フツーじゃない「普通の国」理論
2007年03月14日
安倍総理の言う「普通の国」とは、例えばどこ国のことなのだろうか。アメリカ? どう見てもフツーじゃないよな、この国(笑)。
フランス? 何かというとフランス語「さえ」喋れない文化的教養度の「低い」国を見下したあの態度、フツーじゃないよなあ。
イギリス? すばらしく「開かれた」王室といまだに世襲議員の上院、うーん、これもフツーじゃねえよなあ。
中国? 12億人の常識は世界の非常識だし。
イタリア? 社会の隅々まで根を張るマフィア社会と異常な女好き。とてもフツーじゃない。
いったいどこなんだ?
要するに、多様な歴史と文化を持つ世界の国々に、フツーの国などないのであって、みんなそれぞれ恐ろしくユニークなのだ。まして、国際社会で「目に見える」国々は、それぞれに素晴らしく「異常」だ。
当面は世界第二の経済規模を持ち、少し前の戦争で大暴れしながら、一晩たって酔いがさめるとケロッとして、酔って何をしたか憶えていない日本も十分「異常」だ。
で、大真面目に反省して、「もう酒は飲みません、絶対に。」と世界に約束するのも、ある意味、素敵な「異常」じゃないだろうか。
「フツーの国理論」が、国家の軍事とか交戦権だけをとり上げて、他の国々みたいに「フツーにバリバリ戦争できる」国、というのであれば、そういう「フツー」が果たして、禁酒宣言の「異常」より素敵なことなのか、もう一度、よーく考えてみる必要がある。
ヨーロッパの交差点にあって、何かというと他国の軍靴に踏みにじられ続けたスイスが、強力な軍備をもちつつ永世中立を宣言するという「異常」もある。
もちろん、今の東アジアの情勢の中で、日本もそうしろと言っているのではない。ただ、日本人の潜在意識の中で、他の国に軍事面で依存して平和活動に従事するということが、外に行ってバンバン銃を撃てる国よりも劣っているという気持ちがあるのではないだろうか。国防さえ自分でできず他国に依存する一人立ちしない未熟国家という意識だ。
でも、戦後の謹慎期間に、日本は平和活動に徹する、その代わり、アメリカはちゃんと日本の安全の面倒を見ろよ、という役割分担自体にコンプレックスを感じる必要はないし、頭はいいけど腕っぷしは弱い子が、頭はトロいけど体格だけはいい子といいコンビになることだってあるだろう。
だから、「フツーの国家論」の背後にあるような「依存症コンプレックス」を感じる必要はまったくないのであって、国家間の合意に基づく役割分担に従って、きちっと日本がその平和国家としての役割を果たしているのであれば、胸を張っていればいい。それよりも、一方で劣等感を感じつつ、なおかつ平和国家としての責務も中途半端に、おざなりにしている方が、よっぽど恥ずかしいことじゃないだろうか。
その上で、戦後60年が経過し、アメリカも、日本も、その周りの国々もこれほどまでに変わってしまった中で、これまでの日本の役割分担を見直すべきなのか、どうなのか、という議論をすべきであって、「フツーの国」などという意味不明な議論で、大事な国家の進路を議論すべきではない。
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| ■改憲に一定の理解=シンガポール首相、日本人記者団と会見 (時事通信社 - 2007年03月14日) |
【シンガポール14日時事】シンガポールのリー・シェンロン首相は14日、18日からの訪日を前に官邸で日本人記者団と会見し、安倍晋三首相が憲法9条の改正を唱えていることについて、「日本は普通の国になりたいと思っている」と述べ、一定の理解を示した。
ただ、同時に「他国や地域の反応も十分考慮する必要がある」と指摘。「日本がさらに第二次大戦の歴史を過去のものとすることができれば、(憲法改正の)調整もより簡単になる」と語った。
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