロケット弾の性能が「向上」して市街地まで狙えるようになると、これまでと違って、多くの犠牲者が出る現実の脅威になるだろう。
イスラエルは、こういう状況の中で、どういう手段を組み合わせて平和を実現していくのかというギリギリの判断をしているのだろうし、そういう人たちに対して発せられた今回の「選ばれた」7人の人たちのメッセージをかの国の人たちが知ったとしたら、どんな反応をするのかと、同じ国民として赤面してしまうのは私だけだろうか。
これまでの平和主義のように、単なるイデオロギーとしての「雨乞い」平和主義では、現実の軍事的脅威を抱える国民に対して説得力を持つことはできない。
平和をどのように実現していくのか、そのために、軍事と外交、経済をどのように強化し、駆使していくのかという明確なビジョンと具体的なプログラムを示することができないのであれば、それは政策ではなくて、宗教だ。
しっかりした視点を持った平和主義者ならば、無責任な「ひとごと」メッセージではなく、イスラエルが軍事行動に訴えなくても済むような状況を生み出すことに外交の汗を流すことで、平和のメッセージを発しなければならない。
行動の伴わない独り言メッセージを遠く安全な場所から言い放つだけでは、自分の存立が現実に脅かされている国民の気持ちを1ミリも動かすことはできないだろう。
今回の危機に対して、欧米のリーダー達が現地入りしている。
派手好きのサルコジ大統領が現地で親アラブ的な発言をしているし、オバマ次期大統領も、イスラエルの町を訪れて、「俺もこんなふうにロケットをぶち込まれたら同じことをやる」と「率直な」発言をしている。
もちろん、フランスは自国内に大きなアラブ人コミュニティを抱えているし、アメリカはユダヤ人が支えている国だという、政治的「動機」がある。
しかし、少なくとも、イスラエルの軍事行動には止むを得ない面もあって、そういうことをしないで済むように汗をかこうという姿勢だけは、少なくとも見える。
これに対して、日本から発せられる「平和のメッセージ」は、残念ながらただの宗教音楽にしかきこえない。
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