だらしない国家観が阻む永住外国人の参政権
2010年01月29日
これまで進めてきたことを止めたり、廃止したりするだけが「政策」であるかのような民主党が、「推進する」と言える数少ない政策の一つが、「永住外国人への地方参政権の付与」だ。
そして、皮肉なことに、それは日本国民が最も激しいアレルギーを起こす政策でもある。
その推進派の理論的支柱とされてきた長尾一紘・中央大学教授が自説を撤回し、「反省」していると産経新聞が報じた(1月29日付け)。
長尾教授の「法律の文献だけで問題を考えたのは失敗だった。」という驚くべき反省の弁に対し、「おいおい、大学の先生というのは、どこまで脳天気な世間知らずなんだ?」と多くの人が呆れている。
これに対し、1月27日付け朝日新聞が「私の『日韓』」と題して掲載した中曽根・元首相と金泳三・元大統領のインタビューは、意外、かつ、興味深いものだった。
竹島問題では「日本をしつけ直す」と言い、反日で気脈を通じる江沢民主席(当時)との会談では「日本の馬鹿どもの悪い癖を直してやる」と気炎をはいた金泳三氏は、このインタビューの中で「死ぬ前に日本が好きだと思えるようになりたい」と述懐する。
それは、言い換えれば、いまだに日本は大嫌いだが、それでも日本を好きになれるように努力することが大事だということが痛いほど分かっているということなのだろう。
金泳三氏を筋金入りの日本嫌いにしたのは、言うまでもなく、日本の植民地支配下での体験だった。
金氏の学校のキタジマという校長は、朝礼の30分のうちの25分を韓国の悪口に費やしたという。
大統領に就任した後、韓国人ですら反対した旧朝鮮総督府の解体・撤去を躊躇なく実行したのも、この「植民地体験」があったからだろう。
校長が「本当に悪い人だった」一方で、ワタナベという教頭は「本当にすばらしい立派な人」だったという。
金氏は、国会議員に当選したとき、そのワタナベ先生を韓国に招き、大統領になったときには先生のご遺族を大統領府に招いた。
その金氏は、韓国の三大紙の一つ「中央日報」によれば、最近は韓国のテレビはあまり観ず、日本のNHKばかり見ているという(http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=94426)。
他国から見れば、これほどまでに民族的にも、文化的にも、見た目でも似通っているのに、お互いに憎み合い、それでいて両国の将来にとってそれぞれを必要とし合っている国も珍しい。
このアンビバレンス(両価性)をいかにして乗り越えるかが、このアジアの片隅にあって、他国から見れば兄弟国にしか見えないこの二つの国の将来にとって、もっとも重要で、かつ、最も難しい課題なのだろう。
その意味で、「永住外国人への地方参政権の付与」という政策ほど、日本国民に難しいチャレンジを突き付けるものはない。
同記事におけるもう一人の登場人物、中曽根・元首相は、自らも認めるバリバリの民族主義者なので、さぞかし顔を赤くして反対しているかと思えば、インタビューの中では、「僕は原則として賛成。」とさらりと答えて読者を驚かせている。
しかし、中曽根氏のような大人物ならともかく、そう、すんなりと割り切れる人たちは、少ないようだ。
例えば、長尾教授の自説撤回を報じる産経新聞と同日に掲載されたインタビューで、亀井静香・国民新党代表は一貫して反対しており、「逆立ちしてもできない」と断言している。
では、なぜ反対なのかといえば、
「外国人が多数を占めている地域の場合、首長選や地方議員選で日本人の固有の権利が侵される危険性が生まれる。
地域の警察などの命令・強制の権力作用にまで参加することもあるし、間接的だが国政に強い影響力が生まれることにもなる。それは避けるべきだ。」
ということらしい。
しかし、考えてみれば奇妙な話だ。
参政権を認める永住外国人の範囲をどう決めるかという基本的な問題があるが、想定されている人たちは、北朝鮮系ではない韓国系の在日韓国人の人たちだろう。
だとすれば、過去の軍事政権の時代ならともかく、今の韓国は立派な民主主義国家であり、日本と同じく自由主義経済をベースにした法治国家だ。
北朝鮮に対する防衛という点では、外交、国防上の利益さえ共通にする部分も多く、日本と同様にアメリカと安保条約を締結し、同盟関係にある。
ましてや、参政権の範囲は地方参政権、それも被選挙権はなく選挙権のみというのだから、何を心配しているのか、よくわからない。
ひょっとすると、領有関係で争いのある竹島の属する島根県の隠岐の島町の人口がわずか16,900人足らずで、そこに大挙して韓国人が「永住」すると、隠岐の島町議会が竹島の名称を勝手に独島に変えたり、韓国による領有宣言をしたりするんじゃないかと、心配しているのだろうか。
それとも、「学校給食には必ずキムチとプルコギを含めるように」という教育委員会からの指示が出たりするのではないかと心配しているのだろうか。
「地方といえども国家の意思を体現して動くことが求められる場合もある。それが外国人の意思に左右されるのは危険だ」と反対派はいう。
しかし、法律で義務付けられている住基ネットから脱退して平気な顔をしている市長は、日本人だけによって選ばれた日本人の市長だ。
にもかかわらず、国のルールを守らせられないでいる。
最近も、天下の政令指定都市・名古屋の市長が、住基ネットからの脱退意思を表明しているにもかかわらず、「地域主権」を掲げる原口総務大臣は、「河村市長のご性格は皆さんもよく知っているでしょう?」と、バツが悪そうにヘラヘラ笑っているだけだ。
日本人のみによって選出された日本人の市長が法のルールを守らなくても、国家が手をこまねいて眺めているしかない状況を放置しているようでは、法治国家ではなく、「放置国家」だろう。
