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同志社大学の浜教授が各誌でデフレ経済に対する「口撃」を強めている。
いわく、「ユニクロ型の安売りが国を滅ぼす」(文芸春秋・新年号)、「安売り競争が自分の首を絞めている、共存共栄探るべき時」(朝日新聞・1月4日)、という具合だ。。
もともと三菱総研でエコノミストを長くつとめてきた彼女なので、日本の産業界の悲鳴を代弁している面もあるのだろうが、安売りを非難する口調の明快さとは裏腹に、「じゃあ、何をどうしたらいいのか」という処方箋の方はすこぶる歯切れが悪い。
そのこと自体が、このデフレの原因の根の深さ、そしてそこから脱却することの難しさをあらためて人々に思い知らせているようだ。
サミット会場を転々と追いかけて現地警察とつばぜり合いを繰り返している急進行動家が訴えているような反グローバリズム論が、輸出立国・日本の大学で国際経済を専攻する教授の肩書きを持つ人が、日本を代表する全国紙で訴えるのだから、これは日本のデフレもいよいよ深刻になったのだろうと思わせる。
その昔、といっても20年ちょっと前のことだが、内外価格差が大問題だった頃、「どうして日本ではなんでもかんでも、こう高いのか」というやるせない気分が充満していたが、そんなことがまるで嘘のような価格破壊が進んでいる。
そもそも日本の高度成長が、1ドル360円というあり得ないような円安レートで長く固定されていたことに支えられていた以上、その後の「価格破壊」は円レートが「正常化」する中で、ある程度は仕方のないことだったのだろうし、海外のものが安く買えるのは強い通貨と経済の恩恵という面もあるので、消費者としては歓迎してもよいものだ。
しかし、最近の物価の下落は、このような為替レートの調整によるものというよりは、ヒト、モノ、カネの国境障壁がなくなるとともに、IT技術の進歩によって、世界全体が一つの市場へと統合されることによるものだ。
グローバル化以前の世界経済が、さまざまな貿易障壁と高い取引コストに阻まれて各国の経済が島のように孤立していた「島経済」なのに対して、新しいグローバル経済は、そのような障壁が撤廃され、一つの大きなプールを形成する「大洋経済」になるということだろう。
「部分」が独立している世界経済では、その部分ごとの温度差も大きく、ホットな資本主義もあれば、冷え切った資本主義、さらにはますます冷える社会主義もあった。
風呂の湯であれば、そういう温度差は、エントロピー増大の法則によりうすまって、均一な温度へと収斂するが、これまではさまざまなバリアによって、そのような均一化が阻害されていたのだ。
それが、国境を越えた経済活動の自由化とIT技術の進歩によって、妨げるものがなくなったということだろう。
浜氏は、「価格下落がデフレというのは誤訳。経済活動が縮み、価格が下がるのがデフレ」という。
ならば、価格変動を除いた実質ベースで成長率がプラスの日本経済はデフレではないのかと思えば、彼女によれば、そもそも「実質」成長率という概念自体がマヤカシだという。
その辺りの思考の整合性には「やや」不明な点もあるが、今の鬱屈した経済界の気分を考えれば、あながち同情できないこともない。
「そもそも良いデフレなんてのはありえない」と彼女は言う。
だから、「悪い」となった時点でそれがデフレになるのだろうが、その「良い」、「悪い」はいったい誰の目で判断されるのだろうか。
経済のグローバル化のおかけで、これまでは先進国から低賃金でアゴで使われるだけだった発展途上国の人々が、自ら起業し、ビジネスを成長させ、世界に販路を見出し、世界から仕事を請け負えるようになった。
インドで成長著しいIT関連企業と、そこで生み出された雇用は、経済のグローバル化と、バンガロールに代表されるITインフラの整備なくしては生み出されなかっただろう。
このIT産業の興隆のおかけで、これまで社会の中で遺棄されてきた不可触賤民の人たちにすら、新たなチャンスが生まれつつあると言われている。
その一方で、このようなインドのIT企業が、提供するサービスの低価格を武器に、欧米企業から事務やIT業務のアウトソーシングを請け負うことで、アメリカのホワイトカラーの雇用が失われたとも言われている。
こういう場合は、インドの人たちから見れば「良い」ことでも、アメリカで失業した人たちから見れば「悪」ということになるのだろう。
朝日新聞で浜教授はデフレ経済脱却の処方箋を提案する。
