時の記憶

時代の記憶として残したいニュースの勝手な論評です。


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 メインストリームのニュースから少し外れたところにこそ、えてして時代の真実が隠されています…などと、たいそうなことを言うつもりはありません。
 でも、ちょっとしたニュースに何を感じ、何を考えたかを残すことで、自分の人生の軌跡みたいなものを残せないかな~と感じています。
 なので、私小説的な時事論評として読んでいただければと思います。
 もちろん、感想は下の「作者にメール」でお寄せください。
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小泉改革はなぜ地に堕ちたのか

2009年09月10日

 小泉改革を支えた論客の一人、竹中平蔵・慶大教授が、総選挙直前の8月26日に人材派遣大手のパソナ・グループの会長に就任したことが、波紋を広げている。
 わずか数年前にあれほど国民を熱狂の渦に巻き込んだ小泉改革が、今は見るも無残な評価となってしまっている。
 その原因がどこにあるのか、今回の一件が象徴しているように思う。

 中央公論九月号で、竹中平蔵・慶大教授と、山口二郎・北大教授が、「市場か、政府か、今こそ選択の時」と題して討論をしている。
 片や小泉改革の論客として今や多くの国民の怨嗟の対象になっている人、そして片や、その小泉改革に対する批判の急先鋒ということもあって、対談としてはなかなかの好カードだ。

 金融大臣と総務大臣を務め、山口教授よりも7才も年上の竹中教授が余裕の受け答えを見せてくれるのかとおもいきや、紙面からも竹中センセイのイライラが伝わってきそうな迫力があって、読みごたえがある(笑)。
 一例を挙げると、こんな感じだ。
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(竹中)…社会保障費をまったく削らないとすれば、消費税を大幅に引き上げなくてはいけなくなる。それこそ消費税が25%なんて税率になっていいんですかと国民に聞きたいですね。
(山口)ある面ではそれも考慮に…。
(竹中)ちょっと待ってください。山口先生のご意見は後でお聞きしますから、まずは私に話をさせてください。…
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 普通、対談の中のこういうくだりは編集の際にカットすると思うが、それをそのまま残すところに中央公論のイキな取り計らいを感じる。

 対談の中で竹中センセイが言っていることは、これまで言ってきたことと基本的には同じなので、内容としては特に見るべきものはないが、竹中センセイが置かれている精神状態の一端を知ることができて、大変興味深い。

 その竹中センセイが、総選挙直前の8月26日に人材派遣最大手のパソナグループの会長に就任したことを、9月8日付け東京新聞は「究極の天下り」というタイトルで報道している。

「ETFは絶対儲かる」とか、「社会的に解決しないといけない大問題としての貧困はこの国にはないと思います。」といった発言で物議をかもしたり、藤田田氏との「個人的な付き合い」から取得した日本マクドナルドの未公開株で儲け、佐高信氏から「マック竹中」と呼ばれたり、さらには、自分が担当していた郵政民営化の広報チラシの作成のため、1億5千万円もの発注契約を自分の政務秘書官の知人に随意契約をしたりして、さすがケイオーのセンセイはビジネス・マインドにあふれているなーと、多くの人を唸らせていた。
 その、「自分のための小泉改革」の総仕上げのような、今回のパソナ・グループ会長への就任は、予想通り、改革派の人たちの困惑と、多くの国民の失笑を買っている。

 日本の経済力と日本人の所得水準の凋落に歯止めがかからない中、瞬きする間に数億円の利子が発生するような膨大な借金が積み上ってしまった。
 改革を避けて通ることができないのは誰の目にも明らかだ。
 小泉改革が目指していた改革の多くは、そのような避けて通ることができない改革だったし、郵政民営化や公団改革は、そのような改革を妨げる政・官・業のアンシャン・レジーム(旧体制)を打破するためのものだったはずだ。
 それが今や、与野党を問わず目の敵にされるようになってしまった。
 いったいどうして、こんなことになってしまったのだろうか。

 その鍵は、実は、改革を説く人の人間性による部分が大きい。
 戦後の本格的な行政改革としては、土光臨調がいまだに多くの人の記憶に残る。
 政治や行政の圧力を受けながらも、三公社の民営化などの提言は、中曽根内閣の行政改革として次々と実現されていった。
 この土光臨調の成功は、その中心となった土光敏夫の人物によるところが大きい。

