マニフェストをめぐる財源論争に隠されたもの
2009年07月28日
経済対策という名目で解散・総選挙を先送りするため、後世の負担を顧みずに湯水のようにムダ金を使いまくった張本人が、今度はライバルの選挙公約の財源を問題にしている。
金庫から金を奪った泥棒が、金庫が空になっているじゃないかと責めているようなものだ。
このような自民党の身勝手な「批判」に対して、民主党は「節約」で17兆円もの財源を生み出すという。
主婦感覚あふれる「節約」という言葉の裏には、自民党の怠慢で民主党に奪われてしまった大きな政治資産が隠されている。
1996年に猪瀬直樹氏の「日本国の研究」が文藝春秋に連載されたとき、それは恐るべき巨大な政治的資産が掘り当てられた瞬間だった。
今後、何十年かは政治家が食べていくことができるくらいの仕事の山が、社会的リアリズムを徹底的に追及するこの作家によってもたらされたのだ。
誰がこの政治的資産をものにすることができるかで、その後の政界地図は大きく塗りかえられると誰もが思ったし、現にそうなった。
最初に、そしてもっとも劇的にこの政治的資産を活用したのはもちろん、小泉元首相だった。
猪瀬氏が「日本国の研究」の中で明らかにしたのは、戦後、ほぼ一貫して特定の政党が権力を持ち続ける中で、政治や行政に寄生して血を吸う寄生虫がどのように生まれ、それらが、国民の利益など歯牙にもかけず、どれほど巨大な無駄を生み出しているか、という構造だった。
使われもせず毎年崩落する大規模林道を賽の河原積みのように作りかえるムダ。そして、その費用を穴埋めするために日本全国の広葉樹林を伐採し、杉に植え替えるムダ。そのために、山の保水力が失われ、土砂災害を生み出し、人々のスギ花粉症をひどくさせるムダ。
ひとたび計画されると、時代が変わってもはや誰からも必要とされないとわかっていても作り続けるムダ。
民主党のマニフェストには、川辺川ダムと八ツ場ダムの中止が掲げられていたが、既に出来てしまった北海道の二風谷ダムの場合は、愚かさの象徴としてそびえる以外なんの意味もないコンクリート構造物のために、アイヌの人たちが二度も居留地を追われる羽目になった。
公団や公営企業があの手この手でファミリー企業を作り、そこに本体の利益を付け替えて甘い汁を吸うという、民間なら背任罪になるようなことが、道路や郵政をはじめ、あらゆる省庁で行われていた。
国民が納めた年金や失業保険料、簡易保険の掛け金を流用しては無駄なハコ物を作り続け、天下り先にしては、巨額の赤字を垂れ流してきた。
規制を作り、それに金を払わせることで金の流れを生み出し、それに寄生する公益法人を作って、甘い汁を吸うことも常態的に行われきた。
その中でも、もっとも根源的なムダの構造が、財政投融資だった。
日本人がせっせと貯めた郵便貯金や簡易保険の掛け金が、役人の手を通じて、この壮大なムダを生み出すマシーンに血液として供給され続けてきたのだ。
戦後政治が生み出してきたこの寄生の構造を断ち切るため、ガン細胞に直接動脈をつないでいるようなこの財政投融資をなくしてしまおうというのが、小泉改革の大きな柱の一つだった。
そして、この寄生の構造の「資金の入り口」では、郵政の民営化が必要だったし、出口では、資金の使い手である公団や公益法人の改革が行われたのだ。
あれから4年。
この一介の作家が提示した国家プロジェクトを前に、私たちはどこまで進むことができたのだろうか。
小泉内閣の一員でありながら、「郵政の民営化がなんで必要だったのか、正直、わたしにもよくわからないんですよ。」と、国民の前で平気で口にする麻生さんが、今や総理。
日本の政治がこれから何十年にもわたって取り組むべきこの一大政治資産を、小泉氏は、野党に取られてなるものかと自分の政治の中にしっかりと取り込んだ。
ところが、今の自民党は、この政治的資産を自らの政治に活かす意志も能力もない。
