女房に逃げられた自民党のその後
2009年12月03日
12月2日の夜、帝国ホテルで、自民党の野田聖子議員の励ます会があった。
野党転落後なので、果たして帝国ホテルの富士の間が「ちゃんと」人で埋まるのだろうかと心配した向きも多かっただろう。
実際、壇上に立った自民党重鎮のあいさつには往時の勢いはなく、本来なら励まされるはずの野田聖子議員から逆に、「野党に転落したからって、いつまでもしょぼくれていてはダメでしょうが。女なんてね、生まれたときから野党のなのよ!」と励まされる始末だった。
野田聖子議員の政治資金パーティーから垣間見えたものとは、一体何だったのだろうか。
事前の心配にもかかわら帝国ホテルの富士の間は、少なくとも見かけ上は参加者で「それなり」に埋まっていた。
しかし、実際に会場にいる多くの人は政界関係者や官僚などタダで参加している人だ。
実際にパーティー券の代金2万円を払って参加している人、パーティー券の代金だけ払って実際には参加しない人が、政治家にとっての本当の「実入り」だが、そういう「有難い」支持者がどれだけいるのかはわからない。
会場の方も、野田聖子議員が与党議員として、あるいは郵政大臣として権勢をふるっていた頃は参加者でひしめき合っていたものが、この日は多少、空間に余裕がある。
さらには、料理の方も、心なしか品数やグレードも与党時代に比べればさがるようだ。
やはり、野党効果は、じわじわと、しかし確実に自民党を覆い始めているのだろう。
それよりも気になったのは、来賓者の演説の中身だった。
後援会長に続いて壇上に立った宏池会会長の古賀誠議員の話しぶりにも、かつての面影はなかった。
民主党で華々しく活躍している中堅、若手議員のことを頭に置いてか、自民党もこれからのヒーローを育てていく取組みが必要だといった趣旨のことを言っていた。
その一人が野田聖子氏だと「よいしょ」しているつもりなのだろう。
しかし、先の総選挙の顔として東国原氏を担ぎ出そうとして見るも無残な失態を演じた同氏が「ヒーロー」などという軽薄な言葉を使うのを見ると、再び、頭はなくても集票力だけはあって、実力者である自分のいいなりになる都合のいい「顔」のことを指しているように思えてしまうのは、私だけではないだろう(笑)。
一票を通して権力を託す選挙民を心底から愚弄するような猿知恵思考から、選挙であれだけ大敗を喫しても、いまだにこの人は抜け切れていないのだなあと、その「保守主義」の堅牢さに思わず感心してしまった。
それに続いて、あろうことか、古賀氏は、「野田聖子氏が宏池会に入ってくれない」とグチをこぼしてみせた。
これも、野田聖子氏がほしい人材だという「よいしょ」のつもりなのだろうが、それとて、あれほどまでに自民党の政党としての一体性やガバナンスの欠如の象徴となっている派閥政治から一歩も抜け出ていないのだという印象を強くしたことは間違いない。
古賀氏が提示した二つのポイントを合わせ読むと、こういうことだろう。
『今の自民党に欠けているのは、民主党の若くて活きのいい兄さんたちのような「顔」だ。テレビ映りがよくて、(見かけ上の)弁舌が爽やかで、開けた口からは白い歯が光り、ミントの香りがするような爽やかさで選挙民を投票所に向かわせ、一票を入れさせるような集票マシンを探せ。
そのためには、候補者の公募でも何でもやれ。』
『その裏で、自民党政治はこれまでどおり派閥力学で決まり、その中で自分のような派閥重鎮が実質的に仕切っていく。
俺たち派閥重鎮には知恵も力もある。
残念ながら、権力政治の駆け引きに明け暮れた俺たちの顔は醜く歪んでしまって、民放テレビでバカになってしまって、見かけだけで投票する今の選挙民には「受け」ないのだ。
だから、「受ける顔」になりそうな奴を、公募でもなんでもいいから、どっかから調達してこい。』
野党となった自民党議員が、最近、「自民党は保守政党」と言うのを聞く機会が多い。
しかし、「保守政党」っていったいどういう政党なのかと問われると、まともに答えられる人は少ない。
なので、自民党議員が自民党のことを保守政党と形容すると、どうしてもこの古賀氏のあいさつに現れたような「これまでどおり」の自民党政治のことを「保守政治」と言っているのではないか、と思ってしまうのだ。
その後、伊吹文明氏が壇上に立った。
伊吹氏は、自民党の政権構想会議の実質的な議長として、党再生に向けた検討の中心となっている。
伊吹氏のあいさつでは、自民党がどういう政党になろうとしているのか、政権構想会議の中での議論の片りんでも紹介されるのかと思っていたら、そのような話はほとんどなかった。
