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自民丸の船底に大穴が空いているのに、船頭の漕ぎ方が悪いとナンクセをつけて、また船頭をクビにしようとしている。
その滑稽な様は、まるでチャップリンの映画のようで、楽しませてくれる。
浸水した海水が喉元に達すれば、さすがに何が沈没の原因なのか悟るのかもしれないが、もちろんその時はもう手遅れだ。
「これまでの」自民党支持者がウンザリするのは、こういう自民党の「学べない」体質なのだろう。
7月14日付け朝日新聞がオピニオン欄で「解散・総選挙へ」と題して、東大先端研の御厨教授と、元東大総長の佐々木教授の論説を掲載している。
両氏の論説は、もちろん自民、民主両党の関係者も熟読玩味している「はず」だが、特に佐々木教授がかつてから述べられている政党ガバナンス論は、自民党がなぜ民主党に負け続け、おそらくこれからも負け続けるのかということについての根本的な認識を提示している。
カオスそのもののような自民党を見て、自民党にガバナンスが存在しないと断じるのは正しくない。
自民党は自民党なりに、長年にわたって政策決定過程の仕組みやルールを作り上げてきた。
その真骨頂が総務会、政務調査会、部会・調査会という、既得権益グループの意見を集約し、相互の調整をはかり、最終的に党の決定としていくという調整プロセスだ。
この仕組みは、何をすればいいかがはっきりしていて、後はどう上手に配分するかさえ決めればよい時代にもっともマッチしたシステムだった。
しかし、このような数の多さ、力の強さ、声の大きさで調整が行われるという政策決定過程を基本とする政党では、実力者は輩出しても、リーダーを生み出すことは難しい。
自民党の実力者とは、既得権益の守護神としての力がその実力の源泉であり、それを脅かすリーダーは敵なので、そんなものは実力者同士の談合でひねりつぶせばよいと思ってきた。
風向きが変わったのは、冷戦構造が終わり、自民党と社会党という北緯38度線のような対立軸が消えて、国民の投票行動が党首のリーダーとしての存在感や、政策プログラムの内容によって決まるようになったからだろう。
その意味で、「まともな」人なら自民党に入れるしか選択肢がなかった時代から、「まともな」人でも「選べる」時代になったということだ。
政権選択選挙を前にしての国民の高揚感は、このような実質的な「選択の自由」を手にした高揚感でもある。
その政治手法は田中角栄そのものだという批判にもかかわらず、日本の戦後政治史において、小沢一郎という名前を決して落とすことができないのは、国民の投票権に実質的な「選択の自由」をもたらしたという功績によるものだ。
西松事件で、本人は総理の座を逃したかもしれないが、そんなものよりも何倍も大きな功績ではなかろうか。
このように、政党が真の意味で「選ばれる」時代になり、投票によって有権者が政党を選択しようとすると、その政党が、どんな課題を、どのようにして解決しようとしているのかを知らなければならない。
無数にある政策課題の中から、この政権で解決すべき課題として何を取り上げ、それをいつまでに、どのような手法で解決、実現していくのかというが、有権者に見える形で、リーダーシップの裏付けをもって示されなければならない。
そのようなメッセージをわかりやすく有権者に伝えるのがリーダーとして党首の役割だ。
方向性が定まり、フォーカスをもったコンパクトなマニフェストと、それに対するオーナーシップを持ったリーダー、そして、そのリーダーを支える党としての一致したコミットメントが、新しい時代における政権担当能力の3点セットだ。
そして、驚くべきことに、戦後の日本政治を担い続けてきた自民党は、そのいずれも持ち合わせていない。
実力者はいても、その実力者の最大の関心事は、自らが統治する既得権益という名の領地の安泰だ。なので、明確な政治アジェンダをひっさげたリーダーが出てきても、その領地の安寧を脅かさない限りにおいてしか応援をしない。
リーダーといっても、このような党内実力者の力の上に乗っかってリーダー面することができるだけなので、いわば、近代政治の仮面をかぶった封建政治に過ぎない。
そのような中で、小泉首相は異色なリーダーだったが、彼のリーダーとしての力の源泉は、圧倒的な国民の支持と、それを背景にして「文句があったら、自民党をぶち割って、民主党と組むぞ。」という、「恐喝力」だった。
彼の「自民党をぶっ壊す」という言葉は、選挙民向けのポーズなどでは決してなく、古賀誠のような党内実力者への公開脅迫状だったのだ。
子飼いのチルドレンを引っ提げて党を割り、対立政党と組むぞとマジで言える人間が出てこないと、まともな改革すら俎上に載せられないような政党が、新しい時代で、国民の負託に応えられるはずもない。
小泉時代のことを、「あー、あのときはヒドかったねー。」と、まるで台風のような一過性の災害のように言っているような自民党だからこそ、今の凋落があるのだ。
今頃になって「麻生では勝てねー。」と喚いている若手議員は、小泉時代に、こんな内戦のようなことをしない限り総理が掲げる改革アジェンダすら通らないような党では、自分たちの将来はないとどうして思い至らなかったのだろうか。
戦後、50年以上もの歳月をかけて築き上げてきたものを、部分的な改築で新しいニーズにマッチした建物に作り変えるのは、とても難しい。
あちこちに立ちはだかる「主要構造部」が邪魔をして、新しい「設計」を受け入れることはないだろう。
ここはやはり、いったん取り壊して、新しい設計図で新築するしかないのかもしれないと、これまでの自民党支持者も思い始めている。
その取り壊し作業が、雇われ船頭の「いまさら解散」の掛け声とともに、始まろうとしている。
建物解体作業の槌音が、新しい時代の、クリーンでスマートな保守政党の再建に向けた序章となることを、強く願いたい。
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