資本主義が生み出した深い闇-アメリカの医療制度
2009年10月15日
オバマ大統領が内政の最重要課題として掲げる医療保険改革で、法案が上・下院の委員会を通過した。
まだ、先の道のりは遠いとはいえ、1912年にセオドア・ルーズベルトが国民皆保険を提案して以来、この改革がまさかこんな段階までたどり着けるとは誰も思わなかった快挙だ。
医療保険にからむアメリカ人の深い不幸をみるにつけ、そして、それを改善することが、気が遠くなるほど難しいという状況を知るにつけ、日本人にとっては、空気よりも当たり前に思われている健康保険が、これほどまでに有難いものだったのかと、つくづく思い知らされる。
わが国でも、健康保険制度が存続の危機に立たされており、国民的な議論が起きているが、このアメリカでの惨状をしっかり見据えた上で、高齢者も含めた全国民が、この国民的財産をどのように次世代に引き継いでいくかという視点で議論しなければならない。
映画を通して社会のリアリズムに迫るマイケル・ムーア監督の作品、「シッコ」の出だしは、足にパックリとあいた傷口だった。
カメラは、既に止血された傷口を縫合する手の動きを追う。
華麗な手さばきとは言い難いが、それなりに傷口が縫合され、カメラが引くと、観客は驚愕する。
傷口を縫合しているのは、その傷を負った本人なのだ。
この究極のDIYともいうべき縫合手術をする人に、「なぜ、そんなことをするんだい?」と聞くと、その人は、何をそんなバカな質問しているんだというように、「医療費が高くて払えないからだよ。」と答える。
これは、アフリカでも、中国でも、インドでもなく、GNP世界第一位で、地球上最も強力な軍隊と、最も多い核兵器を保有する国、アメリカなのだ。
2005年の統計によれば、全米の個人破産は204万件だったが、その半数以上が高額な医療費によるものだった。[1]
アメリカには、日本の健康保険制度のような、国民皆保険制度が存在しない。
あるのは、高齢者を対象とするメディケアや、低所得者を対象とするメディケイドと呼ばれるものだ。
これらの対象とならない人たちは、企業が提供する医療保険の適用を受けるか、個人で民間の医療保険に入らなければならない。
しかし、医療費自体があまりにも高額なため、保険料が高額になり、民間医療保険に入れない人もいるし、医療保険のコストを負担できず、社員に医療保険を提供できない会社も多い。
このため、米・統計局の推計では、4,600万人の人が、医療保険に加入できない無保険状態となっている。[2]
しかし、このような狭き門をくぐって、医療保険に加入できたとしても、さらなる悲惨が待ち受けている。
利潤を追及する資本の論理で動く保険会社は、あの手この手で保険金の支払いを逃げようとするのだ。
投資家に対して高い利潤率を示すためには、保険金の支払いを極力抑制しなければならないからだ。
映画「シッコ」の中で出てきた話だが、倒れて救急車で運ばれ一命をとりとめた女性が、後で保険金の支払いを請求した。
しかし、彼女が受けた医療は事前に保険会社の承諾が必要なものだった。
保険会社は、事前承諾がないという理由で、保険金の支払いを拒否した。
彼女は、「昏睡状態で救急車で運ばれているときに、申請書を書いて申請しろというのか。」と怒った。
似たようなクレームは多いが、やがて保険会社の担当者も電話に出なくなるという。
このようなクレームにどう対応するか、会社がマニュアルを用意しているのだろう。
結局、彼女の場合も、その保険会社は保険金を支払うことはなく、彼女は泣き寝入りしてしまった。
病気から立ち直り、職場に復帰しようとしても、その病気が心臓や腎臓がらみのものだと、会社から職場復帰を拒否されることが多い。
そういう、「後に引きずる」病気は、企業が保険会社に支払う保険料をさらに高額にするため、コスト増を嫌う会社が避けようとするのだ。
そのため、健常者であるうちは保険でカバーされるが、病人になった途端に見放されることになる。
これでは、いったいなんのための保険なのだろうか。
このような問題の底には、高額医療の問題が横たわる。
例えば、盲腸の手術で入院した場合、日本であれば何日か入院しても30万円くらいなのに対して、ニューヨークでは平均243万円かかる。しかも、わずか1日の入院でだ。[1]
