「原口ビジョンを官僚が改ざん?」という記事が掲載されたのは、新年の仕事始めから間もない1月5日だった(東京新聞他)。
原口ビジョンとは、総務省所管行政である地方行政とICT政策について、原口大臣が昨年末にまとめたビジョンである。
その目玉の一つが、ICT関連投資を倍増し、国民の生産性を3倍にするという、デフレで沈みがちな世間の気分をあざ笑うかのようなウハウハなものだった。
国民全員の生産性が3倍ということは、経済成長率も300%くらい目指すのかと思ったら、こちらは約3%、しかも2020年以降と、ちょっと腰砕けになっているのは気になるところではあるが、とにもかくにも、予定では、これがそのまま、年末に閣議決定された経済成長戦略の基本方針に盛り込まれるはずだった。
ところが、このせっかくのウハウハな原口ビジョンが、「基本方針」に盛り込まれる際に、当の本人の原口大臣も知らないところで、「情報通信技術にかかる分野の生産性の伸び三倍増」という、みすぼらしくトーンダウンされた目標にすり返られていたというのだ。
これに対して、原口大臣が記者会見で怒りをぶちまけた。
「選挙で選ばれていない者が文言をいじり、政治の意思を変えたとすれば大変なことだ。」
そう言って、経緯の解明と再発防止を指示したという。
その後、この件についての発言もないし、何かが動いているという雰囲気もなく、ウヤムヤにされてしまいそうな気配が濃厚だ。
もう一件は、もっと重大だ。
この原口ウハウハ・ビジョン改ざん事件の報道の二日後の7日、「総務省の鈴木次官を更迭」という報道が各紙でなされた。
省庁の幹部人事は、通常国会閉会後、6月とか7月とかに行うのが通例で、年明け早々というのは異例だ。
しかも、鈴木次官は、就任から半年しか経っておらず、これではどうみても記事にあるとおり「更迭」ということになる。
しかも、すべての記事の書出しは、「原口一博総務相は7日・・・人事を決めた」というものになっているし、東京、毎日、日経の各紙には、後任次官として報道されている岡本総務審議官の証明写真のような顔写真が掲載されている。
いかにもそのために撮影された、しかも同一の写真なので、おそらくは総務省側が用意したものなのだろう。
日経新聞などは、わざわざ解説記事まで掲載し、「後任の岡本審議官は…総務相の信頼も厚いことが決め手となったとみられる」とまで書かれている。
こういう記事を見た多くの人たちは、「原口大臣もやるなあ。ソフトムードのようだけど、人事では自分の筋を通すということなのか。」と思ったことだろう。
ところが、12日にオープンで行われた閣議後の記者会見での原口大臣の発言は人々を仰天させるものだった。
記者からの質問に答え、原口大臣は開口一番「人事については何も決めていません」と言ったのだ。(議事録は、
こちら。)
一同、「ええぇぇぇーっ。」だ。
それから、原口大臣は自らの苦悩を披瀝する。
「自分は、これまで民主主義の砦としての報道の理解者として努力してきたという自負を持っている。
しかし、この人事については、私には一回も確認がなかった。
にもかかわらず、「原口大臣は・・・」と報道されている。私は、このことが残念でならない。
そういう人たちを相手にせずに、直接正しい情報を言う人を相手にしなければならないのか、と思いつめたくらいだ…。」
総務大臣の記者会見はオープン制になり、こういうやりとりも、もはや秘密ではない。
そのオープンな記者会見で人事権者本人が明確に否定している以上、明らかな誤報だ。
しかも、その報道が、人事権者本人に一言も確認することなく行われたというのだから、「岐阜県庁裏金誤報問題」を起こして日テレ社長が辞任したテレビ番組「真相報道バンキシャ!」と同じだ。
「更迭」の記事を掲載した各紙は、少なくとも訂正と謝罪の記事を掲載し、原因究明をすべきだろう。
にもかかわらず、翌日の新聞はそのことに触れさえしていないようだ(全紙は未確認)。
これはいったいどういうことなのだろうか。
今回の捏造人事の一件を、新聞各紙が「うのみ」で報じたのか、それとも積極的に関与した社があったのだろうか。
日本の新聞が「真実の報道」をこれからも標榜するつもりなのであれば、他人の説明責任ばかり追及するのでなく、今回の捏造人事の一件について、自らの説明責任もきちんと果たすべきだ。
はっきりしていることは、これだけ新聞各紙が右向け右の報道をしているのだから、それなりに確かな出所があったはずだし、それはほぼ間違いなく総務省内部だろう。
つまり、人事権者である大臣があずかり知らないところで、次官人事にからむ策を弄している輩が、総務省内部にいるということを強く示唆している。
それは事務方なのか、政務三役まで巻き込んだ動きなのかはわからない。
