マニフェストにおける「目的」と「手段」
2009年08月20日
初めての政権選択選挙だということで、各党のマニフェストの比較に関する記事が新聞紙面を賑わせている。
とかく日本人は、物事の本質を忘れたトリビアの泉のような「通」の議論にすぐ陥りがちになるが、大きなコンテクストの中でその意味を考えるという視点を忘れてはならないだろう。
共産党独裁政権の下で空虚な棚を見続けた東ベルリンの人々が、ベルリンの壁の崩壊後、物であふれかえっている西ベルリンでショッピングに狂奔したように、日本国民は、初めて手にする「政権選択」の喜びに包まれているようだ。
そんな国民のショッピング・フィーバーに応えるべく、各党はマニフェストや公約という商品を並べ、マスコミはその商品比較記事を連日掲載している。
しかし、今、行われているマニフェスト比較は、所詮、公示前にあわてて描いた絵画の品評会のようでしかない。
そもそも慌てて描いたために、塗り残しも多いし、目が三つ描かれていたり、指の数が少なかったりして、およそ完成品ではない。
事実、読めば失笑してしまうような辻褄の合わない政策が並んでいる。
例えば、民主党のマニフェストはこうだ。
貧乏な子なし世帯から配偶者控除を奪い、共働きで裕福な子持ち世帯にカネを回す。
3人の子供なら総計で1,500万円もの「お手当」が渡されることになる。
それで買ったベンツで、CO2をまき散らしながら優雅に高速道路を無料で走れば、その維持費は、配偶者控除も扶養控除も奪われ、車も持てない貧しい世帯までもが負担する。
民主党の鳩山代表は、「ていねいに有権者の理解を得ていく」と言うが、そんな社会的不公正を「理解」できる人はいない。
農政にしてもしかりだ。
かかったコストと市場価格の差を税金で補填してやるという。
これでどんなに市場価格が下がろうとも、農家はなんの心配もする必要もなくなる。
なんの心配もなくなって、今以上に頑張って働こうという気が起きるのだろうか。
日本の農業の課題は、その生産性の低さだ。
それが高い価格と国際競争力のなさとして表れている。
それを放置して、「安心」ばかり認めていれば、どうやって生産性を高めるのだろうか。
コストを下げるための血の滲むような努力をするよりも、その強力な政治力を使って補償額を計算する際のコストの引上げを求めるようになるのは、これまでの歴史を見ても、誰の目にも明らかだ。
自民党の公約にしたって、アラ探しをすれば似たりよったりだ。
「民主党のマニフェストには、成長戦略がない。わが党にはそれがある。」と、麻生総理は自慢する。
しかし、その目標は、今後10年で100万円手取りを増やすことだという。
なんのことはない。これまでの10年で減った分を、今後10年でやっと取り返すだけのことだ。
そんなものを「成長戦略」と呼ぶのだろうか。
そもそも、こんなに短期間で作り上げたマニフェストなのだから、所詮、素描でしかない。
細かい部分を、あれこれあげつらってみたところで、仕方のないことだろう。
そんなものは、いくらでも修正すれば済む話だ。
それよりも、この画家は、本当は何を描きたいのか。それは、人物なのか、風景なのか。その手法は、写実主義なのか、印象主義なのか。そして、その画家の力量はどうなのを知ることが大事なのだ。
その意味で見れば、民主党のマニフェストの中心は、官僚主導政治の打破の一点に尽きる。
それこそが、政治家・小沢一郎が、心臓病を抱え、どれだけ残されているかわからない政治生命のすべてを賭して行いたいことなのだろう。
だから、マニフェストに出てくる「高速道路の無料化」、「子供手当の支給」といったメニューは、その本当にやりたい事を実現するために政権を手に入れるための手段なのかもしれない。
つまり、政権に就くために必要な票を買収するためのカネだ。
一人ひとりにカネを渡せば公職選挙法違反だが、同じことを制度として行うことを約束すれば、「政策」になるということだ。
それをバラマキと非難したところで、これまでの自民党はずっと同じことをしてきたのだから、言えた義理ではない。
「公共事業」か「手当」かという手法の違いと、買収の相手が少し違っているだけで、票を買うという点で大した違いはないからだ。
「目的」と「手段」。
矛盾したり、ブレたりしている民主党のマニフェストの中には、この二つの要素が混在している。
「手段」でブレるのは、戦術の変更に過ぎないのだから、戦場の状況変化に応じて適宜やればよいことだ。
しかし、「目的」の変更は、戦いの大義を失うことだから、許されない。
その意味では、今の民主党の「ブレ」は、所詮、戦術の変更であって、戦争の「大義」を変えようとするものではない、ということだろう。
ならば、自民党の公約における「大義」、すなわち「目的」は何だろうか。
それは、「これまでどおりの日本」ということ以外には何もない。
それこそが、人々が自民党に失望し、民主党に期待を寄せる根本の理由なのだろう。
プラザ合意によって日本がバブル経済に突入し、最後の饗宴にうつつを抜かしていたが、やがてそれが弾けてから20年。
本当に何もいいことがなかった。
世界からはどんどん取り残され、豊かさの指標である一人当たりの国民生産は、いまやシンガポールにも抜かれ、23位。
その一方で、国と地方の借金は900兆円にも近づき、1,000兆円の大台も視野に入った。
こんな押しつぶされそうな借金を、自分たちの子、孫の世代に残そうとしていながら、誰も真剣に手を打とうとしない。
国の経済の発展はみんなで享受するという中流社会の一体感などはとうに消え、格差の拡大ばかりが目につく社会になってしまった。
蜘蛛の糸にぶら下がる国民は、自分が振り落とされるかもしれない恐怖で一杯で、とても自分の下にいて必死に糸にすがっている人たちのことを思いやる余裕などない。
みんな必死なのだ。
必死になって希望を実現する社会だったものが、いつの間にか、必死になって恐怖と戦う社会になってしまった。
こんなときに、「これまでどおり」というメッセージしか出せない自民党が、国民の希望と期待を得ることは不可能だろう。
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