民主党政権の最初の100日が残したもの
2009年12月14日
間もなく戦後初の本格的な政権交代と言われた民主党政権となって3か月が経過する。
国民の新政権への評価は最初の100日が勝負と言われるが、まさにその期間が過ぎることになる。
この100日を振り返りながら、民主党政権の今後に思いを馳せてみることにしよう。
自民党だけではなく多くのマスコミが心配した公約実現のための財源の手当てについて、民主党は「財源ぐらいちょちょっと振ればいくらでも出てくるよ」と言っていたが、結局のところ、そんなに簡単な話ではないことがわかった。
「無駄な事業のカタログ」とまで言っていた補正予算でも、それを真に必要としている沢山の人たちの激しい怒りをかってまで凍結してみても、14兆円のうち、わずか3兆円すら捻出することができなかった。
小泉政治以来の劇場型政治を導入して事業仕分けを行ってみたものの、国家の競争力政策をないがしろにして「節約」しようとしてみても、ふたを開けてみれば、額としてはみすぼらしい限りだ。
「査定大臣」であるはずの各省大臣が、事業仕分けの結果をそのまま受け入れることに難色を示しているため、結果的に、来年度予算に反映される成果はせいぜい7千億円弱どまりとさえ言われている。
その一方で借金の方は大幅に「増額」され、当初見込みの44兆円をはるかに上回る五十数兆円規模にまで膨れ上がりそうだ。
税収が30兆円台の後半なので、単年度ベースで収入より借金の方が20兆円も多いことになる。
藤井財務大臣は、当初の目安とされていた44兆円という国債発行額について、小泉政権のときは30兆円をを目標としていたのに、ちょっと多いんじゃないの?ときかれて、市場はもう44兆円で織り込んでいるんだから心配ないと息巻いていた。
ならば、それよりも10兆円以上も多い発行額を、市場はどう見るのだろうか。
「消えた年金」の問題も情けない有様だ。。
ぐずぐずしている自民党と違って、民主党なら2年で全件照合を済ませて見せると豪語したミスター年金だったが、実際責任者になってみると、13日の読売新聞によれば、全件照合はあきらめたということのようだ。
結論自体は、誰もがどうせそんなことだろうと思っていたことだが、政権交代前に桝添大臣を問い詰めたあの剣幕はいったい何だったのだと、民主党に投票した多くの人たちが呆れているだろう。
大臣が変わっただけで、所詮できることは同じだということがわかっただけだ。
同じことは、普天間基地移設問題でも繰り返された。
選挙前、自民党政権下では13年間何も進まなかったと民主党は言った。
しかし、経緯を知っている人なら誰でも、その13年間で地元を二分するようないがみ合いを繰り返しながら、地元がなんとか受け入れるところまでたどり着いたことを知っている。
「自民党政権は何もしなかった」と非難する民主党政権は、「何もしない」どころから時計の針を逆戻ししてしまった。
できもしないことで無責任に地元の期待を煽り、結局は大きく失望させることになるだろうことは、誰の目にも明らかだ。
そういう地元の混乱以上に、対アメリカ関係で大きな負の遺産を残すことになるだろうと、外交の識者たちは心配している。
何もアメリカの言いなりになれというのではない。
しかし、これまでの経緯や代替案の吟味もせずに、政権交代という「国内事情」を持ち出してゴネてみたものの、アメリカ議会に怒ったフリをされたり、オバマ政権高官たちからプレッシャーを掛けられたりして、結局は当初案を「飲まされる」ということでは、子供がダダをこねているのと同じだ。
責任政治とは対極の幼児性丸出しの国家が「対等な関係」を持ち出したところで、子供が大人相手に「対等な関係」を要求するのと同じで、ただの反抗期とあしらわれて誰もまともに相手にしないだろう。
大人の国家として「対等な日米関係」を言うのであれば、国家として一度決めたことはきちんと約束を守り、その代わり、日米地位協定の見直しをはじめ、言うべきことは言うという姿勢を貫くべきだっただろう。
鳩山首相が言うように、これまでの日米関係は、およそ対等などではなかった。
米中国交回復も、北朝鮮問題も、これまで平気で日本の頭越しに外交が行われてきた。
日米が「対等な」本来同盟国ならばあり得ないような外交が平然と行われてきた。
六カ国協議の枠組みができて、やっと日本もまともに加われるようになったのだ。
日米地位協定に関しても、沖縄県民をはじめ日本国民の激しい怒りの前に少しずつ改善されつつあるものの、米軍関係者が日本人相手に残虐な犯罪を行っても日本の法律で裁くことすらままならない時代が長く続いた。
つい先日も、米軍関係者の子供が道路にロープを張るという悪戯のせいで日本の主婦が大怪我をした事件でも、逮捕状を更新しなければならないほど引渡しに時間がかかった。
これとて、普天間問題でぎくしゃくしているという「微妙な」時期だけになんとか引渡しを受けたが、そうでもなければどうなっていたかわからない。
また、佐高信氏がたびたび書いているが、これまでにも、米軍ヘリが住宅地に墜落しても、飛んでやってきた米軍や自衛隊関係者が何をするかといえば、被害者の救出はそっちのけで、米軍関係者の救出だったという。
こういうことばかり見せられてきた日米同盟の歴史を考えると、日米同盟が本当に日本の防衛のためのものなのか庶民が疑問を抱くのは無理もないことだろう。
それでもまだ冷戦時代は、日米同盟のもつ「意味」はわかりやすかった。
