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こういう、日本人にとって「いわれのない」「言いがかり」が、歴史の臭いがしただけですぐ青筋を立てるあそこの国と違って、少しは中立的にものを見てくれるだろうと信じていた青い目(まあ、この場合は必ずしも青くないわけだが)の人たちから出てくると、ショックを受け、結局、事情を知っている者同士で集まって赤提灯で一杯やりながら、愚痴とも悪口ともつかないことを言い合って慰めあう・・・。
いつもお馴染みの、われわれ日本人の行動パターンだ。
「どうせ言ってもわかってもらえないし・・・。」という外に対する諦めが、「以心伝心でなんでも分かり合える」内への引きこもりを生むのだ。
それは会社員も国民も同じ。
狭義の強制性と広義の強制性・・・。
そりゃそうかもしれない。でも、はっきり言って、外のメディアや読者からすれば、「こいつら、いったい、何言っているんだ?」というのが率直な印象だろう。間に民間の業者をかませれば、それはもはや狭義の強制性はない、などと、まるでマネーロンダリングみたいな議論をしたって、理解してもらうのは容易ではない。
理解してほしい内容の複雑さが2倍になると、それを理解してもらうために必要な努力はその2乗、つまり4倍になるのが、広報の実感だ。
だから、国際世論では単純で力強いメッセージが「勝ち」やすいし、自国から発したメッセージを受け入れてもらいやすいようにするための素地づくりを日頃から長い時間をかけて行っていなければならない。相手の国の政治メカニズムをうまく利用する能力も必要だろう。
この件については、既に、そのいずれでも負けているような気がする。
まして、一度認めた河野談話を見直すなんてことしたら、恥の上塗りをした上に、ますます日本人って信用ならんやつらだという印象を与えるだろう。
それをすべきではない、と言っているわけではない。それが、マネーロンダリング論ではなく、常識的な意味で真実に反することであって、国家のアイデンティティに関わることなら、どんな不利益があってもやるべきだろう。
ただ、国際社会で理解してもらうことは恐ろしく難しく、これまでの日本外交が見せてきた能力では、およそ乗り越えることが困難だと思えるような、難しい広報が必要だということだ。
外交というのは、ODAの金額だけではないし、広告代理店に金を払って行う日本イベントだけでもない。ましてや、大使館員が本国に打って、外務本省の机の上で死蔵される公電の数だけでもない。
国際世論に働きかけるための、目に見えないインフラを作るための努力を日頃からどれだけ行ってきたか、ということが、こういうときに如実に表れる。
| ■従軍慰安婦事件で安倍首相の談話-広義の強制性と狭義の強制性 |
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