ママ丸抱えの『超高級ニート』総理が危うくする日本の国益
2009年12月21日
猛烈な寒波の中で温暖化を議論するというシュールな状況の中で開催されたCOP15。
そもそも何かを合意したのか、合意したとしたらいったい何について合意したのかさえはっきりしないような「文書らしきもの」を残して、COP15が終わった。
会議前は、コペンハーゲン(Copenhagen)を希望の町(Hopenhagen)ともじっていたが、今や、寒風の中、人魚の像が寒々しい、世界の無力感を象徴する町になってしまった。
主催国デンマークの政府内のゴタゴタを反映した会議運営のだらしなさに乗じ、フランスのサルコジ大統領が「怒りの」リーダーシップを発揮して注目を浴びていた。
おかげで、会議崩壊の寸前のところで、とにもかくにも「わけのわからないことが書いてある紙」だけは取りまとめることができた。
世界を仕切っているのはこの俺様なんだよとマジで思っているフランス外交の面目躍如というところだろう。
それにひきかえ、既に世界一の省エネ水準を達成しているにもかかわらず1990年比25%減という「正気とは思えない」数値目標を出した上に、27か国で構成されるEUを上回る金額の貢献をするという破格の申し出をした日本のリーダーシップが光ることはなかった。
国益をあっさりと犠牲にしてイイカッコをしようとした鳩山首相によって、日本は何を得たのだろうか。
新政権の看板政策の一つが環境政策だという。
鳩山総理が就任直後の国連演説で温暖化ガス25%削減という数値目標を「唐突に」ブチ上げ、多くの人が度胆を抜かれたのは記憶に新しい。
「日本列島は日本人だけのものではない」という名セリフとあわせ、この日本の国益など「ものともしない」太っ腹の源泉を知るために有益な記事が、文言春秋の新年号に掲載されている。
当時28才の鳩山総理が「他人の女房」に手を出したときも、元旦那のところに「挨拶」に行ったのは鳩山氏本人ではなく、ママの安子さんだった。
そのときの鳩山氏本人の談を、文芸春秋2010年1月号で佐野氏が報じている。
「代わりに母が行って、納得してもらったと私は思っていました。」
面倒なことは何でも誰かが代わりにやってくれるはずだという鳩山総理の「帝王学」は、こういうママの「面倒見の良さ」が原点にあるのだろう(笑)。
そんな鳩山総理に対して佐野氏は、「超高級ニート」という、庶民なら誰もが憧れるような(笑)「称号」を贈っている。
他人の女房に手を出してママに謝ってもらったり、本人さえ「知らないうち」にママが大金を振り込んでくれるような男が総理の椅子に座れる国とは、いったいどんな国なのか、多くの国民が考え込み始めている。
しかし、こんな「呆れ果てた男」に総理の椅子を与えたのも、何を隠そう、日本国民なのだ。
後悔先に立たずとは、こういうことを言うのだろう。
それにしても、この調子で、「困ったことになれば後はママがなんとかしてくれる」とばかりに、あちこちでいい格好をして空手形ばかり振り出している超高級ニートが心配になるのは、この人によって日本の国益が大きく損なわれてしまうのではないかと思うからだ。
自分の政治資金なら足りなければママがいくらでも振り込んでくれるかもしれないが、国家の財源はそういうわけにはいかない。
「財源なんていくらでもあるんですよ」と言う鳩山発言の「見込み違い」は、結局のところ将来世代が負担することになる。
「俺を信じろよ」と不倫男が相手の女に言うようなセリフを言うくせに、いつまでもグズグス言い逃れをして「国家の約束」を守ろうとはせず、愛想を尽かされ始めている
そのうえ、「基地を動かすのはかったるいなー」と思っているアメリカに、そのまま居座る絶好の口実を与えてしまい、せっかく実現直前までこぎつけた普天間基地の移設が大きく遠のいてしまった。
アメリカ本土なら、児童の安全に配慮して基地の周囲に学校を作ることさえ許されないのに、沖縄では市街地のど真ん中に、文字通り民家と軒を接して滑走路が居座り続けることになった。
しかし、何にもまして、ボクちゃんがカッコをつけるために国益が犠牲にされようとしている典型例は、温暖化ガス25%削減の空公約だろう。
日本が1990年比で25%削減を打ち出したのに対して、アメリカが打ち出した2005年比17%削減という数値目標は、同じ1990年比に直すとわずか3%にしかならないという。
ましてや、中国などはGDP当たりの削減率なので、これから飛躍的な経済成長が見込まれているために、排出量としては逆に大幅増になるだろう。
日本と「似たような」数字を出しているEUの1990年比で20%削減という数字も、日本に比べればはるかに達成が容易だという。