(ちなみに、総務省の政務三役には、旧自治省系と旧郵政省系の「過去官僚」がそれぞれいる。)
組織勤めをした者はみんな知っていることだが、組織人間というのは一筋縄ではいかない。
自らの名望を実現するためには、手段を選ばない者も多い。
組織内の派閥が絡むときは、なおさらそれが激しい。
むしろ、トップ人事がからむときは、そういう権謀術策の一つや二つ、ないほうが稀なくらいだ。
一夜にして株式が紙くずになった日航の長期的な斜陽の裏には、会社の利益を犠牲にしてまで延々と繰り広げられてきた血みどろの派閥抗争がある。
地方自治体でも、市長が交代すると、反市長派の部長が清掃係りに格下げされた、などという笑えない話が報道されたりする。
旧通産省時代の次官レースでの、政治家を巻き込んだ派閥抗争も人々を呆れさせていた。
あらゆる政党、官庁、企業で、派閥抗争が日本の組織文化となっているのだ。
自分の派閥の勢力伸長のためなら、自分が所属している組織の利益すら犠牲にするのだから、ましてや国民、国家の利益などは、二の次、三の次になるのは当然といえば、当然だろう(笑)。
今回、「更迭」と報道された鈴木次官も、文芸春秋の「霞が関通信」などによれば、自らもその一員である総務省の事務方としては承認で決まっていた「かんぽの宿」の売却の一件を、前の鳩山(弟)総務大臣に耳打ちした「火付け役」らしい。
そういう「忠臣ぶり」が彼に次官のポストをもたらしたのだろう。
その結果、売却を免れたかんぽの宿の天下り役員は、そのポストを維持することができたし、国民はさらに垂れ流しされる赤字の負担を背負い込むことになったのだ。
国民の利益を踏み台にして自らのポストを得る、官僚の「鏡」だということだろう。
よく知られているとおり、原口大臣は東大心理学科卒業後、そのまま松下政経塾に入っており、その後、佐賀県議を経て国会議員となっている。
いわば、日本のどろどろとした企業文化、組織文化に揉まれたことのない、純粋培養の政経ボーイだ。
その一方で、今回の一件で後任次官として名前の挙がった岡本総務審議官の一派である旧自治省グループなどは、中央省庁とは比べ物にならないほど派閥抗争が激しく、寝首をかくことなど朝飯前の地方自治体に若くから出向させられ、「鍛えられている」人たちだ。
そもそも中央にポストが少なく、天下りポストも他省庁に比べて見劣りのする旧自治省から落下傘部隊として地方に投入される自治官僚は、自治体の現職知事、市長の「寝首」をかいて、自らポストを開拓するというミッションを負っていることは、公然の秘密だ。
それこそが、彼らの「開拓者魂」なのだ。
もし、このグループが主導したものだとすれば、やれ地デジだのICTだのと、機械オタクの旧郵政グループの寝首をかくなど、赤子の手をひねるようなものだと思ったのかもしれない(笑)。
原口ビジョンの改ざん事件といい、今回の人事捏造事件といい、原口大臣の組織掌握力の弱々しさを印象づけるものであり、大臣を著しく「コケ」にする話だ。
政治主導といいつつ、菅財務大臣のように、官僚が近くに寄ると取り込まれてしまうと恐怖するあまり、官僚を遠ざけることしかできない人や、職員を恫喝しまくった上に「協力してくれ」と頼む「ムシのいい」長妻厚労大臣などと違って、原口大臣は、よき理解者として官僚に接することでその力を引き出そうとしているのだろう。
しかし、原口大臣の「アティテューディナル・ヒーリング」で改心するほど、官僚は「やわ」ではない(笑)。
組織掌握の提要は、信賞必罰だ。
「ものわかり」がいいだけは、官僚はすぐに馬鹿にする。
かといって、恫喝するだけでは、面従腹背を貫いて、見えないところで毒針を刺すだろう。
その意味で、今回の一連の事件について、きちんと「けじめ」をつけることは、組織の「たが」を締める上で重要なことだ。
みんなが見ている記者会見で、人事権者たる大臣ともあろう者が「思いつめた」と女々しく吐露し、惨めで情けない姿をさらすようでは、政治主導が泣く。
無益な「犯人探し」は組織をぎくしゃくさせると心配しているのかもしれない。
しかし、「のり」を越えた者が出たときには、きちんとした「落とし前」をつけさせることは、組織を預かるものの大事な責任だ。
原口大臣は、今回の一連の事件について、決して「泣き寝入り」することなく、明確なけじめをつけるべきだ。
それでこそ、官僚という一筋縄ではいかない人たちからなる組織を掌握し、真の政治主導を発揮することができるだろう。
先の見えた鳩山首相の「跡目争い」で名前の挙がる大臣ならばなおのこと、きちんと「けじめ」をつけさせられる人だという恐怖感をしっかりと植え付けておくことが大事だろう。
そうでないと、またぞろ、官僚の「権勢症候群」が再発するかもしれない。