出版社の企画会議のような教育再生懇
2008年12月18日
政府の審議会というものは、御用学者のハク付けくらいしか役に立たないものが多いが、それにしても、「教育の再生」を議論して、その目玉として教科書ページの倍増しか提言できないこの審議会には呆れ果てた。
そもそも「再生」を論じるほど、日本の教育が過去に「生きていた」のかどうかは疑問であるが、教科書のページを倍にしたら再生できるようなものと、教育のことを考えているとしたら、この審議会のメンバーたちに、自らを教育関係者と名乗る資格はない。
そもそも、教育を「再生」するというのは、どういうことなのか。
「ゆとり教育を見直す」というのが、その目的のようだが、だからといって、今の韓国がそうであるように、また、ちょっと前の日本がそうであったように、偏差値で学校と子供たちを序列づけする偏差値主義への復帰を目指すわけでもないだろう。
今の日本は、かつての日本のように、一億総中流、大量生産・大量消費社会ではもはやなく、おそろしく多様な価値観を実現できる複線型社会に向かっている。
そんな社会の教育というのを、慶應義塾幼稚舎から始まって就職先まで慶應で通しているような人が座長をしている委員会で議論できるのだろうか、と思ってしまうのは、心配のし過ぎだろうか(笑)。
多価値社会となるこれからの日本の教育に必要なのは、個人の多様化した価値感と人生観を実現できる教育環境であり、他の分野では当たり前になっている「多様な選択の自由」と学校がそれぞれの特色を活かして切磋琢磨する「自由な競争環境」を実現することが基本であるように思える。
教科書のページ数や、教科書の挿絵や装丁などを議論することではないだろう。
-----------------------------------------------------------------------------------------
|