特に、ベルリンの壁の崩壊後、1990年代に続々とEUに加盟した旧東欧圏の国々は、その後生産活動が低下しているので、1990年を基準にとれば、それだけでも排出量が削減したように見える。
もっとも、減ったのは排出量というより、生産活動そのものなわけだが…。
そのうえ、これらの国々はまともな省エネ対策がなされておらず、排出量削減の余地は大きいという。
より大きな問題は、JR東海の葛西会長が文芸春秋に寄稿(2010年1月号)しているように、そもそも既に高い省エネ水準を達成している国と、まだまともな省エネが行われていないような国々とをどう比較するのかという問題が未解決なままだ。
一生懸命勉強してテストで90点をとっている子と、ほとんど勉強せずに落第点スレスレの子を前にして一律に「がんばって、あと2割点数をアップしなさい」と言っているようなものだ。
ところが蓋を開けてみれば、一番勉強して頑張ってきた子が一番高い目標を掲げるハメになっているのだ。
問題なのは、テストの目標とちがって、温暖化ガスの削減目標は大きなコストが伴うことだ。
そしてそのコストも、既に目いっぱい省エネを徹底してきた日本にとっては、そうではない国々と比べて比較にならないほど大きなコストになる。
そして、コストはそのまま日本経済と家計にさまざまな負担を課すことになるのだ。
具体的には、日本製商品の価格競争力にすぐに反映されるだろうし、そのようなコスト高を嫌う企業は生産拠点の海外移転をいっそう進めることになるだろう。
それは、言うまでもなく高い失業率となって現れることになる。
家計は家計で、高いエネルギーコストを負担するために実質手取り収入が減ることになるだろうし、そうやって低下した購買力は消費をますます弱々しいものにするだろう。
そういう努力を積み重ねたとしても、既に乾いた雑巾のようになっている日本が25%の削減をすることは難しく、達成できなかった分は排出権売買で帳尻を合わせるしかない。
しかし、葛西氏が述べているように、排出権売買はマネーゲームの対象となりつつあり、今後投機の対象とされて高騰することが心配されている。
その結果、年間数兆円規模で、日本が他国に金を払わされ続けることになるという。
暫定税率以上の巨大な税金が新たに日本国民に課せられるのと同じだ。
真面目に取り組んだ者がますます高いコストを払わされ、その結果、国力の低下を余儀なくされるという、「正直者が馬鹿をみる」やり方に異を唱えるどころか、相手の都合に合わせて作られた土俵で「カッコよく」25%削減を、無鉄砲にブチ上げる首相は、ほんとうに自分の国の将来のことを考えているのだろうか。
スタンフォード仕込みの英語で演説パフォーマンスをしている総理の頭には、「まあ、いいや。困ったらママがなんとかしてくれるし…。」という思いがよぎったのかもしれない。
しかし、日本国民は鳩山首相のママではないのだ。
多くの国民が、このような総理のことを「そら恐ろしく」感じたのは、およそ達成の見込みがなく、また、頑張った人のこれまでの努力をしん酌しないという意味でフェアではない目標を、国内でのきちんとした議論もなく、また、実現に向けた見通しを立てることもなく、就任直後の国連演説でブチ上げて国際公約にしてしまう「いい加減さ」だ。
地球環境を保護するためなら人間なんてみんな死んでしまってもやむを得ないと思っているかのような環境原理主義者の発言ばかりが強くなっている。
そんな中にあって、日本がきちんと主張すべきことは、これまでの日本の努力がきちんと評価されるフェアな仕組みと、経済発展と両立可能な持続可能な環境政策の実現だろう。
温暖化防止という環境政策に大義があるのは誰もが認めている。
そのような中で総理たる者に国民が望んでいることは、温暖化防止という大義の実現のために、日本が正当に主張できる利益をきちんと反映させること、そして、日本国民の生活と日本経済の将来のみが一人負けするような「ワリを食う」羽目にならないようにすることだろう。
超高級ニートから総理という「王道」を歩んだために、鳩山総理は国務大臣を一度も経験していない。
佐野氏が北海道の選挙区を取材してところ、「地元のために汗をかいたことがこれほどない人は珍しい」と実感したという。
天下の名門、鳩山家から見れば、「利益のために動く」のは卑しい下々の者のすることだというのだろう。
しかし、国の将来は、厳しく国益がぶつかり合うグローバル社会の中で決定されていく。
そのような中で国益を託す人としてこのボクちゃんは、日本という国家にとって痛恨のミスキャストだったようだ。
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