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名古屋地下鉄談合の事件としての意味は、これまでの談合とちょっと違う。
それは、大手ゼネコンが全社的に談合との決別宣言をした後に行われた談合ということだ。
つまり、社として天地神明に誓って(少なくともフリとしては)社会に宣言したことを、一ミリも守れていなかったということだ。いや、「守れていない」ではなく、副社長が黙認していたということは、「守る気がなかった」ということになる。
この人達は、国民とか社会とかいうものをどう思っているのだろうか、と厳しいことを言うのは当然だ。
ただ、談合には深い根がある。
政官業の癒着うんぬんは別にしても、価格だけで競争して、本当に国民の利益になるのか?と思う人も多い。機械一つリースで借りてくるだけで「業者」になれるこの世界で、価格オンリーで公共工事が受注されるとどうなるんだ、例のマンション業界を見てみろ、安い、安いというだけで手を出して、不良マンションつかまされて、あげくの果ては国が面倒を見ろと叫んでいるあの人達を。
あれと同じことが公共工事で起きていいのか?という、不良不適格業者排除の理論が一つ。
もう一つは、発注価格が予定価格として原価主義で積み上げられていて、それを下回る価格で受注しているのだから、納税者の利益を害していることにはなってないだろうが、という予定価格の理論。
それと、受注してなんぼの世界の請負業では、固定費を出すにもとにかく受注しなければならないので、仕事が喉から手がでるほどほしくて、ついつい赤を覚悟で仕事に手を出してしまう、という叩き合い・共倒れ理論。
まあ、こういうことがあって、業界関係者としては心の底から談合と決別できると、本当には思っていない、というか、この業界の「原罪」のようなもので、罪を背負いながら、道に並ぶ人達から石をぶつけられながら、丘を目指して歩いていくしかない、という思いなのではないか。
だから、談合決別宣言といっても、業界が抱えるこの構造的問題に対して答えがないままにやってみても、微分・積分もまともにできない受験生が東大合格宣言をするみたいに、虚しい。
各社の営業担当者は、常にタイーホの緊張感を持ちつづけながら、これからも隠れキリシタンのように談合を続け、それを徳川幕府のように検察がタイーホしていくのだろうけど、それは問題の本質を放置しながら、そこから湧いたハエを叩いているだけだ。
ゼネコンには自負がある。いや、あるべきだ。
私たちが生きる上で必要とするハードウェアを供給する生活産業だ。世界的にも技術力ではひけをとらない、どころか、リードさえしている。
ても、この業界はいつも国民の目には汚辱にまみれて見える、というか、実際そうだ。
なぜそうなのか。なんとかならんのか。
といいながら、百年たったわけだが、まあ、ゼネコンの江戸時代はあと百年は続くということだろう。
| ■名古屋の地下鉄談合、「大林組」副社長が事実上黙認(読売新聞 - 2007年03月04日) |
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