外交のプロが説く日米の夫唱婦随
2009年07月01日
長年その存在を疑われてきた、米軍による日本への核持込みに関する密約について、村田良平・元外務次官が白状した。
歴代の外務大臣には「だいたい」伝えたが、バタバタして話せなかったこともあるし、大臣から総理に話がいったかどうかまでは知らないという。
持込み料を免れるために飲み屋に黙って持ち込んだ酒がバレてしまったかのように、「そんな瑣末なことにいちいち目くじらをたてるなよ」とでも言いたげなこの日本外交の元責任者は、「外交のプロ」に共通する思考様式を代表しているのだろう。
中央公論七月号で、「日米同論の命運を徹底検証する」と題して、元駐サウジアラビア大使の岡崎久彦氏と元駐イラン大使の孫崎亨氏が、対談している。
メディアによく表れては、何を言いたいのかさっぱりわからない発言で見る者を煙に巻く岡崎氏が、この対談の中で、「外交のプロ」とはこうでなければならないということを私たちに思い知らせてくれ、大変感銘を受ける(笑)。
霞が関で議論されている政策は、ある程度の知識と、まともな常識と、そこそこの論理性があれば、たいていのものは理解できるし、少なくとも方向として正しいか、間違っているかくらいは普通の国民でもわかる。
その数少ない例外の一つが、外交のようだ。
キャリア外交官でもっとも箔のある学歴は、東大中退だと言われている。
卒業証書をもらえなかったことがなぜ箔があるかと言えば、それは在学中に外交官試験に合格し、卒業まで「ズルズルと」つまらない勉強に付き合う必要がないほど「優秀」だからだ。
そして、その試験も、ちょっと前までは、一般のキャリア官僚の採用試験と別で、司法試験をパスしてきたキャリアの法務官僚と並んで「別格」を自認してきた。
外務省に出向したり、大使館勤務に出る他省庁のキャリア官僚たちの間では、このキャリア外交官たちの体からぷんぷんと発散される「僕たちは君たちとは違うんだから」というオーラーが鼻もちならないらしい。
それに、大使という、その待遇の面でも、地位の面でも他に類を見ないようなポストをほとんど独り占めし、大使ポストで外務省を「あがり」になった後に、企業に「天下って」からも、「大使」という称号は一生涯使うことができる。
この対談をしている岡崎氏も、まさにその典型コースを歩んだ人で、東大中退で外務省に入り、駐タイ大使を最後に退官した後、博報堂の特別顧問に天下っている。
今は自分の名前を冠したNPO法人の理事長だ。
それでも、彼を呼ぶときは、相変わらず「岡崎大使」なのであり、それが正しいエチケットだ。
相手の孫崎氏も、対談の中でちゃんとそう呼んでいる。
その外交のプロの岡崎氏が対談の中で展開している主張は、要約すれば、次のようなものだ。
約400年間も世界の海洋を支配しているアングロ・サクソン世界と同盟することが日本の国益であり、国家戦略である。
アメリカのしていることが正しいことかどうかなどということは、瑣末な問題であり、とにかくアメリカにつき従っていくことこそが日本のとるべき道である。
だから、大量破壊兵器が本当にあるのかないのかとか、イラク侵攻が国際法上正しいことかどうかなどいうことは、どうでもいいことだ。
そんな小事に拘泥するのは、外交音痴だからであって、大事なことは、アメリカがこうだということには、Yes, sir!と二つ返事で後ろからついていくことだ。
中国の大国化する中で、アメリカが中国に色目を使い始めている今だからこそ、「わたしを捨てないでー」と、身も心もアメリカに捧げて「別れられないような」関係になることこそが、日本外交がとるべき道なのだ。
これに対して、同じ外務省で10年以上も後輩に当たる孫崎氏(同様に「孫崎大使」と呼ぶべきだが)の主張するところは、私たちのような外交の素人にもわかりやすい。
彼の主張するところは、大要、次のとおりだ。
ソ連共産主義とアメリカ資本主義(自由主義)という明白なパラダイムの存在した冷戦時代と違って、これからはアメリカの対外政策がすべて日本にとって承認できるものとは限らない。
これからは、同盟国という基本的関係は維持しつつも、是々非々で、アメリカの対外政策に同調し、協力すべきかどうかを、日本が主体的に判断しなければならない。
このような孫崎氏の主張には、「戦略がないじゃないか」と岡崎氏は言う。
いい話にはついていくが、納得できないことには協力しないなどという「場当たり的」な対応には、大局的な戦略が欠如しているのだ。