このような高額医療のため、アメリカでは、所得の低い人たちは子供たちに満足な医療もしてやれず、死なせてしまうことも多い。
例えば、5才未満乳幼児死亡率を最新のWHOの統計でみると、日本は4なのに対し、アメリカは8で倍となっている。順位では、日本は良い方から世界で2位、アメリカは37位だ。[3][6]
オバマ大統領の医療保険改革に猛反対する共和党は、医療保険制度改革は、国民の税金を無駄使いする大きな政府につながるものだと非難する。
実際、2005年には、メディケアに対しては約3000億ドル(27兆円)、メディケイドには約2000億ドル(18兆円)が連邦政府から支出されており、この額は毎年大幅に増えている。
このような重い負担の根底には、眼の玉が飛び出るような高い医療費の問題がある。
WHOの統計で見ても、アメリカではGDPの15.3%が医療費に費やされている。
BBCによれば、2007年には16.2%になっているという。[4]
ちなみに、日本は約半分の8.1%だ。
まさに、「医療機関栄えて国滅ぶ」だ。
しかも、そのような高額な医療費に相応した高い質の医療をアメリカ国民が受けているかといえば、これまた、資本の論理が優先することにより、医療企業の利潤追求が優先されているという。
有名な例は、全米第一の病院チェーンであるHCA社だ。
同社は徹底的なコスト削減で高い利潤を上げていることで有名だが、他の病院に比べ1.5倍のコスト削減を達成しているのに対し、患者に対しては平均で8%も高い金額を請求していたことがニューヨーク・タイムズによって告発された。[1]
このような「努力」のおかげで、同社が運営する病院の平均的な利益率は18%にも達したという。[1]
同社は、1997年、二重帳簿によって実際にかかった経費より高い経費でメディケアやメディケイドの診療報酬を申請した詐欺の罪でFBIの捜査を受け、有罪を認めて、17億ドルという詐欺がらみとしては最高金額の司法取引に応じている。[5]
しかし、不思議なことに、その時の経営責任者であるリチャード・スコット(Richard Sott)は、経営者の地位を離れただけで刑事責任を追及されることはなかった。
言うまでもなく、今、オバマ大統領の医療制度改革の反対の急先鋒に立っているのは、彼だ。
今回のオバマ大統領の医療制度改革をつぶすために、2000万ドル(18億円)を使った大キャンペーンをブチ上げると息巻いている。
アメリカの医療制度は、資本主義原理や市場主義が暴走し、それによって貧困の闇を深め、社会の格差を拡大した見事な例だ。
それが、自由主義経済、資本主義の守護神であるアメリカという国で起きているのだ。
競争原理で効率性を高め、市場原理で消費者の選択の自由を広げることは重要だろう。
しかし、それを国民の利益のために行うものだという視点を忘れ、「新保守主義者(ネオコン)」と呼ばれる人たちの、利益本位主義、弱者切捨ての自己責任主義に「誤訳」されてしまうことによる悲劇は、海の向こうの話とはいえ、あまりにも痛々しい。
「医療界のマードフ」ことリチャード・スコットの金にモノを言わせた悪魔の工作に負けることなく、オバマ大統領のこの「世紀の改革」が実現することを祈るとともに、日本の皆保険制度が、「後期高齢者」の方々も含めたみんなの努力によって、次の世代に引き継ぐことができることを心から願うばかりだ。
[1]堤未香「ルポ貧困大国アメリカ」(岩波新書)
[2]http://news.bbc.co.uk/2/hi/americas/8304375.stm
[3]WHO World Health Statistics 2009
[4]http://news.bbc.co.uk/2/hi/americas/8160058.stm
[5]http://www.thenation.com/doc/20090330/hayes?rel=hp_currently
[6]http://aruconsultant.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_a63c.html
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