そのかわり、中国の故事になぞらえ、支持する政党が野党に転落しても一時は寂しい思いをするかもしれないが、寝返って権力に尻尾を振ってすり寄っていくと、一生の恥を背負っていくことになるのだ、といった、恫喝とも泣きごとともつかないような話をしていた。
しかし、これまでの自民党が、まさに権力にすり寄る人達によって支え続けられてきたことを思うと、伊吹氏の話には隠しようのない「虚しさ」と「白々しさ」が漂う。
この二人のあいさつを聞いて、多くの「客観的な」聴衆が感じたことは、まだ、野党に転落して3か月程度しか経っていないということもあるのかもしれないが、自民党は何も変わっていないし、変わる気配も感じられないということだっただろう。
最近の新聞報道によれば、自民党は、元航空自衛隊幕僚長の田母上氏に、参議院選挙での出馬を打診して断られたとのことだ。
この田母上氏は、自民党政権下に日本の植民地統治に関する「不穏当な論文」を発表したことで、クビにするのしないのと物議を醸した人だ。
よりによって、良識の府である参議院の選挙の候補者として、自らが政権を担当しているときにクビにしようとしていた者を選び、挙句の果てには断られているという。
今回も、東国原・宮崎県知事のときのように、「総裁ポストを用意するというなら、考えてやってもいいぞ。」と言われたのかどうかは知らないが(笑)、それこそ、かつての政権政党としての矜持はどこに置き忘れたのだろうか。
伊吹氏が議長代理として実質的に仕切る政権構想会議も、第二次勧告の内容として党名変更を盛り込もうとしたのに対して、党内外から批判が高まっているという。
中身の議論をきちんとせず、看板の名前ばかり議論しているところは、選挙の顔となる「総裁」のすげ替えばかり議論していたポスト小泉の自民党政権と、何ら変わることはない。
おそらく、自民党議員の言うところの「保守政党」とは、「変われない政党」、「自己変革できない政党」のことを指すのだろう。
期待が大き過ぎた分だけ、最初の3か月が過ぎた民主党に対する国民の幻滅は大きいし、これからますます大きくなるだろう。
かといって、その幻滅が自民党への期待に転じるかと言えば、決してそんなことはないだろう。
保守政治とは、政策の通奏低音となる基本的価値観がブレることなく伝統的な価値体系を重視するということではある。
しかし、政党としては常に活力ある政治集団となることを目指してドラスチックに変化し続けければならない。
ところが、今の自民党のように、基本的価値観はブレるどころか、何がなんだかわからないのに、組織の古臭さだけ後生大事に守り続けるというのでは、本末転倒もはなはだしい。
先の選挙では、一時の怒りにまかせて、やむなく民主党に一票入れてしまった人の中にも、本当は自民党を「支持したい」と思っている層は多い。
権力を持った旦那の横暴に愛想をつかし、別の男のもとに走ってみたものの、本当に改心してくれるなら、やっぱり元の旦那の方がしっくりくるなあと思い始めている女房のようなものだ。
日本列島は日本人だけのものじゃないと言ったり、在日外国人だって参政権を持つべきだと友愛を唱えたり、「どうして科学技術で一番じゃなきゃダメなんですか。二番だとなんでダメなんですか。」と言う人たちに、この国の将来を任せるのは厭だと思っている人も多いのだ。
そういう人達が今の自民党に期待しているのは、大きな変革を成し遂げ、自民党が強い保守政党として生まれ変わることだ。
女房に逃げられた旦那としては、「戻ってきてくれよぉ。」と泣きべそをかくだけではだめて、「心を入れかえて、昔のように、しっかり家族のために働くから」というところを見せなければならない。
残念ながら、この夜の自民党重鎮たちのあいさつからは、その片鱗すらもうかがうことはできなかった。
逃げた女房も、「新しい旦那」との生活が長くなってしまえば、元の旦那のところに戻る気がなかなか起きなくなるかもしれない。
女房に逃げられた自民党に、許された時間はそう多くはないのだ。
派閥均衡政治によって総裁ポストに就いた谷垣総裁が、「心を入れかえる」という大仕事を、限られた時間の間に、果たして成し遂げることができるのだろうか。
帝国ホテルの美味しいオードブルに満足しつつも、悲観的な気分で会場を後にした人は少なくなかったことだろう。
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