時の記憶

時代の記憶として残したいニュースの勝手な論評です。

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 メインストリームのニュースから少し外れたところにこそ、えてして時代の真実が隠されています…などと、たいそうなことを言うつもりはありません。
 でも、ちょっとしたニュースに何を感じ、何を考えたかを残すことで、自分の人生の軌跡みたいなものを残せないかな~と感じています。
 なので、私小説的な時事論評として読んでいただければと思います。
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政権担当能力という幻想

2008年12月24日

民主党への政権交代が現実味を増すなか、政権担当能力が議論されるようになった。自民党は、「民主党には政権担当能力がない」と言うし、民主党は十分すぎるほどあるという。

 某政治家のパーティーで、石破農水大臣がスピーチで話したことが印象的だった。
「一度、民主党に政権をやらせてみればいいという意見があるが、とんでもないことだ。
 そんなことを言う人は、一度手放した政権を取り戻すことがどれほど大変か、今一度、自社政権のことを思い出すべきだ。
 あのときの自民党は、とにかくこの機会を逃せば二度と政権を手にすることができないかもしれないと本気で思ったので、憲法九条という国の基本中の基本ともいうべきことで正反対にある社会党とさえ、連立したのだから。
 魂を売るようなことまでしないと、政権というのはとれないのだ。」
 細部はともかくとして、大要、こんなことを言っていたと思う。

 それは、とても説得力のある意見で、みんな忘れかけていた自社政権の悪夢を思い出していたことだろう。
 それほど政権をとるということは大変なことであり、それが曲がりなりにも現実味を帯びたところまで持ってくるのだから、小沢さんは凄い人なのだろうと思う。

 一方、石破さんのスピーチはこうもとれる。
 自民党政権が崩壊した後、あんなに政権担当能力がないと思われる連中でさえ、とりあえずは国の行政をちゃんと動かせるのだ。
 そして、それがある程度の期間続いてしまえば、それが常態になってしまい、政権党の「政権担当能力」になってしまう、ということだ。

 霞ヶ関が、今のところそれなりにしっかりしているので、実のところ、政権が交代しても、国の政治はとりあえずは大過なく動いていくはずだ。
 政党にしても、在野では人気取りのために過激なことを言っていても、政権をとって今度は自分の判断がそのまま国の決定になるとなれば、自ずと過激さがとれるのは、どの国のどの政権でも似たようなものだ。

 実のところ、国の行政の多くは既にある課題にどう上手に対応するか、というものがほとんどなので、政党カラーが違っても、政策の良し悪しの判断にそれほど違いは出てこない。
 税制の優遇とか、バラマキ政策とか、選挙対策になりそうなものは、それなりに違いが出るだろうが、国の行政の大半は、実のところ、どの政権でも、それほど違わないものがほとんどだろう。
 そして、それらは、霞ヶ関の役人たちが、深夜タクシーで缶ビールをもらうとは怪しからんとタブロイド紙に叩かれながらも、それなりにきちんと進めて行くことだろう。

 つまりは、政権を担当するだけなら、共産党や社民党では困るが、自民党か民主党なら、どちらでも大丈夫だろう。
 政権担当能力があると自負している自民党でさえ、二代続けて政権を無責任に投げ出しているし、投げ出しても、霞ヶ関からは「やれやれ。」という声は聞こえるだろうが、ビジネス・アズ・ユージュアルとばかり、特に大きな混乱もなく、国の行政は動いている。
 極端に言えば、総理などいなくても、危機さえ起きなければ、たいして困らないのかもしれない。
 事実、今の自民党は、総理が何を言っても、既得権益を代表する族議員は大して意にも介していないようだし。

 要するに、政権担当能力などというものは、あるようでないようなものだし、少なくとも自民党にあるなら、既に大臣経験者がそれなりにいる民主党にもあるはずだ。
 大事なことは、そんな実態のないマヤカシの言葉に惑わされるのではなく、それぞれの政党が、この国をどういう国にしようとするのかという具体的なビジョンと、それを実現するための具体的な政策プログラムとして、どのようなものを提示しているのかということだろう。
 そして、加うるに、それを本当に実現できるだけの指導者のリーダーシップと政党の体制があるのか、ということではないだろうか。

 政権担当能力という「印象」みたいなものではなく、国民に対して、「何を、いつまでに、どうやって」やるのか、ということを、具体的に、かつ、説得力をもって約束することができるか、ということの方が、何倍も大事なことだろう。