日本郵政の社長人事で垣間見える連立三党のビミョーな関係
2009年10月22日
四人組を追放されて裸の王様になった西川社長の後任に、元・大蔵次官の斎藤次郎氏が決まった。
このサプライズ人事に対し、野党・自民党やマスコミは、「日銀総裁はダメなのに、日本郵政ならどうして許されるのだ」などという「ヤボ」なことを声高に叫んでいるが、その陰で、このあまりにも見事な亀井人事に思わず「うーん」と唸る関係者は多い。
「むっつり型で喜怒哀楽の表情に乏しく、時折シニカルな微笑を浮かべ、クールな物言いをする」[1]斎藤氏は、その外見だけからは「十年に一度の大物次官」という大蔵省での評価は、凡人にはピンと来ない。
建設省担当の主計局主査を皮切りに大蔵本流を歩き、早くから次官へのレールをひた走った斎藤氏だが、「予算に飛躍なし」という主計局カルチャーを体現して、「予算の枠組みは基本的にいじらない方がいいんですよ」と言うなど、守旧派官僚の見本という印象が強い。
その一方で、よく知られているように、湾岸戦争のときに「人」で貢献できない日本が、その罪滅ぼしとして90億ドルの請求書を引き受けたときに、石油税と法人税を一時的に増税するという荒業で、当時の小沢一郎・自民党幹事長を助けた。
その後、細川連立内閣のときにも、バブル崩壊による財政危機の立て直しのため、小沢氏の国民福祉税構想の立役者となった。
その剛腕ぶりに、大蔵省の中では、「小沢・首相、細川・官房長官、斎藤・官房副長官」と呼ばれていたという。[1]
しかし、二人のあまりの剛腕さに振り回された細川総理は、異例の深夜会見を行ったものの、7%という税率の根拠さえ答えられず、細川総理の「傀儡ぶり」と小沢氏の「強引さ」だけを印象付けただけで、結局この構想はとん挫することになった。
つい最近では、突如浮かんで消えた自民党と民主党の大連立構想のときも、裏で暗躍していた人たちの一人として、読売新聞社主のナベツネ氏とともに、斎藤氏の名前が取りざたされていた。[3]
斎藤氏のカラオケの十八番は「月光仮面」だという。[1]
国政の要所々々で見せたこれまでの「働き」は、「疾風のように現れて、疾風のように去っていく」という月光仮面を自任する斎藤氏らしいものだった。
見かけはただの初老の男に過ぎない斎藤氏の「十年に一度の大物次官」ぶりは、まさにこういうところに現れているのだろう。
その斎藤氏を、亀井大臣は次期の日本郵政社長に抜擢した。
これに対して、21日夜のNHKニュースなどでも、自民党は「天下り根絶を有権者に訴えて政権についたのに、これは露骨な天下り人事ではないか」と非難し、インタビューで出演した竹中平蔵氏も、「直前のポストも財務省の指定ポストだし、こういう人事のことを『渡り』というんですよ。」と攻撃していた。
それはまったく当然の指摘であり、鳩山首相をはじめ、当日の朝になって初めて知らされて苦しい「支持表明」をしていた原口総務大臣なども百も承知だろう。
これは、つまるところ、亀井・金融大臣が民主党を手玉に取っただけのことなのだ。
亀井大臣からすれば、「あんな世の中を知らない松下政経ボーイとは役者がちがうんだよ、ちみぃ」というところなのだろう。
言うまでもなく、この鳩山連立政権に加わった国民新党、社民党の両党首の頭の中を占めているのは、二大政党が突出するなかで、小党である自分たちの党の「行く末」だ。
特に、政党交付金がもらえる国会議員5人以上という要件ギリギリの国民新党としては、知恵はないが勢いだけはある民主党のボクちゃんたちをうまく使って、来年の参議院選挙で少しでも党勢を伸ばし、今回のように二大政党のすき間でキャスティングボードを握る役回りか、あわよくば政界再編が起きたときに主役の一角に加わりたいということだろう。
もともと自民党である彼らの「帰巣本能」はまだ残っているはずだから、民主党が沈没船になれば、すぐにでも向かいの船に乗り移ることになんの躊躇もないだろう。
いずれにせよ、二大政党の流れに飲み込まれないようにしながら、党勢を維持し、伸ばすことが至上命題だ。
とりわけ、国民新党にとっては、最大の支持基盤である特定郵便局長会が民主党になびいたりしないように、しっかり自分たちにつなぎ留めておかなければならない。
そのためには、郵政民営化の巻き戻しで自分たちに政策決定能力があることを示すことが決定的に重要なはずだ。
組閣直後から日本郵政を所管する原口大臣と「つばぜり合い」を見せていたのも、そのためだったのだろう。
そして、「過去官僚」の大物中の大物である斎藤氏を次期社長に据える今回の人事は、その決定打とも言うべきものだ。
その党名とは裏腹に、自他とも認める守旧派の国民新党にとっては、「天下り人事」批判などは痛くも痒くもない。
そもそも天下り根絶などは、連立政権発足の際の三党合意の政策合意の中にすらない。
民主党はそれで自縄自縛になっているかもしれないが、国民新党にとってはどうでもいいことだ。
脱官僚依存政治などという役人コンプレックスの裏返しのようなイデオロギーに「萌える」のは、松下政経ボーイのような連中と、それに煽られている「無党派層」だ。