しかし、想定される武力衝突が地域紛争となるこれからは事情が違う。
日本がそういう地域紛争に巻き込まれたとき、複雑に利害がからむ中で、アメリカは本当に日本を防衛してくれるのか、多くの国民が疑問を持っている。
北朝鮮が日本にミサイルを撃ち込んだとき、アメリカが自国の多数の若者の命を犠牲にしてまで朝鮮半島に戦力を投入するのだろうか。
尖閣列島で武力衝突があったときに、いまや世界第二の経済、軍事大国になろうとする中国と、アメリカが直接対決する道を選択するだろうか。
とちらの問いに対しても、多くの国民は、「まさかねー。」と思っているだろう。
今の日米安保条約とは、所詮、日本を極東でのアメリカの橋頭堡にするためのものではないのか、という問いかけが、1960年の安保改定のときよりも深刻に問われることになるだろうし、新たな時代での日米安保条約とはどうあるべきかということについて、もっと議論を深めなければ、日本人が心の底から理解するにはほど遠い。
普天間移設に関する今回のごたごたは、こういうことを「対等な立場」で議論することをとても難しくすることになるだろう。
国家としての「幼児性」をさらけ出すことになってしまったこの一件によって、日本、少なくとも今の政権とは、シリアスな議論をすることはできないとアメリカの権力者たちは思い始めているだろう。
これは、、日米間、そしてそれを注視している国の間で、国家としての日本の地位を大きく下げてしまうことになるだろう。
最初の100日で「確かに変わった」と思わせる事も多かった。
行政が政務三役中心に進められるようになったことや、事業仕分けに代表されるように政策決定プロセスの透明化などが挙げられるだろう。
事務次官会議を廃止したり、官僚が国会答弁をすることを禁止するといったことも、これを象徴するものだろう。
また、政党ガバナンスの点では、自民党政治を内部から硬直化させた族議員の温床となった「部会政治」をやめたり、党税調を廃止したりして、政策決定を、政務三役を中心とする政府に集約化したこともこれにあたる。
この数か月で政府や政党のガバナンスに導入された変化には見るべきものがあったし、今後の日本政治のスタンダードとなることは間違いないだろう。
確かに今の政務三役はよく仕事をする。
総務大臣が設置を指示したタスクフォースで、副大臣が冒頭に資料の説明をしたと、最近の日経コミュニケーションが報じていた。
審議会での資料の説明などは、昔なら課長補佐の仕事だったが、それを今や省のナンバー2がするのだから、その会議に出席した面々はつくづく時代が変わったものだと思ったに違いない。
しかし、事務次官会議が廃止されたのだから事務次官もいらないだろうという行政刷新大臣の乱暴な議論の一方で、これからの官僚機構をどういうものにするのか、明確なビジョンはない。
政党が明確なプライオリティに基づく政策アジェンダを掲げて政権交代を目指して競い合う一方で、行政の継続性や安定性を担保するのが優秀な官僚組織のはずだ。
政権が変わった翌日も、変える必要のないことはこれまでどおりきちんと黙々とこなし続けてくれる組織があればこそ、政党は「変えるべきこと」に大胆に専念することができるのだ。
ところが、今の民主党の政官関係を見る限り、そのような「変えるべきもの」と「継続すべきもの」、政党がイニシアティヴを発揮すべきことと官僚機構にさせるべきこととの間に、きちんとした整理がついていないように見える。
もっとも、そういうことは、政権与党として実績を積みながら与党としての自信がついてくれば、そういうことを考える「心の余裕」が生まれてくるのかもしれない。
このように見てくると、民主党政権の100日は、統治のプロセスについてはそれなりの変革の実績を上げることができ、それが今後の日本政治の一つのスタンダードになったということができよう。
しかし、サブスタンス(中身)について見れば、国民から見れば甚だ心もとないアマチュア集団だということだろう。
もちろん経験をつむ中での学習効果もあるかもしれない。
しかし、鳩山首相をはじめとして、民主党政権の「危うさ」は、そのような学習不足というよりも、きちんとした国家観を持つことなく国家のリーダーとしての権力を手にしてしまったことの危うさのように見える。
生活重視も結構だが、国民の生活が良くなるためには、国家としての日本が力をつけることが不可欠だ。
そのためには、強い日本経済を蘇らせるための国家戦略、それを支える人材を生み出すための人材戦略や、次の世代にこの国を安心して引き継げるよう、持続可能な国家財政を実現するための財政規律の確保など、なすべきことは多い。
その良し悪しは別にして、小泉政権の時代には、それらについて国家の指導者としての青写真を国民に示して、「自民党をぶっ壊す」と叫びながら次々に実現させていった。
「諸悪の根源は小泉改革にあり」と口をきわめて非難するのはいいが、今の民主党には、それに代わって国家力を高めるためのビジョンを何一つ示すことができていない。
赤字国債は垂れ流し状態だし、郵政事業の見直しは先祖帰りを予感させるものでしかない。
日本の国家力を高め、次の世代によりよい日本とよりよい私達の生活を引き継げるようにするため、民主党が何を成し遂げてくれるのだろうか。
最初の100日を過ぎ、民主党を見つめる国民の視線が厳しさを増していることは間違いない。
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