そんなフラフラした支え方では、アメリカは日本のことを心から信頼しないだろう。世界中がアメリカに反対しても、日本だけは支えてくれる、というのが本当の信頼関係なのであり、真の同盟関係なのだ。
たとえ正しくないことをしていて世間から非難されていても、「わたしだけは、あなたの味方よ」と言う仲になることこそが、「戦略」なのだと、岡崎氏はいう。
どんな暴力亭主であっても身も心も捨ててつき従っていく女になることが「戦略」なのであり、知恵を働かせて小賢しいことを言うのは「戦略の欠如」なのだ。
約400年間も世界の海洋を「支配している」と現在進行形で観念するこの人の国際政治の感覚はいつの時代のものなのだろうかと驚くが、真の外交のプロから見れば、たかだか数十年間で作られた国際政治の枠組みなどはすぐにでも瓦解し、やがては力がすべてを支配する帝国主義の時代が戻ってくるということなのだろう。
あるいは、武力行使の正当性などをいちいち「あげつらうべきではない」とのたまうこの人の頭の中では、「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」と謳う憲法の理念などは、「外交辞令」に過ぎないということだろう
ましてや、唯一の被爆国として非核三原則を掲げる日本が、核持込みを黙認するという密約を米軍と交わしたのに、「そんな密約は存在しない」と国民を欺き続けることなどは、取るに足らない瑣末なことだ。
所詮、国民などは、一抵抗勢力に過ぎないということだ。
日本の安全保障は、最も重要な国益の一つだろう。
しかし、日本が民主国家として国際社会で胸をはることができる国になるということも、大事な国益だ。
米軍による核の持込み自体の当、不当はともかくとして、そんな大事なことでどうして国民に嘘をつくのかといえば、やはり、日本の外交をつかさどってきた「外交のプロ」のこのような偏った国益観と、愚民意識が底流にあるのだろう。
「世間の荒波を生き抜くというのは大変なことなんだよ。何も考えず、おとうさんの言うとおりの人と結婚すれば、安定した幸せな生活を手にできるのだから、黙って言うことを聞きなさい。」とでも言いたげなこの外交のプロの言葉の先には、自ら考える政治で成熟した民主国家を築こうとする国民像は存在しない。
「知らしむべからず、よらしむべし」とされた被治者としての国民観しか存在しない。
そして、このような国民観がどこから来ているかといえば、外交というのは、大学でさえ最後まで行く必要がないくらいのエリートが担うべきものであり、国民なんぞが民主主義を「口実に」、あれこれ口を出すべきではないという「プロ意識」なのだろう。
もっとも、今ではほとんどの人がその必要性と妥当性を疑わない安保条約ですら、この密約が交わされた1960年の改定当時は、熱病にうかされたような国民的反対の狂熱の中にあって、「とても本当のことは言えた状況ではない」というのが真相だったかもしれない。
しかし、その後、密約の存在を公にする機会はいくらでもあったはずだし、当事者が白状しているこの期に及んでさえ、いまだに存在しないと言い張っているのをみると、この岡崎氏の対談に現れた外交の「プロ意識」はたいして変っていないのだろう。
一部の新聞報道によれば、民主党の中では、「官僚主導政治の打破」は、厚生労働省、農水省、国土交通省を中心に行い、財務省や外務省とは「手を握る」べきだと議論されているそうだ。
それは、これらの役所が矢面に立っていてマスコミ受けしやすく、得点を稼ぎやすいからだろうが、どちらの官僚主導政治がもっとも深いところで「国益」を害しているかは言うまでもないことだろう。
今、マスコミで叩かれている省庁の問題は、信賞必罰でルールをきちんと守らせれば解決する問題が大半だ。
ただ、その過程で、省庁に巣食う既得権益企業とそれを食い物にする役人、そして甘い汁を吸う労働組合といった連中にからめとられずに、きちんと断罪できるかということにすぎない。
それに対して、国民はおろか、時の総理にさえ知らせず外国と密約を交わして国民を欺き続ける役所や、予算査定権を盾に各省を牛耳り、官僚主導政治のフィクサーとして君臨し続けようとする役所こそが、真の官僚主導政治の源だ。
しかし、このような「ボス・キャラ」は、とても自分たちの手には負えないという敗北主義に今から陥ってしまっているのかどうかは知らないが、一番大事なことに手をつけようとさえしない民主党の「官僚主導政治の打破」という公約も、テレビカメラさえ欺ければいい「ハリボテ」に過ぎないのだろう。
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