大事な宝の山が、小泉元首相の後、雨ざらしで放置される間に、民主党がそれをしっかりと自分のものにしてしまった。
味噌もクソも一緒にする日本人の単純思考のために、小泉改革という言葉自体は過去のものになりつつある。
しかし、小泉改革が目をつけた政治資産は、まだほとんど手つかずに残っている。民主党はそれにうまく看板を付け替えて、自らの政治に取り込んでしまったようだ。
この政治的資産を、民主党がきちんと料理できるかどうか、それはわからない。
しかし、多くの「元総理」が族議員として隠然と力を及ぼし続けているような自民党ではとても無理だと、誰もが確信している。
もう、今の自民党は、「おわっている」のだ。
久しぶりに、「日本国の研究」を読み返してみるとき、このような不正と堕落の構造を放置するどころか、積極的にそれに巣食い、利益を貪ってきた自民党政治の罪の深さを、今更のように思う。
この罪だけでも、自民党は今後十年間は下野すべきだろう。そして、真の保守主義とは何かを問い続ける新しい政治家たちによって、いつの日か再興されるべきだ。
今度の選挙で歴史的大敗をするのは、それに抵抗する古い老廃物を一挙に流し去るいい機会だ。
自民党が歴史的大敗を喫することでしか、日本の保守主義の再生はないだろう。
真の保守主義者であれば、自民党の再建のためにも、自民党を芯からダメにしてしまったこのような政治家たちを、きちんと落選させるべきだ。
民主党が約束通り17兆円もの大金を、「節約」で生み出せるかどうかはわからない。
今後4年間でそんな額を生み出せるかどうかはかなり疑問だが、この国の寄生とムダの構造の深さと広がりを考えるとき、民主党が総力を挙げて取り組めば、合格点くらいは十分とれるだろう。
それに、財源としてはカウントされなくても、例えば利権の巣になってい自賠責保険を透明にすることで料率を引き下げたり、NHKの改革で視聴料を引き下げたり、あるいはNTTの市場支配力が強すぎる情報通信市場を改革して実質的な家計負担を下げたりすることで、民主党が掲げる家計所得の実質的な増を図ることも可能だろう。
それに、バラマキ公約をあてにして投票する人たちにとってはどれだけの財源が生み出されたかは大事なことかもしれないが、民主党が取り組もうとしている政治資産が今後の日本の行政・政治に対して持つ意味の大きさを考えれば、大きな柱となっている公約さえきちんと実行できれば、結果として生じた財源額そのものは、決定的な意味を持つものではないだろう。
権力は腐敗するという普遍的な傾向を持つという。
しかし、実のところ、腐敗させる力を持つのは権力そのものではなく、権力に伴うカネの方だ。
民主党政権は、戦後の自民党政治が生み出した壮大なムダの構造を打破することでカネを生み出し、新たなカネの流れを作るだろう。
そして、それは当初はその所期の効果を上げるかもしれない。
しかし、その新たなカネの流れが固定化する中で、また新たな寄生とムダの構造を生み出すことだろう。
さらに悪ければ、ヨーロッパ諸国の多くが苦しんだように、手厚い社会保障の「麻薬効果」とそれに必要な重い国民負担が国民の働く意欲を減退させてしまうかもしれない。
あるいは、積み上がった国家の借金に押しつぶさてしまって、重い負担と手薄な公共サービスの二重苦に、今後、長い間苦しむことになるかもしれない。
はっきり言えることは、スリムでスマートな国家に支えられた強い経済を蘇らせるために、民主党政治が残すことになるであろう「依存とたかりの文化」を一掃させるべきときが必ず来るということだ。
次の世代の保守主義を担おうとする政治家とその予備軍の諸君は、その時に備えて、これまで以上にグローバル化と情報化の進んだ社会でそのような国家像をどのようにして実現すべきか、野党としての厳しさの中で切磋琢磨してほしいものだ。
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