 代用教員をしながら、一浪して東工大に入り、石川島重工の社長としてその再建を成し遂げる。その後、経団連の会長として辣腕をふるい、中曽根氏に請われて第二次臨調の会長に就任した。
 その土光改革に多くの国民が声援を送り続けたのは、土光氏の飾らぬ物言いとともに、そのあまりにも質素なライフスタイルによるものだっただろう。
 財界総理の土光氏が、メザシと味噌汁、玄米を夫人と二人で食べる姿は国民に強い印象を与え、「メザシの土光さん」という「愛称」のもとにもなった。
 こういう人だからこそ、「社員諸君にはこれから3倍働いてもらう。役員は10倍働け。俺はそれ以上に働く」と、ツライことを言われても、「しかたがないなあ、がんばるか。」という気になったのだろう。

 改革は、多くの人にとって痛みが伴うものだ。
 しかも、それを長年続けてやっと効果が出始める。
 勉強しなければ成績はよくならないことがわかっても、勉強が嫌いな子にとっては机に向かうことだけで苦痛だ。
 そのツライことを続けさせるためには、人間としての魅力がなければならない。
 苦い薬を飲ませ、そして飲み続けてもらうためには、医者に仁徳が必要なのと同じだ。
 改革の処方箋として正論だけを並べた学者論文を大臣の机で書き、「これをやれ。」と投げて寄こすだけでは、誰もついてこない。

 もちろん土光行革が行われたのが1980年代という、まだまだ日本が輝いていた時代だったのに対して、小泉改革は失われた10年の暗い時代だったという時代背景の違いもあるのかもしれない。
 しかし、土光臨調のとき以上に強い「痛み」を国民に強いる改革だからこそ、それを国民に説く人は、それにふさわしい人でなければならなかった。
 ところが、劇場の舞台の上から小泉改革を説く人たちは、社会が勝ち組、負け組の2色に塗り分けられようとしている中で、あさましいことをしてでも勝ち組に残ろうともがいているような人たちだった。
 このセンセイもそうだったし、選挙で小泉総理が絶賛したものの「塀の中」に堕ちたホリエモンもそうだった。

 小泉改革の影響がまず最初に「弱い」人から出てくることが分かっておきながら、十分な手を打つことなく、ワーキングプア問題として表面化すると、「改革の痛み」として「やむを得ない」といって肩をすくめるだけだった。
 その一方で、今回の竹中センセイのように、自分たちだけは改革の恩恵にあずかることばかり考えていると、多くの国民は思っている。
 それはあたかも、蜘蛛の糸に国民がしがみついているときに、「こんなにみんなぶら下がったら、糸が切れるじゃないか。」と言って自分の下にいる人たちを蹴落としながら、小泉改革を説いているように見えてしまう光景だった。

 こういう人たちとメザシの土光さんを比べるとき、土光臨調が未だに日本の行政改革史で燦然と輝く金字塔として残っているのに対して、小泉改革がわずか数年で「日本の恥」として封印されようとしている理由がわかるような気がする。

 公務とプライベートは別だと言って、麻生総理は高級バー通いを辞めなかった。
 その一方で、国民に対しては我慢を説き、努力を求める。
 それに対して、多くの人は、「何勝手なこと言ってやがるんだ、こいつ。」と思った。

 あるときは公人で、あるときは私人だという二分論は、国民にとってはただのご都合主義にしか見えない。
 政治家の口から出てくる言葉は、その人の全人間性によって支えられたものでなければ、国民の信を得ることはできない。

 どの党が政権をとろうとも、日本が、そして日本人がシンドイことに向き合い始めない限り、日本が良くなることはない。
 他の人たちの犠牲で何かが無料になったり、誰かが手当をもらったりするだけでは、決して国として良くなることはない。
 そんなことは、みんな知っている。

 日本が戦争に負けた日、あの瓦礫の山を前に途方に暮れた先人達がそうだったように、一歩ずつ努力を始めなければならない。
 あの時は、日本はアメリカに負けたが、実のところは、意味のない戦争を始めた自分たちに負けたのだった。
 そして今回は、自分たちの政治的怠慢が、日本を、既得権だけを求め改革をサボタージュしてきた政治と官僚、そして業界の国にしてしまった。今回も、自分に負けたのだ。

 目には見えないが、終戦の日と同じくらいひどい瓦礫を前に、日本の再建に向けて歩み出さなければならない。
 そのとき国民にとって必要なのは、公人として小賢しい正論を言いながら、私人として蔑まれるようなことばかりをする口先リーダーではなく、一人の人間として、人々の静かな尊敬を集めることができる指導者なのだと思う。

 劇場化した政治の中で、仕立てあげた悪役を叩いて目立ち、奇想天外な政策を打ち出しては目立ちと、目立つことのために知恵を使うことばかりを考えながら、人間としては薄っぺらで徳の欠片もないような政治家が肩で風を切っている様を見ると、政治の貧困とはすなわち人材の貧困なんだなとつくづく思う。


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