ロイヤリティーのかけらもないような無党派層など、4年後にはどうなっているかわからない。それは、ここ2回の総選挙を見ればわかることだ。
守旧派たる国民新党にとっては、自らの支持基盤である既得権益団体を糾合し、その支持をより堅固に固めることが至上命題なのだ。
ひょっとすると亀井大臣の頭の中には、フランスで初の本格的な左翼政権だったミッテラン政権のことが頭をよぎったのかもしれない。
1970年代までフランスの左翼の最大勢力は共産党だった。
ミッテラン率いる社会党は、その共産党と共闘を組んで政権交代を目指したが、その共闘を通じて社会党は共産党の支持基盤を自らのものとして取り込むことを目指していた。
共闘といえば、「仲良く手をとりあって戦う同士」と思われがちだが、政治の現実は厳しいのだ。
共闘の中にあっても、激しい支持基盤の取り合いが繰り広げられていたのだ。[2]
1981年5月、大方の予想を裏切って、左翼である社会党のミッテランが大統領に選ばれる。
続いて行われた下院選挙で社会党は単独過半数を得る。
共闘の相手方である共産党を踏み台にして党勢を拡大するというミッテランの戦略が実を結んだのだ。
そうはいっても、共産党とは「共闘」を組んできた「歴史」があるので、無下に一方的に縁切りするわけにもいかず、社会党は共産党と連立政権を組む。
そのとき、東西冷戦のさなかにあって、ソビエト共産党と近いフランス共産党から4人もの閣僚が入閣したことはアメリカを震撼させたという。
しかしミッテランの頭の中には既に「出口戦略」があったのだろう。
ソ連のアフガン侵攻や、ワレサ議長を有名にしたポーランドの「連帯」による民主化運動への支持表明などで連立相手である共産党に「踏み絵」を踏ませ、揺さぶり、内紛によって自壊させた。
これで晴れて、社会党の単独政権になったのだ。
鳩山連立内閣に加わった二つの小党の命運も来年の参議院選挙で決まる。
民主党が参議院でも単独過半数をとったからといって、すぐに露骨に三行半を突き付けるなどという「非人間的」なことはしないかもしれない。
しかし、ミッテランの社会党がそうしたように、民主党の「思うがまま」の政策を繰り出して「ついてくるならそれもよし、離脱するなら去る者は追わず」という図になることは目に見えている。
民主党の人たちが国民新党や社民党の人たちに向ける和やかな顔には「どうせ君たちは消える運命なのさ」という憐みの表情が浮き出ているではないか。
守旧派の国民新党と維新派の民主党は、そもそもベクトルの向きが正反対の政党だ。
参議院でも単独過半数を得てエンジン全開となった民主党に、国民新党がついて行けるはずがない。
国民新党にとっては、かつて共産党の後塵を拝していたフランス社会党のミッテランがそうしたように、共闘の相手を踏み台にして自らの勢力拡張を目指すのが基本戦略だ。
そのためには、連立与党の一員として権力を行使し、政策を実現することで自らの支持基盤を固めることが最大の目標だろう。
そして、でき得るならば、民主党がこれ以上強くなり過ぎて、二大政党の間で小党が入り込むすき間がなくなるようなことのないように「工作」しなければならない。
一番望ましい状態は、二大政党のどちらも一党では国政の決定力を持たず、小党の力を借りなければ国会で過半数を握れない状況だろう。
そのような閉そく感の中から、再編の動きが出てくることを期待しているかもしれない。
守旧派の国民新党にとって、「小泉にいじくられた」郵政の巻き戻しは、自らの支持基盤固めの本丸だ。
そこに、守旧派の主計局OBの大物をもってくるのは、適材適所の真骨頂だ。
一方、連立の要たる民主党からすれば自分たちの看板に真っ向からもとるこの人事は痛手だろう。
民主党は、徹底的に天下り人事を敵視し、G8会合を前に日銀総裁ポストを空席に追いこんでまで財務省OBである武藤氏の日銀総裁就任に反対してきた。
まさにその人たちが、今後の日本郵政のあり方を決める決定的な人事で、大蔵OBの大物をもってくることついて、手のひらを返したように「妥当な方だ」とコメントする様は、呆れを通り越して哀れですらある。
このような状況は、民主党に対する国民の失望や「しらけ」を誘うものに他ならないが、それとて、国民新党から見れば「期待される効果」の一つだろう。
これで、来年の参議院選挙での民主党への追い風が少し弱まれば、一石二鳥というわけだ。
「年寄りの道楽」で始められ、一時は松下家から独立したがバブル崩壊で再び松下家の影響下にある松下政経塾のレッテルだけを活用し、若くして政治家の肩書を手にした人たちのナイーブさと、官僚機構、そしてその後は政権与党の中枢に身を置き続け、権力闘争の妙味を知りつくした老練な政治家との「格の違い」を見せつけた一件だった。
[1]「大蔵省 揺らぐ組織と政策」在原十三(三一書房)
[2]ミッテラン政権に見る「初めての政権交代」の教訓-池村俊郎『中央公論2009年11月号』
[3]日本経済新聞2009年10月22日(3面)
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