正当性のない正論と正論のない正当性
2008年12月23日
地方分権改革推進委員会の第二次勧告が二重に物議をかもしている。
一つは「ぜんぜんたいしたことないじゃないか。」という世の中一般の反応と、「なんだ、勝手にこんなことまで書きやがって。」という霞ヶ関、永田町の反応である。
しかも、事務局が勝手に手を加えて中身を骨抜きにしたと、委員会内部でも物議が生じていて、ある意味、滑稽ですらある。
役人が「勝手に」手を加えることができるほど、答申文すら自分たちでまともに管理できていないのかと、ちょっと呆れるが、政府の審議会や委員会なんて、そんなものだろう。
まだ、他の委員会より少しは「骨」があると思われているこの委員会でさえこうなのだから、波風の立たない他の委員会などは推して知るべしだ。
ただ、多少ではあるが「骨」がある分だけ、一部には評判がすこぶる悪い。
委員長を入れてわずか7人の委員が、それも国民に直接説明責任を負っていない連中が国の在り様の基本を決めるのは、国民の代表者が議論して決めるという民主政治の正当性に欠けるという批判だ。
(副知事とか市長、町長はいるが、国民全体に説明責任を負っているわけではない。)
今度の、国の地方出先機関の統廃合の数値目標にしたって、きちんとした積み上げもせずにこの連中でテキトーに、勝手に作って捻じ込んだものだという意識が、政治家や役人の間には強い。
しかし、数値目標はともかく、国の出先機関と地方公共団体の二重行政を整理すべきという「正論」については、真っ向から反論しにくい。
整理される側の本音としては、「そんなに急にやられたら困るので、ここはブレーキをかけておこう。」というところだろう。
反対に、国民から選ばれて、民主的正当性に満ちあふれる自民党は、なかなか正論を吐けない。
各省庁と対応し、細かく縦割りに分かれた部会組織もあって、国の基本的な在り様を議論することは難しい。
誰かが何かを言えば、必ずどこかの部会が代弁する既得権益を犯すことになるからだ。
霞ヶ関の各省折衝を経ると角の取れた当たり障りのない政策ばかり出てくるのと同じ仕組みだ。
つまりは、民主的政党性をきちんとした正論作りに活かせない政治機構だといえる。
その意味で、小泉時代は特別だったかもしれない。
抵抗勢力をあぶりだすことで逆に正論を際立たせ、高い世論の支持をバックにとにもかくにも意志を通した。
郵政民営化などは、自民党の部会組織で積み上げていく従来方式では、絶対にできない政策だった。
道路公団改革のときも同じだった。
しかも、このときは、当時の道路公団総裁という、すこぶるマスコミ受けの悪い「悪役」まで見つけることができて、ほとんど水戸黄門のような勧善懲悪の構図を演出することさえできた。
その意味で、プロレスを演出するプロダクションと、発想において大した違いはない。
その張本人の一人である猪瀬さんがいるので、今度も、小泉時代と同じように、悪代官役を仕立てて、似たような構図にもっていこうとしているのかもしれない。
そのような中で、冒頭の、役人による勝手な作文事件を読むべきなのかもしれない。
一方で、受験地獄を勝ち抜いてきた役人の学習能力もあなどることはできず、今度は、そうやすやすと前と同じように手には乗らないことだろう。
正当性のない正論と、正論のない正当性という、どちらもすねか頬に傷を持つ役者の舞台は、なかなか目が離せない。
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