そのくせ、どういう事態が心配されるのかさえはっきりしないのに、永住外国人に地方選挙権を認めるのは危険だと主張するのは、ただのご都合主義にしか見えない。
地方が国家のルールを守らないときは、強制力をもってしてでも守らせるという法治主義さえしっかりしていれば、本来、心配する必要のないことだ。
国家の担うべき役割、地方が果たすべき役割についてきちんとしたけじめもつけずに、「地域主権」などと耳当たりのいいことばかりを言ってひたすら国家を弱々しいものにしてしまうものだから、近い将来、国を凌ぐほど強力になった地方に在日韓国人の意思を反映させてしまったら、この国は日本ではなくなってしまう、と人々が心配してしまうのだ。
「地方政治は生活共同体としての地域生活圏のことを自己決定し、日本国、日本国民の利益は国家がきちんと守る。
そのためには、法の力をフルに使ってでも、国家の意思をきっちり守らせる。」という安心感がないものだから、地方選挙に在日韓国人を関与させると、「日本がなくなってしまうのではないか」という気持ちになるのだ。
自説を撤回した長尾教授は、民主党が検討している外国人参政権法案は、「国家解体に向かう最大限に危険な法律」であって、「単なる憲法違反では済まない」という。
「単なる憲法違反」と、「それ以上の憲法違反」が法律的にどう違うのかは定かではないが(笑)、この長尾教授の恐怖感は多くの日本国民によって共有されている。
しかし、それは、とりもなおさず、民主党が「地域主権」の美名のもとに、日本人にきちんとした国家観を見失なわせてしまったことによるものなのだろう。
日本人の国家観があやふやにされてしまったために、この長尾教授のように、地方政治に外国人が関与することを極度に恐れるのだ。
ではどうすればいいか。
まずは、参政権を認める永住外国人の範囲を、日本人が納得し、安心できるように決めるべきだろう。
そのためには、少なくとも、
・日本と同じ民主主義国家の国民であること、
・相互主義により、その国でも永住日本人の地方選挙権が認められていること、
・日本の安全を脅かす敵対国家の国籍を持つものでないこと
という条件が満たされていなければならないだろう。
しかし、民主党は、この基本的な立ち位置についてさえ、明確な方針を示していないようだ。
そして、そのことがさらに人々の不安を煽っている。
そして、地方の恣意によって国のルールが守られず、それによって日本国民の利益が害される場合は、法治主義を貫徹し、つべこべ言わせずきっちりとルールを徹底させるということを明確にするべきだ。
いつもフワフワと耳触りのいいことばかり言うくせに、いざとなると何もできない「無責任男」ではなく、頼り甲斐のある親父のように、口数は少ないが、必要なときはいつでも伝家の宝刀を抜き、しっかりと家族を守れる国家なのだという安心感を国民に持ってもらうことだろう。
そのためには、国と地方の関係も、必要なときにはきちんと国家の意思を貫徹できる仕組みになっているかどうかという視点から、もう一度国と地方のルールも見直すことが必要だろう。
外国人参政権問題に対する日本国民の激しいアレルギー反応は、しっかりすべきものがしっかりせず、きちんと守らせるべきことも守らせられない「だらしない国家」に対する国民の不安感が噴出しているのだ。
韓国と日本が、日本による植民地支配という暗い過去を乗り越え、真の友好国として成長していくためには、永住外国人の地方参政権問題は、いずれ克服しなければならない問題であることは間違いないだろう。
しかし、そのためには多くの日本人が納得した上で受け入れられるように、必要な時間をかけ、議論がなされた上で導入されなければならない。
決して、「浅薄な政治家の短慮」ともはや同義になってしまった「政治主導」などという空虚な言葉を振り回して、強引に導入してはならない。
そして、残念ながら、現時点ではその導入ための国民的条件が十分に整っているとは、およそ言える状況ではない。
それを無視して、政治主導という名の政治暴力で無理やり導入するようなことがあれば、1998年の韓国における日本文化解禁や、日本の韓流ブーム、サッカーのワールドカップ共同開催などで徐々に埋まりつつある両国民の溝を、取り返しがつかないほどに拡大することになるだろうし、「政治主導」という名の政治的暴力を受けたと感じる国民の一部には、それをリアルな暴力で「お返し」しようとする者も出てくるだろう。
民主党政権になって四か月あまり。
中止を宣言してから地元と「話合う」八場ダム。
せっかく返還が実現しそうになったときに、出口戦略を考えずにゼロベースという名の「振り出し」に戻してしまった普天間基地。
どれだけの負担増になるのかも国民に理解させず、25%削減という「一人負け」ルールを国際公約にする地球温暖化問題。
これまでの民主党政治は、せっかくの立派な政治理念が、そのあまりにも稚拙でお粗末な進め方のために台無しにされてしまうことの繰り返しだった。
最初の100日が経過し、若葉マークが外れたのに、まだクラッチミートすらうまくできずにカクカクとしか運転できないようであれば、「あー、きみ、運転は向かないよ。もう、やめたら?」と国民に言われるだろう。
外国人参政権問題がそのダメ押しとなることのないよう、民主党は、国家の在り方を決めるこの大問題について、国民がその必要性を十分に理解し、納得するための手順と時間をかけなければならない。
仮に、これまでのような短慮と拙速による迷走を、この問題ででも繰り返すようなことがあれば、それこそ日本国民の不満をなみなみと貯めたダムが決壊し、民主党議員を根こそぎ押し流してしまうことになるだろう。
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