「超安売りのものを買うことは自分で自分の首を絞める恐れがある、という意識を共有する必要はある」と。
しかし、発展途上国の「強み」として市場に出されたものを、経済合理性に逆らってでも買わないというのでは、発展途上国の人たちの首を絞めていることにはならないだろうか。
浜氏が言うことは、要するに、日本人の首を絞めずに、中国やベトナムの人たちの首を絞めろということだろう。
これまで、さんざん欧米先進国の人たちの「首を絞めて」経済大国にのし上がってきた国が、いざ「絞められる」側にまわった途端、ゲームのルールを変えるのは、フェアな競争とは言えないだろう。
浜氏は、みんなが超安売りに手を出さないようにして「共存共栄を探るべき」と言うが、その「共存共栄」の視野に入っているのは日本人だけだ。
日本人が「きちんと」安くていいものを買ってくれることによって、雇用が生み出され、産業が成長する発展途上国の人たちの「繁栄」は頭の中にはないようだ。
そもそも経済的に安い価格を提供できる人々がグローバル市場で力を発揮し、チャンスを得ることを「悪」と決めつけるのは、一国繁栄主義を掲げるエゴイストであって、エコノミストではないだろう。
もし、先進国のエコノミストが声を上げることがあるとすれば、多国籍企業がその資本力、調達力、価格形成力を背景に独占的利益をむさぼり、製品を作る発展途上国の人たちの健康と福祉を犠牲にしながら、先進国で価格破壊を行うようなことだろう。
それはまさに独占政策であって、市場で独占力を強めた企業の横暴を放置すべきでないのは、一つの国の中でも、あるいは国際経済においてでも同様だ。
そのような独占の弊害をきちんと排除しさえすれば、後はフェアな価格競争が貫徹されることで、発展途上国の人々と産業に新たなチャンスが生まれるだろう。
これからの世界経済は、風呂の湯の温度が均一化していくように、経済の温度差をなくす方向での力が顕著に現れてくるだろう。
このエントロピー増大の法則は、宇宙を支配する法則なので、アジアの片隅の一国家がジタバタしても、止めることは難しい。
だから、昔のように、足元が冷たく上ばかり熱い風呂の湯の時代を懐かしんでいても仕方のないことだ。
これまで「熱い湯」だった経済が熱くい続けられるためには、今ある熱をまわりの水に奪われないようにアクセクするばかりではだめだ。
自ら「熱」を生み出し続けることしかない。
そして、経済の「熱」を生み出すのは、これまでも、これからも人の知恵と才覚でしかない。
日本経済を考えるエコノミストが憂うべきことは、グローバル化を背景に低価格商品を投入する企業が次々と現れることなどではなく、そういう経済の熱を生み出す「知恵と才覚」が、この日本から失われつつあるということの方だろう。
コンピュータ技術で「どうして世界一じゃなきゃダメなんですか。二番じゃなぜだめなんですか。」ということを臆面もなく多くのの国民の前で言うような政治家が幅をきかせるように国に、いつから日本はなってしまったのか、ということを日本のエコノミストは憂うべきではないだろうか。
あの議員バッジをつけた女性タレントが、政治家として本当に日本経済の将来と、それによって生活を支える日本人のことを思っていたのなら、「世界一を大いに目指して頑張ってください。そして、見事、堂々と世界一になってください。でも、お金はもうちょっと有効に使えないかしら。」というべきだったのだ。
デフレ経済の出口は、安い製品が続々と海外から入って来て、日本企業への価格圧力を強めることに抵抗することだけでは、決して見えてくることはないだろう。
日本経済が、ホットな経済として蘇るためには、経済の「熱源」となるような人材の育成に力を注ぎ、そのような人たちが思う存分に力を発揮できるような社会の仕組みを実現しなければならない。
そのためには、「世界一を目指して頑張れ。国も応援しているからな。」という国家の指導者がぜひとも必要だ。
他の風呂の水といっしょに薄まってしまって、もうどこが日本経済かわからなくなってしまった先は、所得も、他の「水たち」と同じ水準になるだろう。
それが経済のエントロピー増大の法則だ。
そうならないためには、これからも日本経済が熱い湯を滔々と湧き出させるような温泉源であり続けるしかないのだ。
そのために国家が果たすべき役割はあまりにも多い。
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