鈴木ヒロミツさんの「最後の選択」に想うこと
2007年03月17日
鈴木ヒロミツさんの死に関して想うことは、Wikiにも誰かが書いたように、やはりガンの本人告知のことだろう。
医師の診察を受けたときには既に手遅れで、鈴木さんは医師からの告知も冷静に受け止めたという。そして、家族から離れて病院で治療することよりも、家族とともに過ごすことを選んだそうだ。
私たちが知る鈴木さんらしい、人生の最後の選択の仕方だと思う。
ガンの本人告知では、「命」という映画があり、豊川悦司さんの素晴らしい演技に感動したが、死、しかも予告つきでやってくる死が、どれほどまでに深く人間を変えるものかは、キューブラー・ロスの「死ぬ瞬間」を読めばよくわかるし、自分の人生が残り少ないことを知って初めて、人生にとって意味のあるものと、そうでないものの区別がつくようになったと言う人は多い。
ただ、人生そのものが予告つきの死であるにもかかわらず、多くの人たち(もちろん、恥ずかしながら私も含めて)が、そのことをケロっと忘れて、本質的でないものにばかりに目を奪われているのは、どうしたことだろうか。
毎年、生物学的には成人しても頭の中はチンパンジーから進化していない連中がバカ騒ぎする成人式などはやめて、
「お気の毒ですが、貴殿は現代医学では手遅れです。残念ながら、長くてあと60年くらいの命とお考えください。」という本人告知をしてあげた方がいいのではないだろうか。
| ■鈴木ヒロミツさんの告別式に250人参列(2007年) |
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